56 足取り
『……確かに僕は純粋なゴダード人ではありません。父がソアブルの出身ですから』
予め考えておいた設定を彼女に伝える。
タルジュは長い時間アデルを見つめていたが、ようやく目を伏せると軽く頭を下げた。
『そうですか。不躾な事を申し上げ、大変失礼致しました』
『いえ……』
無機質な謝罪の後、タルジュはセシリアの後ろに下がり、耳元で何かを告げた。
『ごめんなさい、アル。私、この後お友達と約束をしていて、もう行かなきゃいけないの。本当はもっとお話していたいんだけど……』
『いや、僕もそろそろ行くよ。くれぐれも無理だけはしないようにね』
『わかってるわ。アルも気をつけてね』
アルベルトの頬に口づけ、アデルに向かってペコリと頭を下げると、セシリアは侍女と共にその場を立ち去った。
途端に感じる疲労感と安堵感。
ジトッとした汗が首筋を伝う。
「あの侍女……」
アルベルトが、人混みに消えていく二人を目で追いながら小さく呟く。
セシリアとはあまりにタイプが違う侍女タルジュ。
手紙に書かれていた連れて行きたい侍女というのは、おそらく彼女の事だろう。何とも言い難い、不思議な雰囲気を持つ女。初めて会ったはずなのに何かが妙に引っかかる。懸命に記憶の糸を手繰るが、それらしい人物の情報は頭の片隅にも浮かんでこない。
「……」
『それじゃ私たちも、そろそろオルカに向かいましょうか?』
アデルに促され、曖昧に頷く。怪訝な面持ちのままアルベルトはアデルの後に続いた。
■◇■
宿場町だというオルカは、アデルが思ってた以上に賑わいのある大きな街だった。
『リーネの森からだと三十分くらいか。体感的にどう?』
アルベルトが馬車寄せに馬を繋ぎ、そう尋ねる。
『そうね。時間的にはこれくらい……多分この街だと思う』
アデルは目を閉じ、周囲の音に耳を澄ました。
季節も時間帯もあの日とは異なるし、月日も経ち、人も街並みもずいぶん変わっているに違いない。それでも、賑わいというか、街の喧騒の種類はあの日と同じな気がした。そんなたくさんの音の中から、アデルはふと聞き覚えのある声を見つけた。一際大きく元気のいい女性の呼び込み。おそらくあの日の女性の声だ。
「はーいはいはいっ! いらっしゃい、いらっしゃ〜い! 串焼きだよ! おいしい串焼き! おっ、そこの坊ちゃん!! どうだい、食べてかないかい? おいしいよ!」
よく通る声を頼りに人混みをかき分けると、恰幅のいい女性と目が合った。ニッコリと笑いかけられ、ずずいと香ばしい肉の串刺しが差し出される。反射的にそれを受け取ると、上向きにした手の指をクイクイっと小さく動かす。アデルが首を傾げると、即座にアルベルトが銀貨を乗せて声をかける。
「あの、僕たち昔、アンガスという男に世話になった事があって、行方をずっと探しているんですが、ご存じありませんか? 最近この街で見たって人伝に聞いて……」
「アンガス?」
女性は銀貨に目を丸くすると、何事もなかったかのようにポケットにしまう。そしてアルベルトの頭のてっぺんからつま先まで視線を移動させると、はぁぁ~ん、と驚きの声を上げた。
「あいつが人に親切にするなんて事あるんだね〜。びっくりだ」
「知ってるんですか?」
「知ってるもなにも、アイツの家はうちの向かいだよ。でも最近は、とんと見かけないけどねぇ。どこで何してるんだか」
「何をしてる人なんですか?」
「さぁねぇ。昔は傭兵としてあっちこっち引っ張りだこだったらしいけど、足を怪我して思うように動けなくなってからはくさくさしてたからねぇ。暇さえあれば酒ばっかり飲んでたよ。たまに日払いの仕事を見つけてきては昔馴染みと出かけてたみたいだけど……。そう言えば一度だけ、すごい大金が入ったって大騒ぎしてた事があったっけ」
「あの、覚えてたらでいいんです。五年ほど前、ここを馬車で通った事はありませんか?」
「五年前……?」
女性は眉間にしわを寄せ、視線を上にあげた。
「ああ……そう言えば、珍しく荷馬車で通りがかった事があったねぇ。荷物なんて何も載せてなかったけど。……いや、なんか載ってたね。大きなトランクが一つ。いよいよ強盗でもしてきたんじゃないかって一時期噂になってたよ。ちょうどその頃じゃなかったかい? たいそう羽振りが良かったのは」
「彼は一人でしたか?」
「いや。もう一人いたね。……顔は見なかったけどあれは多分オージーだろう」
「オージー?」
「ヤツとよくつるんでた男さ。傭兵時代の同期だって聞いた事がある」
「その人は今……」
「死んだよ。酔って川に落ちてそのまま。思えばその頃からアンガスも見なくなったねぇ。あいつもどっかで押っ死んでんじゃないのかい? 碌な男じゃなかったからね」
「あの……彼らの知り合いにだみ声の男なんていませんでしたか?」
「だみ声の男……? はっはっはっ!! そんなのこの街中にどれだけいると思ってるんだい。何ならうちの亭主もそのうちの一人さ!! なぁ、あんた!」
女性の呼びかけに屋台の中のガタイのいい男が「おう!」と威勢のいい声を出す。確かに筋金入りのだみ声だ。
『どう?』
『違う。こんな声じゃなかった』
二人は串焼きをもう一本貰い、銀貨を二枚渡すと礼を言い、その場を離れた。
焼きたて熱々の串焼きは香ばしく、甘めのたれが絡んでとてもおいしい。
『君が屋台の串焼きにかぶりつく姿を見る日が来るなんて、夢にも思わなかったよ』
『ふふっ、そうでしょ? 家を出てから覚えたの。こんなにおいしいんだったらもっと早く食べたかったわ』
街に出る事すら許されなかったアデルが、買い食いなんて許されるはずがなかった。たまに外出が許された時、馬車の中まで漂ってきた香りの正体を想像するだけだった当時の自分に教えてやりたい。
『これからどうする?』
『とりあえず、アンガスという男の家に行ってみましょう。何か手掛かりがあるかもしれないわ』
◇■◇
教えてもらった男の家は、石造りの古びた長屋の一角にあった。
大家の許可を取って中に入ると、そこはすべてが見渡せる狭い空間が一つあるだけで、家具と言ったら粗末なベッドとテーブルがあるのみ。あちこちに酒瓶が散らばり、それらにすら薄ら高く埃が積もっている。
「随分長い事帰ってないみたいだね」
アルベルトがテーブルに軽く触れ、手をはたく。
「手掛かりになりそうな物は……何にもないわね」
「でも、あの女性の話を聞く限り、あの時の犯人はアンガスとオージーで間違いないと思う。足を怪我してたって言ってたし、ロウェルで見た引きずるような靴跡とも符合する」
「一人は亡くなり、一人は行方不明……。これ以上の捜索は無理かな」
アデルが小さくため息をつく。
「とりあえずアンガスの方は、もう少し調べてみるよ。生きているならそれなりに足取りは残しているだろうから」
「ありがとう。お願いするわ」
二人は入り口に向かいドアを開けた。
「……?」
ふいにアデルの視線の先に何かが光った。
「アデル?」
「あそこ、なにか落ちてる」
扉の横の小さなモノを拾い上げ、埃を拭う。
「これ……」
落ちていたのは、リムウェルの初代国王の横顔が刻印された一枚の金貨だった。
犯人が特定されました。その名もアンガスとオージー。
スーパーでお馴染みですね。




