58 濁声の男
アルベルトは静かに立ち上がると男の元へと向かい、耳元で何かを囁いた。男はパッと顔を輝かせると、いそいそとアルベルトについて店を出る。店員に事情を説明し、二人の後を追って外に出たアデルが見たものは、建物の壁に押し付けられ、ボコボコに殴られた男の姿だった。
『ちょ……っ、アルベルト!! やりすぎ……っ』
『初めて会えた関係者だからね。ちょっと力が入っちゃって』
「なんなんだよ! お前は……! 稼ぎのいい仕事はどうした!? 突然何しやがるっ!!」
何が起きたかわからず、男は懸命に逃げようと試みるが、地面に足がついていないため、バタバタと暴れるだけでその場から動けない。
「聞きたいことがあるんだ。五年前、首都のロウェル家の守衛に成りすまし、誘拐の手助けをしたのはお前だな」
男の足がピタリと止まる。
「し……しらない」
「本当か? 今本当の事を言えば見逃してやらない事もない」
「ほ……本当か?」
「僕は嘘は言わない」
「……」
男は急に静かになった。てっきり観念したのだと思ったが、それにしてはなんだか様子がおかしい。よく見れば、男の顔が酒とは違う赤みを帯びている。
『アルベルト……っ! くび……っ! 絞まってるんじゃないっ?!』
「おっと……」
アルベルトが手を離すと、ドスンと男が地面に落ちた。げほげほと咳き込み、ヨダレを垂らしながら男が自分の首を抑える。
「お……おま……っ! 殺す気か?!」
「じゃあ、お前の知ってる事を全部話して貰おうかな」
これまで色んなアルベルトの笑顔は見てきたが、こんな彼の笑みを見るのは初めてだった。アデルはこの時初めて、アルベルトを怒らせてはいけないと心の底から思った。
◇■◇
「俺はダズだ。斡旋屋をやってる。五年前、あの二人に仕事の口添えしたのは俺だ。間違いない」
ダズは諦めたようにその場に座り込むと、アルベルトの質問に素直に答えていく。
「依頼人は誰だ?」
「知らねーよ、んな事。って!………本当だっ!! いちいち殴んなよ! 他国の闇ギルド経由で流れてきた仕事で、やり取りは全部そっちを通してる。依頼人と直接会う事はないんだ! 深入りしないのがこの業界で生き残る術だからな!」
「そのギルドの名前は?」
「聞いたところで無駄だ。探せねーよ。奴らは居場所も名称もコロコロ変える。一つの仕事が終われば繋がりも切れる。一期一会ってやつさ」
「報酬の受け取りは?」
「前金として、ギルド経由で金貨十枚。残りはノールズの屋敷で直接受け取った。取り分は六:四。俺が六で奴らが四だ。ガキの誘拐だけであれだけの報酬とはホントに楽な仕事だったぜ」
がははっ!と笑うダズにアルベルトが一発食らわす。
「額は?」
「いてぇなぁ、ちくしょう……。えーと…確か俺の分だけで金貨三十だったな」
「三十……。全部で五十枚か……多いな」
アルベルトの眉間にしわが寄る。
「おっと、言っとくけど金はもう残ってないぜ。全部派手に使っちまったからなぁ」
「どこで使った?」
「どこでだぁ? はっ! そんなもん女と酒以外、何に使うんだよ。高い女はいいぜぇ~。サービスが全然違うからなぁ」
何を思い出したのかダズの顔がにんまりと緩む。
「……引き込み役がいただろう?」
「引き込み……ああぁ、あの若いメイドか? 手を回したのは俺だが、交渉は奴らとするように言っておいた。殺されちまったらしいなぁ、可哀そうに……」
「……っ! 誰のせいだと思ってるのよ!!」
アデルが思わず声を上げる。
「はぁ? なんだお前、女か? んん? よく見ればかわいい顔してるじゃねーか。ゴダード人か?」
「無駄口を叩くな。もう一発殴られたいのか?!」
「ああ、こわいこわいっ……。はいはい。で? あとは何を聞きたいですかぃ?」
「報酬を渡したのはどんな奴だった」
「さあなぁ…。顔は布で被われてたし、特徴らしいものは何も……あっ、そう言えば手に火傷の跡があったな」
「火傷?」
「ああ。左の……手首の上まで皮膚が引き攣れてた。熱湯か油でも被らない限りああはならないだろうなぁ。ああ痛い痛い……俺も痛い」
「……」
「なんだよ、終わりか? じゃあ俺は飲み直し……って、おい! なんで縛るんだよ!! 話が違うじゃねーか!!」
「最後に一つ、守衛とはどうやって入れ替わった?」
「守衛……? ああ、簡単さ。差し入れのコーヒーに下剤を混ぜたのさ。ありゃあよく効くんだ。おそらく二日は動けなかっただろうぜ。アイツは今どうしてる? 腹の調子はどうですかって……がはっ!」
アルベルトの一発が腹に決まると、男は意識を失った。
「この人……これだけ口が軽くてよく今まで生きてこられたわね」
「同感。なんだか色々余罪も持ってそうだからこのまま首都まで連れて行こう。騎士団の詰所で徹底的に調べてやる」
◇■◇
翌晩。
アデルは再びアルベルトと合流し、互いの情報をすり合わせていた。
『あのダズって男、かなりの事件の余罪を持ってた。最近頻発してる幼児の行方不明事件にも関わっていそうだから、もうしばらく締め上げる事にした。そっちは?』
『うん。ルシアの実家を訪ねてみたの。彼女のお母様からこれを預かって来たわ』
アデルは小さな巾着を取り出した。
『金貨が二枚入ってた。多分報酬の前金だと思う』
『……そうか。金貨は今調べてもらってるけど、事が事だけに慎重にならざるを得なくて……。王宮の方もなんだかごたついてるみたいだし、すぐに結果は出ないかも……』
『何かあったの?』
王宮と聞いて真っ先にグレイシアの顔が浮かぶ。
『詳細は分からないけど、数日前、第二王子殿下と第四騎士団がラクルドに向かったらしい。王妃殿下の周辺が騒がしいみたいだから、王太子殿下絡みなんじゃないかと噂になってる』
『そうなんだ……』
ここにきて、第二王子殿下の話題をよく耳にするようになった。これまで貴族の間ですらその存在はほとんど知られてなかったのに、今では市民たちの間でもかなり親しまれているようだ。
テオドール=ウイングフィールド。
会う機会は一生ないだろうけど、どんな人物なのか一度は見てみたかったと悔やまれる。
『あなたに言われたように、彼女のお母様に同額の金貨をお渡ししたけど、受け取っては貰えなかった。あんな大金を送ってきた時点でおかしいとは思ってたって。お嬢様には本当に申し訳ない事をしたって、そうおっしゃってた』
彼女の実家である商家は、とうに家を畳みリムウェルの南にある田舎に引っ越していた。ロウェル家のメイドという肩書で訪ねたアデルに、彼女の母は深々と頭を下げた。
『彼女のお墓にも行ってきたの。静かで穏やかな、とてもいい場所だった』
『君は……怒ってないの? 彼女の事』
アデルにとってルシアは、誘拐に加担したいわば加害者だ。彼女が甘い誘惑に乗らなければ、アデルが攫われる事はなかったかもしれない。
『少なくとも、僕は許せない。心の狭い男だと思われても構わないよ。この件に関わった奴らは全員、等しく神の罰を受けるべきだと、そう思ってる』
『……そうだね』
アデルは言いかけた言葉を静かに飲み込み、それだけをアルベルトに伝えた。




