59 その娼婦は
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翌朝。
アデルは宿の自室でこれまでの情報をまとめていた。
ここはベルノルトがピックアップしてくれた宿の一つで、首都の中心部に程近い場所にある。広くはないが清潔感のある部屋で、一人で泊まるには十分すぎるほどの設備が整っている。提示された料金もこの立地ではあり得ないほどリーズナブルで、思わず耳を疑った程だ。持ち合わせも徐々に目減りする中、紹介してくれたベルノルトには感謝しかない。
コンコンコン……。
控えめなノックの音に顔を上げたアデルは、扉の向こうの人物に名前を尋ねた。相手がアルベルトだと確認し、ようやくカギを開ける。
「おはよう。どうしたの? こんなに朝早く」
「……ごめん、今日は招集がかかってて一日出仕しなきゃいけないんだ。それで、その前にどうしても確認したい事があって…」
「わかった。着替えるから少し待っててくれる? あ、もし時間があるなら下で朝食でもどう?」
「うん。それじゃ、下で待ってる」
その言葉に頷き、アデルは扉を閉めた。
◇■◇
アデルが一階の食堂に降りると、テーブルには既においしそうな朝食が用意されていた。
こんがりと焼かれたトーストにベーコンとソーセージ。ポーチドエッグにマッシュルーム、それにベークドビーンズと焼きトマト。それらが全て大きなプレートに乗せられていた。
『わぁ、おいしそう!』
アデルが席に着くと同時に、湯気の上がるコーヒーとスープが宿の給仕によって運ばれてきた。
笑顔で礼を言うと、さりげないウインクで給仕が答える。
『それじゃ早速。いただきます!』
『いただきます』
アデルはトーストにかじりつくと、コーヒーに口をつけたばかりのアルベルトに目的を尋ねた。
『それで何? 聞きたい事って』
アルベルトはカップをソーサーに戻すと、頷きながらアデルを見た。
『昨日、君の巾着に入っていたラベンダー色の花飾りの事。あれ、僕がプレゼントしたドレスの一部で間違いないよね?』
『……え? う、うん。そうだけど……』
再びその話題になるとは思わず、アデルは気まずそうに頷く。
『あれを外したのはいつ頃か覚えてる?』
アデルの想像とは別の方向に話が向かい、気持ちを切り替える。
『えっと…確か……三年位前かな。料理番になってしばらく経った頃だったから。どうして?』
『君のドレスが、王国の北西部の森で発見されたのが一年程前。という事はその間に、ドレスは誰かの手によって持ち出された事になる。その人物について心当たりはない?』
『心当たり……』
『なんでもいいんだ。普段と違う事、違和感、何でもいい。思い出せる事はない?』
『……』
矢継ぎ早に聞かれ、アデルは記憶の糸を辿る事に没頭する。
確かにドレスの件はアデルも疑問に思っていた。ラウルに日常着を用意してもらって以来、ドレスは他の装飾品と一緒に袋に入れベッドの下に押し込んであった。ドアには内側と外側、両方から鍵が掛けられるようになっており、その両方の鍵を常にアデルが持ち歩いていた。ラウルからは「合い鍵は作ってないから絶対に無くさないでね」と釘を差されていた。つまりアデル以外、あの部屋には誰も入れなかったはずだ。あの三人ですら部屋に招いた事は一度もない。それなのに、なぜドレスを持ち出す事が出来たのか……。
『あ……』
アデルの脳裏に、不意にある記憶がよみがえる。
『そう言えば一度だけ、部屋に人を入れた事がある……。男に絡まれてる所を見かけて、助けてあげた人……。華奢で若い娼婦よ。顔は見てないけど、たぶん初めて見る人だった……』
屋敷には週に一度、娼婦たちが訪れる日があった。そんな日の男たちは大抵機嫌がよく、皆一様に浮足立っていた。一番人気はフェデリカで、皆が一夜の夢を望んでいたが、彼女はテオ以外の男に見向きもしない。部屋に消える二人を悔しげに見つめながら、男たちはそれぞれ自分が気に入った女たちを選び、各々部屋へと消えていく。それらはいつしか日常となり、アデルが心を乱す事も今はもうなくなっていた。
その日もいつものように仕事を終え、部屋に戻る途中だった。鍵を開けドアノブに手をかけた瞬間、廊下の向こうから男の怒鳴り声が聞こえた。いつもの小競り合いかとも思ったが、耳を澄ますとどうも様子がおかしい。一方的に怒鳴り続ける男の声に妙な胸騒ぎがし、気づけば駆け出していた。
「おい! 聞いてんのか?! 出来ねぇってどういうことだよっ! ふざけんじゃねぇぞ!!」
「……」
男の前には一人の娼婦がいた。頭部全体をレースのベールで覆っているため顔はわからないが、一目で新顔だと気づいた。娼婦は壁際で小さくなって肩を抱き、震えている。
気付けば体が動いていた。その娼婦の手を取り、走り出す。足の鎖が歩幅を制限し、重りのせいで速度も出ない。それでも懸命に走って部屋に戻ると急いで鍵を閉めた。男は追ってこなかった。ホッと胸を撫でおろし、女に声をかける。
「あの……大丈夫ですか?」
女は何も言わなかった。俯いたままガタガタと震えている。
アデルは女をベッドに座らせると、掛け布団をすっぽりと頭から被せた。
「もし、仕事の邪魔をしたならごめんなさい。でもそうじゃないなら、落ち着くまでここで休んでいって下さい。みんな帰るのは明日だから、一緒に帰った方がいいです。何かあったらフェデリカさんに相談してみてください。いい人だからきっと相談にのってくれると思います。……それじゃ、おやすみなさい」
アデルは床に横になると、そのまま眠りについた。
朝目覚めると、女は既にいなくなっていた。それ以降、アデルは一度も女を見ていない。
『なぜアデルはその娼婦が初めてだってわかったんだ? 顔は見てないんだろ?』
アルベルトの質問にアデルはフフンと鼻を鳴らした。
『それはね、彼女がボン・キュッ・ボンじゃなかったからよ』
『ぼんきゅっぼん……? 何? それ』
アルベルトが眉間にしわを寄せ、首を傾げる。
アデルは嬉しそうに、当時娼婦たちに教えてもらった言葉に身振りと手ぶりを交えてアルベルトに説明する。
『だから、ボン・キュッ・ボンよ。知らないの?』
『わ、わかった……もう十分だから』
アルベルトが顔を赤くして、視線を逸らす。
「あの屋敷にいた男たちはみんな、胸とお尻の大きな女性が好みだったの。だからあそこに来る娼婦はみんなグラマラスな体型の女性ばかりだったのよ。でも助けてあげた娼婦はそんな感じじゃなかった。小柄で線も細くて胸もお尻も小さかったしくびれもなかった。今までそう言う人が来た事は一度もなかったの。だからよ』
『……なるほど』
アルベルトは、真剣な顔で何かを考えてるようだった。
『君のドレスを持ち出したのはその女性で間違いないだろう。おそらく最初からそれが目的で、娼婦として潜り込んだんだと思う』
『どうして、今更?』
『あのドレスが見つかる事で、君は行方不明者から死亡者になった。君を死んだ事にしなきゃいけない事情が出来たんじゃないかな……』
そう言いながら、アルベルトが何かに気づいたように、真顔になる。
『アルベルト?』
『……アデル、最後に一つ聞いていい?』
『なに?』
『君、監禁中、鎖でつながれてたのか?』
突然話題が変わり、アデルは口元まで運んだベーコンの手を止める。
『ええ。両方の足首を、こう…短めの鎖で繋がれて、鉄の重りをつけられてたの。歩きにくかったし擦れると痛いし、逃げるのなんて到底無理だったわ』
『その事、これまで誰かに話した事は?』
『……お兄様には多分話したと思う。あとはメイドのアリスと……グレイシア様にも話したかな?』
『それ以外には?』
『いないわ。それがどうかした?』
『……いや。僕も初めて聞く話だったから、ちょっとショックで……』
アルベルトは硬い表情のまま席を立つと、ぎこちない笑みを浮かべた。
『そろそろ行かなきゃ。あまり一人では出歩かないように。いいね』
『今日は一日、部屋にいるつもりよ。ねえ、アルベルト。……大丈夫?』
『うん……それじゃ、また』
アルベルトは、振り返ることなくその場を後にした。




