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70 誤想の忠誠心

 アデルが目を覚ますと、そこは知らない部屋だった。


 両手はひもで固く結ばれ、足には見覚えのある鉄輪とその先には大きな鉄球が繋がっている。一瞬、過去に戻ったような気がして、背筋にゾクリと震えが走った。


(今何時だろう……)


 石造りのひんやりと冷たい床に無機質な灰色の壁。部屋は薄暗く、高所に一つだけある横長の窓からはオレンジ色の光が差し、対面の壁をわずかに染める。一つしかない扉と床の間には数段の階段があり、おそらくここが半地下に作られた地下室(セラー)だと想像できた。


(彼女が訪ねてきて、一緒に宿を出て、それから……)


 部屋を訪ねてきたのはセシリアの侍女、タルジュだった。慌てて閉めようとしたドアを足で阻まれ、腹に突き付けられたのは短銃。


『……なんのつもりですか? タルジュさん』

『一緒に来て頂きたいのですが、よろしいでしょうか? ()()()()

『……っ!』


 タルジュはガラス玉のような瞳でアデルを見つめた。なんの感情も感じられないその瞳に、アデルの喉が大きく上下する。


「セシリア様の指示なの?」


 この侍女が『アスファル』の正体を見抜いたのであれば、おそらくセシリアも承知のはずだ。だがタルジュの返答は意外なものだった。


「いえ、お嬢様はあなたの存命をご存じありません。全ては私の独断です」

「……なぜあなたが?」

「申し訳ありませんが、ここでの時間稼ぎには応じられません。誰かに見られても面倒です。あなたも、ご自分のせいで他人が危険にさらされるのは不本意でしょう?」

「……」


 短銃の撃鉄がカチャリと音を立てる。アデルはごくりと息を飲むと、タルジュに従い部屋を出た。



(馬車に乗せられて……そこからの記憶がない。そう言えば馬車の中の匂い……覚えがある)


 それは過去アデルが連れ去られた時に、嗅がされた匂いによく似ていた。若干のめまいと頭痛はそのせいなのかもしれない。



「気が付かれましたか?」



 見計らったかのようなタイミングで階上のドアが開く。顔を出したのはタルジュだった。


「宜しければこちらをどうぞ」


 そう言ってコップに入った水を差し出す。アデルが顔を背けると、それ以上の無理強いはせず、コップをアデルの足元に置いた。


「……私をどうする気?」

「優秀なあなたなら、既に察しがついているのでは?」


 タルジュの右手には相変わらず短銃が握られている。


「私を殺そうとする理由はなんなの? 私が二人の邪魔をすると思ってるなら見当違いよ。私はもうマクミラン公爵に未練はない。本当よ。本気で二人の幸せを願ってる。ただ私は、誘拐事件の真相が知りたいだけ。そうしないと前に進めないから。それさえ明らかにできれば私はもう……」

「それが問題なんです。誘拐を計画したのは私たちですから」

「……え」


 さらりと言われた言葉が、脳をあっさりと通過する。


「あなたとセシリア様が……誘拐を計画…した…?」

「提案したのは私ですが、セシリア様も喜んで賛同してくださいました。あの方はあなたの事が大好きですから」


 意味が分からなかった。


「どういう事……? セシリア様がどうして……? 私たち会った事もないのよ? それに、恨まれてるならともかく大好きだからって……意味が分からない……っ」

「当時、あなたがご家族に蔑ろにされていると聞き、セシリア様はひどく心を痛めていました。だから私はこう言ったんです。『悪魔たちの手からアデル様を救ってあげましょう』と」

「なんで……そんな事を!?」

「言ったでしょう? セシリア様はあなたの事が大好きなんです。あなたがつらい目に遭っているなら助けてあげたいと心から思える、純粋で心優しい方なんです。だから私は敢えてそう提案しました」

「……」


 アデルは懸命に記憶をたどった。自分はどこかでセシリアに会っているのだろうか? そんな感情を持ってもらえるような事をしたんだろうか? だがいくら考えても、アデルの記憶の中にセシリアという少女は存在しない。


「……やはり、覚えていらっしゃらないんですね」


 タルジュが抑揚のない声でそう小さくつぶやいた。


「あなたが覚えていようがいまいが、私にはどうでもいい事です。私はただ、セシリア様を『アデル様』にして差し上げたいだけですから」

「セシリア様を私にする……?」

「あの方に拾われて以来、私はずっとあなたのすばらしさを聞かされてきました。そして思ったんです。ああ、この方は『アデル様』になりたいんだと。そして私は、その願いを叶えて差し上げるためにここにいるのだと。それが私にできる唯一の恩返しだと、そう思ったんです」

「私になりたい……? だから私を誘拐した……? あなた、自分が何を言ってるか分かっているの?」


 タルジュの言い分をアデルは何一つ理解できなかった。


「もちろんです。ここまで来るのに六年もかかってしまいました。あともう少しなんです。あなたによく似た子どもも手配できましたし、セシリア様のお顔もアデル様になりました。今あなたに出て来られては、迷惑なんです」

「待って…っ! 子どもを手配ってどういう事? それに私の顔にって……何を言ってるの!?」

「申し訳ありません。説明して差し上げたいのは山々なのですが、あまり時間がありません。セシリア様のためにどうか、ここで消えてくださいませ」

「………っ!?」


 銃口がアデルの頭部に突き付けられる。


「さようなら。アデル様」

「………っ」




 バンッ!! 





 身を固くしたアデルの耳に大きな音が響いた。

 タルジュの背後が急に明るくなり、同時に彼女が横に大きく吹き飛ぶ。弾けた銃弾はアデルの耳を僅かにかすめ、背後の壁に突き刺さった。

 アデルは大きく目を開け、信じられない顔で目の前の青年を見つめた。



「大丈夫か、アデル!? 怪我は……っ!?」

「……ない……ないよ、テオ……。だ、だいじょうぶ………っ」



 笑顔を作った。……つもりだった。

 でも、じんわりと滲む涙がやがてあふれ出し頬を伝うと、今自分がどんな顔をしているのかわからなくなった。


「アデル……っ」


 そんなアデルの涙にテオの顔が苦し気に歪んだ。そしてすべてを包み込むように強くアデルを抱きしめた。


「もう大丈夫だから……。ごめん……遅くなって。もう大丈夫だから……泣くな……アデル」

「うん……うん……っ テオ……」


 アデルはテオの肩に顔を埋めた。その優しい温もりを感じながら、アデルは再び意識を手放した。




タルジュの瞳は、セシリアには宝石のように見えましたが、アデルにはガラス玉に見えます。

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