73 姫と騎士①
「王宮の見習い従僕……」
アデルは必死に記憶を手繰る。
「テオが十歳の時って言ってたから、アデルは六歳くらい? あのバカ兄貴の下僕たちにいいようにされてたとこを助られたって言ってたけど……まあ、覚えてないわよね。そりゃそうよね~」
ディアナは一気にしゃべって喉が渇いたのか、カップに注がれた紅茶を立ったまま一気に飲み干した。
「まあ、あとは本人から直接聞くといいわ。さっきここに呼んでおいたから。早く来ないと全部ばらすわよって言っておいたから、今頃大慌てで向かってるんじゃな……あ、噂をすればほら。来たみたい」
ディアナが芝居がかった様子で耳に手を当てる。どこからともなく聞こえてくる足音が次第に大きくなり、バタンッ! と応接室のドアが勢いよく開いた。
「ディアナ!! お前……っ!」
テオが肩で息をしながら、右手に紙を握りしめている。
「どこまで話した……っ!?」
「やぁねぇ、別に大したこと話してないわよ。あんたの初恋の相手がアデルだって事と、振られていじけてたって事くらい? あとは、姫を助けた騎士の話とか?」
「全部じゃないか……っ」
テオが震えながら肩を落とす。
「あの……」
「じゃ、私は帰るわ。あとは二人でよ~く話してね。あ、アデルにはまた会いに来るから。今度はゆっくりおしゃべりしましょうね」
そう言ってアデルにキスを投げ、ディアナは嵐のように去って行った。
後に残されたアデルとテオは互いに顔を合わせる。
「……ディアナがすまない。迷惑をかけた」
気まずそうにテオが謝る。
「ううん。びっくりはしたけど迷惑なんて事は全然。……随分仲がいいんだね」
「あいつとはアカデミーで一緒だったんだ。サバサバした気性が他の令嬢とは違って、何となく一緒にいると気が楽で……その腐れ縁が今も続いてて……って! 違うんだ!! アイツとは、確かに婚約してたけど、それはあくまで契約上の婚約で……っ! 恋愛感情は全くない! 微塵も! だから……っ」
「フフ……ッ」
テオの慌てる様子がおかしくて、思わず笑いがこみ上げる。
「とりあえず座ったら? お茶でも飲みながら話しましょ。でも、その前にシャツはしまった方がいいわ。あと、ジレのボタンもズレてる」
「……あっ、くそっ……あいつのせいで……」
ブツブツと呟きながら、服を直すテオを見ながら、アデルはもう一度クスリと笑った。
「どうだ。少しはゆっくり出来てるか?」
一息ついたところで、テオがそう切り出した。
「うん。お父様たちが領地に退かれたって聞いた時は驚いたけど、おかげで今は気が楽…かな。顔を合わせたらやっぱり緊張するだろうし。お兄様は相変わらずお忙しそうだけど、私は暇を持て余してる」
「お前の父親は、裏できな臭い事に手を染めていた。事業の失敗の穴を埋めるため、ギャンブルにも手を出していたと聞いている。あのタイミングで当主を交代したのは英断だった。流石はノアだな」
「お兄様とは親しいの?」
「少し前からノアは俺の支持者の一人だった。まあ最近は、俺よりグレイシアに肩入れしてるみたいだけどな」
意味深にテオが笑う。
「良かったな、アデル。これでお前は自由だ」
ポンっと頭に置かれた大きな手。その手が優しく頭を撫でる。視線を上げると、温かい微笑みを浮かべたテオと目が合った。その途端、アデルの頬にゆっくりと涙が伝う。
「……っ! ア、アデル!? なんで泣いて……っ」
「……え? わ、わかんない。なんか急に涙が……。あれ? なんでだろ? ……ごめんっ」
慌ててアデルが涙を拭う。
そのいじらしさに思わず抱きしめたくなるが、そこは鋼の理性でなんとか堪え、平静を装いカップを中身をグイっと煽る。
「それでテオ。さっきディアナ様が言ってた初恋の話だけど……」
「ブホッ……ッ! げほっごほ……っ!」
「大丈夫?」
「だ、大丈夫。初恋。初恋な……うん」
「私、小さい頃テオに会った事あるの?」
テオはアデルの顔を真っ直ぐに見ると、懐かしそうに目を細めた。
「あるよ。あの時のお前は、随分と勇ましい騎士だった」
■◇■
母の死から一年も経たずに、父親の部下を名乗る男たちに無理やり連れて来られたのは、隣国リムウェルの王宮だった。
これまで存在すら知らなかった家族の存在。
父だという男の隣には美しく着飾った女が座り、その女の横には寄り添うように一人の少年が立っていた。二人の目はなぜか憎々し気にテオを睨みつける。その理由を、この時のテオはまだ知る由もなかった。
その日から、テオは王宮から離れた離宮に閉じ込められた。外出は許されず、話し相手はメイドと、たまに訪ねてくる義兄のみ。義兄はいつも数人の取り巻きを連れてやってきた。彼らは都度難癖をつけては、テオに理不尽な暴力を振るった。義兄はその様子を見ながら、なぜか勝ち誇ったように笑う。最初は抵抗していたテオも、やがて力では叶わないとあきらめるようになった。
なぜ自分はこんなところにいるんだろう。そう自問する日々。
寂しい。
帰りたい。
ランクル村のみんなに会いたい。
幼かったテオは、懐かしい日々を思い出しては、枕を涙で濡らした。
二年ほどの時が過ぎ、半分だけ血の繋がった義兄からの理不尽な嫌がらせにも慣れ、抵抗する気力も失せた頃。
ただ無為に時間を持て余していたテオの元に突然届けられたのは、仕立てのいい服と王妃からの一通の手紙だった。
手紙には、これを着て翌日の茶会に参加するようにと書かれていた。テオはその手紙をグシャリと丸めると、思い切り床に叩きつけた。
ちょっと話が長くなってしまったので一旦切ります。
続きは明日更新します。




