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72 『ティナ』と『ディアナ』

「お嬢様!! おやめ下さいっ!! だめですよぅ!!」


 青空の下、洗濯場にアリスの元気な声が響く。


「大丈夫よ、アリス! 洗うものがあったらじゃんじゃん持ってきて! こんなにいいお天気なのにボーっとしてたらもったいないじゃない?」

「…もう……お嬢様ぁぁ……」



 アデルがロウェルの屋敷に戻って、ひと月余りが過ぎた。



 この僅かな期間に、リムウェルの情勢は大きく変わった。

 政治の面では、王太子だったフレデリックが廃嫡となり、次期後継者の擁立に各家門が色めき立っているようだ。現状二人の名が候補に挙がってはいるものの、どちらも決定打にかけるため、王太子位は空席のまま。慎重にならざるを得ない理由も察するに余りあるが、その期間が長引けば長引くほど、別の問題が生じる可能性も少なくはないだろう。

 経済の方でも、オルコット男爵の逮捕による影響は凄まじく、多額の財産を失う貴族や商人、失脚し夜逃げ同然で他国に亡命する高位貴族も多数現れた。


 アデルの二度に渡る生還劇もまた、社交界のみならず、市民の間でも大きな関心を引いているらしい。これまでに出回っていた悪評は全て払拭され、市井ではアデルをモデルにした大衆演劇が大好評だという。


 誘拐の首謀者とされるタルジュは、これまでの余罪を含め慎重に捜査が進められ、現状死罪は免れない状況だそうだ。共犯とされるセシリアは、当時の年齢が幼かった事と、心神喪失により善悪の判断がつかない事などを理由に、罪には問わないという裁決が下された。これには、この件に関わった大多数の人間が異を唱え重刑を望んだが、アルベルトの必死の嘆願とアデルの意向を汲み、適切な治療を施す事を条件に、マクミラン家において監視、および幽閉という形で決着した。

 


 終わってみれば呆気ない幕切れだった。



 自身が誘拐された理由もどこか釈然としないものではあったが、セシリアの過去に触れれば全てを悪として恨むことはできなかった。かといって、許せるかと言えばそれも違う。


 攫われた時、襲われそうになった時の恐怖も、いつ終わるとも知れない監禁生活への不安や絶望も、それらは決してなかった事にはならない。多感な時期の少女から奪った五年という月日はあまりに長く、残酷だったという現実は一生アデルの心から消える事はない。


 セシリアの処分については、先んじてアデルの意向に添う形で決定が下されると通告があった。おそらくグレイシア様とテオの圧力が反映された形なのだろうと予想は出来たが、職権の乱用である事は間違いない。ただ、他人の人生を左右する重大な決定を委ねられ、アデルは数日間、悩みに悩んだ。


 果たして自分はどうするべきなのか。

 それ以上にどうしたいのか……。


 だから半月前、アルベルトがセシリアのため、膝をついて謝罪に訪れた時は正直戸惑った。


 アルベルトは言った。

 セシリアに法の裁きは与えたくはない、と。


 アデルを苦しめた元凶である事は十分承知しているが、それでも彼女は、自身が一度は愛した女性。このまま見捨てる事はできない。自らの手で責任を取りたい。と、そう両膝をついて頭を地面に擦り付けた。アルベルトの必死の懇願に、アデルは彼女の処遇を彼に一任する事に決めた。


 この決定に、周囲は皆「お人好しすぎる」とあきれたが、アルベルトもまた、この事件における被害者の一人だ。私と同じ、もしくはそれ以上に傷つき苦しんだ人でもある。そんな彼がそう決めたのなら、その決意を尊重したいと思った。




 アデルの、五年以上に渡る誘拐事件はこうして決着を迎えた。




 そして今、アデルはというと……。

 誰よりも暇を持て余していた。


 太陽の下、大きなたらいに腕を突っ込み、ジャブジャブと音を立てる。大きなシャボン玉が一つ、フワリと空中に浮き上がり、ゆっくりと空に昇っていく。虹が揺らめくシャボンは日の光を浴びキラキラと輝きながら、上空でパチンと割れた。


「お前は、一体何をやってるんだ……」


 不意に聞こえた背後からの声。振り返り見上げると、声の主は眼鏡を押し上げ呆れたようにアデルを見下ろしていた。


「……デジャヴです。お兄様」

「……?」


 数ヶ月前、同じような会話を父とした。

 あの時は諦めと委縮で心が押し潰されそうだったが、今は微塵の不安も感じない。


「天気が良いのでシーツを洗っていました。流石は侯爵家。いい洗剤をお使いですね。驚くほどきれいになります」


 あの日と同じ言葉をワザと使う。兄がどう答えるのか、いたずら心に火がつく。


「…使用人の仕事を奪うんじゃない。それより、お前に客が来ている。ソアブルのクライバー公爵家の令嬢だそうだが、心当たりはあるか?」


 殆んど正解だった兄の解答に思わず笑いそうになったが、客がソアブルの公爵令嬢だと聞いて、アデルは首を傾げた。


 心当たりは……全くなかった。





 兄について応接室に向かうと、そこには見たことのない令嬢が座っていた。アデルに気づくと、彼女はパアっと顔を輝かせ立ち上がり、その勢いのまま飛びついた。


「約束通り会いに来たわよ!! アデル!!」

「え……? もしかして……ティナさん……ですか?」


 良く見れば、その顔には見覚えがあった。あの時は眼鏡をかけていたからすぐには分からなかったが、この声とテンションは間違いなくティナだ。クライバー領でひったくりにあったあの女性に間違いない。


「なんでティナさんが? え……? クライバーの公爵令嬢って、もしかして……?」

「そうなの。ティナは市井に出る時の名まえで、本当の名まえはディアナ。ディアナ=クライバーって言うの」

「ディアナ……様」


 それで納得がいった。

 第二王子であるテオドールの婚約者が、平民である訳がない。彼の素性が明かされてからずっと気になっていたが、相手が公爵令嬢なら合点がいく。


「あの……。どうして私がここにいるってわかったんですか?」


 あの時は互いに名前を名乗っただけだった。唯一の情報はゴドウィン商会に伝手がある事ぐらいだったはず。


「テオに聞いたの。なかなか話そうとしないから、最後は脅してようやく。ほんと頑固なんだから」


 脅しの内容が気になったが、それ以上にアデルはティナに言わなくてはいけない事がある。


 婚約者のいる男性に安易に近づいてしまった事への謝罪。

 彼との間には何もやましい事はなく、今後も会うつもりはない事。


 でもなんと切り出していいかわからず、言葉を選んでいると、


「ごめん!! アデル!!」


 ディアナが急に深々と頭を下げた。


「……な、なんでディアナ様が謝るんですか? 謝らなきゃいけないのは私の方で……」


 戸惑うアデルに、ディアナは一方的に、被せる様に話し続ける。


「まさかアデルが、()()()()()だなんて思わなかったの! だってそうでしょ? あんな所にアイツの初恋の令嬢がいるなんて。しかもお忍びスタイルっ! そんなの気づかなくて当然じゃない?」


 ディアナの話は止まらない。


「いつも自信満々のテオがなーんか落ち込んでるから、どうしたのかと思って問い詰めたら、振られたって言うじゃない。更に問い詰めたら、私と一緒にいる所を見られた上に、婚約者だってことまで知られちゃったって。それでようやくアデルとテオの初恋の相手の『アデル』が一致したわけ。びっくりしたわ~。そんな偶然ある? 何よりテオの運の悪さ。笑っちゃうわよね」

「……」


 ディアナの快活さは好感が持てるが、公爵令嬢としてはどうなのか。……は、さておき、ディアナの話には気になるワードが度々出てくる。


「だからね、私が一肌脱いであげようとこうして出向いてきたわけ。まず、私たちの婚約だけど、あれは敵を欺くための契約婚約だから安心して。王妃と王太子にテオをリムウェルの王籍から離脱させて、王座は狙ってませんよ~ってアピールするための計略だったの。これは国王も承知の話。だって、そうでもしないと、テオは離宮から出られなかったから。まさかあのバカ王子があんなに早く動くとは思わなかったけど……。アレはほんと予想外。単純よね~。昔からちっとも変わらない。バカはバカなままだったわ」

「あの……ディアナ様」

「やだ、アデルったら。そんな余所余所しい呼び方しないでよ。ディアナでいいわ。何ならティナでもいいけど。で、これが一番大事な事。私とテオはアカデミーからの友人だけど恋愛感情は全くないから! ちゃんと見返りあっての契約だから! それだけは誤解しないで! ね!?」

「……」


 情報が一気に流れ込み、言葉が出ない。


「あれ? どうしたの? 動かなくなっちゃった。おーい、アデル。帰っておいで」


 ディアナがアデルの頭を優しくなでなでする。


「あの、ディアナ様……?」

「なに?」

「テオの初恋の相手が私って……?」

「ああ、それね。アデルは覚えてない? 小さい頃、王宮で会った見習い従僕(ペイジ)の恰好をした男の子の事」



あと2、3話で完結です。

もう少しお付き合いくださいませ。

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