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67 セシリア=オルコット②

残酷な描写がかなり含まれます。


母の死とセシリアがオルコット家に引き取られるまでの経緯が書かれていますが、本編の内容の補足ですので、苦手な方はご遠慮下さい。


 あの日から、私の世界は『アデル様』一色に染まった。


 日がな一日、彼女に貰った本とハンカチを眺めては、想像をめぐらす毎日。

 母は相変わらず帰ってこなかったけど、そんな事はもうどうでもよかった。空腹もあまり気にならなくなった。嫌な事があっても、アデル様の顔を思い出せば自然に笑みが浮かんだ。


 あれから私は、毎日大通りに出てアデル様を捜すようになった。もし会えたら、あの日のお礼をきちんと伝えたい。そしていっぱいいっぱいお話しがしたい。その思いでいっぱいだった。


 それから数年が経っても、私は時間を見つけてはアデル様を探す日々を続けていた。そんな中、一度だけ遠目に彼女を見かけたことがあった。馬車に乗り込む彼女を見かけて、私は慌てて駆け出した。けれどギリギリのところで間に合わず、馬車は出発してしまったけれど、その姿はきちんと目に焼き付けた。

 あの頃とは随分と雰囲気が変わってしまったけれど、それでもアデル様は変わらずアデル様だった。


 やがて私は、馬車の紋章からアデル様の屋敷を見つけ出し、毎日通うようになった。少しでも姿が見られた日は天にも昇る気持ちだった。そうして少しずつ彼女の所作をまね、想像を巡らすようになった。


 彼女の事を考えている時の幸せは、何物にも代え難かった。

 ご飯を食べる時はどんなだろう? 眠る時は? お茶を飲む時は? 話す時は……? 考えるだけで毎日が楽しかった。


 そんなある日、家に帰ると珍しく母がいた。どうやら酒に酔って眠っているらしく、ベッドからはスースーと寝息が聞こえる。テーブルの上にはいつものように数日分の食料と、見慣れない金色の懐中時計が一つ置かれていた。蓋の内側には持ち主と思われる人物の名前が彫られている。ちょっとだけ読めるようになった文字はこう書かれていた。


『ミゲル=オルコット』


 それは、スラムに住む私でも知っているくらい有名な、男爵家のファミリーネームだった。

 貰ったものなのか、はたまたくすねてきたのかは分からないが、酔った母は全てを忘れてしまう事が多かった。ほとぼりが冷めた頃に売りに行って、足りない生活費の足しにするのが私の生きる術だった。だからこの日も私は、時計を本とハンカチと一緒に床下にしまって、一人(ゆか)で眠りについた。


 翌朝、ガタガタという物音で目が覚めた。

 もしかしたら母が朝食に何か作ってくれているのかも。そんな淡い期待を抱きつつ、私は眠い目をこすりながら母の元に向かった。


「おかあさ……っ」


 言い終わらないうちに、母が私の髪を掴んだ。


「どこにやったんだ! お前だろうっ!! この盗っ人がっ!!」

「な、なに……」

「時計だよ!! 金の懐中時計っ!! どこにやったのさ!!」


 頭の皮が剥がれるかもと言うくらい、強く髪を引っ張られ、私は震える手で床の隅を指さした。母は私を突き飛ばし、床板に飛びついた。


「全く……手癖が悪いったらありゃしないっ。誰に似たんだか……っ! これからしばらくは食事抜きだからね!!……おや? なんだい? これは」


 母が手にしていたのはアデル様に貰った本とハンカチだった。


「………っ!!」

「へぇ……。随分といいもの持ってるじゃないか。どこからくすねてきたのか知らないけど、やるじゃない? 高く売れそうだわ」


 母が全てを抱えて立ち上がる。


「だめ!! それだけは絶対だめ!! 返してっ!!」

「はぁ!? 誰があんたを育ててやってると思ってるんだよ!! 子どものくせに逆らうんじゃない!!」


 母の手が私の頬を思い切り叩く。その勢いで私は壁に吹き飛んだ。


「何の役にも立たないくせに、タダ飯ばっかり食らいやがって!! ほんっと、かわいくない子だよ!! お前なんか産まなきゃよかった…っ! このお荷物がっ!!」


 憎々しげに母が怒鳴る。

 私は……不思議と悲しいとは思わなかった。それよりもアデル様の本を取り上げられた事への怒りが(まさ)った。


「返してっっ!!」


 私は母の手に思い切り噛み付いた。


「いったっっ!! こいつ!! なにするんだっ!!」


 母が引き剥がそうと私の頭を掴む。思い切り拳で背中を殴られたが、私は離さなかった。


「いたたたっっ……痛いぃぃっ!! わ……わかった!! わかったから……もう、はなし……っ」


 根負けした母がそう言いかけた瞬間、突然バランスを崩した。私の体重を支えきれず、そのまま倒れる。


 ガツンッと大きな音がして、母が倒れた。そのまま動かなくなった母の上からゆっくりと体を起こすと、母を呼ぶ。


「おかあさん……?」

「………」


 母は何も言わなかった。横に目をやると、机の角に赤い汚れがついていた。倒れた母の頭の下には、ドロドロとした赤い液体が広がっていく。


 私は本とハンカチ、それに金の懐中時計を母の手から奪い取り、急いで外に飛び出した。

 このままここにいたら、いつまた母に取り上げられるかわからない。

 あんなに大切だった人形にも母にも未練はなかった。私は当てもなく走り出した。





 数日間あちこちを歩き回り、空腹に耐えきれなくなった私がたどり着いたのは、オルコット家のタウンハウスだった。

 これまで母についていった男の家とは比べ物にならないほど大きな屋敷。

 私は躊躇なく、母がいつもやっていたように時計の持ち主の男を呼び出した。これだけ大きな屋敷だ。銀貨の一枚くらいもらえるかもしれない。

 私の訪問に屋敷はなぜか騒然となった。しばらく待たされた後、屋敷に入るよう促される。

 面会に応じてくれたのは、時計の持ち主の弟だという、オルコット家の当主だった。


「君がミゲル=オルコットの子どもだというのは本当か?」


 私は時計を差し出し小さく頷いた。本人が不在の場合の事は全く考えてはいなかった。


「母親は?」


 小さく左右に首を振る私を、男はじっと見つめる。私を真っすぐ見つめてくれたのはこの人で二人目。だから私も、アデル様がそうしてくれたように、真っすぐに男を見つめ返した。


「名前は?」

「セシリア」


 すぐに答えられたのはアデル様のおかげ。

 アデル様がつけてくれた名前を、私は初めて堂々と名乗った。

 男はしばらく黙っていたが、おもむろにベルを鳴らしてメイドを呼ぶと、


「この子に入浴と新しい服、それから食事を。この子は間違いなく兄の子のようだ。今日から私の娘として引き取る事にする。皆にそう伝えてくれ」



 何が起きたかわからなかった。



 私を引き取る? 男は確かにそう言った。


 私が……貴族になるという事? そんな事想像もしていなかった。



(もしかしたら……アデル様に会えるかもしれない……?)



 私の人生は一気にバラ色に輝き出した。 


セシリアの半生が思った以上に長くなってます。

次がラストですので、今しばらくお付き合いくださいませ。

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