55 募る想い
『おはよう、アルベルト』
首都に戻る途中、馬車の中で決めたアデルの仮の名『アスファル』。ゴダード語で黄色を意味する言葉で、アデルの瞳にちなみアルベルトが名付けたものだ。何となく本名の音に近いのが気になるが、ゴダードではよくある名前のため、当面この名を名乗る事に決めた。
『尋ね人の掲示板か。赤ん坊…生後三日……か。かわいそうに。最近多いんだ。小さな子どもの誘拐事件』
アルベルトに言われ、再度張り紙に目を落とすと、確かに五歳以下の子どもの行方を捜すものが多い。
『騎士団でも捜索や見回りを強化してるんだけど、なかなか成果が出せていない。不甲斐ない限りだよ』
『心配でしょうね、お父さんもお母さんも……』
家族の気持ちを考えると胸が痛む。そして、誘拐された子どもの気持ちも、痛い程わかる。
『早く見つかって欲しいわね』
『そうだね』
アルベルトの同意にアデルも頷いた。
『あの、ごめん。もう少しこの掲示板、見ててもいい?』
『構わないけど、何か気になる事でもあるの?』
『うん。何か手がかりが見つけられないかと思って』
アデルはカバンの中から麻の巾着袋を取り出すと広げて中を見せた。中身は屋敷で掘り起こしたあの『形見』たちだ。
『二人には関わるなって言われたけど、でもやっぱり気になっちゃって。彼らが私にこれを託したって事は、会いたい人がいたって事でしょ? もしかしたらこの張り紙の中に、彼らを探している人がいるかもしれないって思って…』
形見の多くは他国の意匠性が高く、彼らがこの国の人間である可能性は限りなく低い。それでも僅かな可能性があるならば、できる限り手は尽くしてあげたいと思った。
『これは……?』
アルベルトは袋の中に、見覚えのあるラベンダー色の花飾りを見つけた。
「あ…っ! それは…っ 違うの……っ!」
慌てて巾着の口を絞りへへッと笑うアデル。そして再び掲示板の前に立つと、必死に踵を上げ、一枚一枚丁寧にめくりながら手がかりを探し始めた。
その真剣な横顔を見つめながら、アルベルトの胸は締め付けられるように痛んだ。
その花飾りがそこにある理由。
それは紛れもなく、幼い彼女が彼ら同様もしもに備え、生きた証を残そうとしたから。
「………」
アルベルトは無意識のうちに強く拳を握っていた。そして、自身のこれまでの行いを省みて、唇を強く噛みしめた。
アデルは今も昔も、何も変わってはいなかった。
自身の事より他者を優先する所も、決して人を悪く言わない所も、弱い自分を見せたがらない所も何もかも。そんな事、正面から向き合えばすぐに気付けたはずだった。それなのに、アルベルトは自身の後ろめたさから、彼女という存在に目を背け、結果ひどく彼女を傷つけてしまった。
にも関わらず、アデルは再会した日から一度も、アルベルトを責めようとはしない。一度でも怒り罵倒し、拳を振り上げてくれたなら、少しは気が楽になれたかもしれない……。ふとそんな事を考えたアルベルトは、再び自分の弱さを恥じた。
強く美しく高潔な女性アデル。そんな彼女が愛おしくて、大好きで、その感情は決して今も色褪せてはいない。
あの頃はいつでも伝える事が出来た言葉も、今はもう、二度と口にする事はできない。それがすべて、自身の愚かな行動の結果だと分かっていても、心が締め付けられるような感覚は日毎に増していく。
『……僕も手伝うよ。見せて』
溢れそうになる思いを飲み込み、あくまで『友人』として彼女に接する。その一線を越えれば、きっと彼女は今すぐにでも自分から離れてしまうだろうから。
彼女と共にいられるこの時間が少しでも長く続けばいい、アルベルトは切にそう願っていた。
◇■◇
結局大した成果を得られることなく施設を後にした二人は、馬車の待機所へ向かって歩き出した。ここからは一旦ロウェル家の屋敷に向かい、そこを起点にオルカの町まで向かう予定だ。
『当日の足取りを再現するために、リーネの森付近に荷馬車を待機させてある。とりあえず、ロウェル家からはウチの馬車を使おう』
『ありがとう。何から何まで助かる』
全てをアルベルトに任せきりで心苦しくはあるが、多くの情報を持つアルベルトと行動できるのは、正直ありがたかった。
その時だった。
「あら? アル?」
声を掛けられ、アルベルトが振り返る。
「やっぱりアルだわ! どうしたの? こんなところで」
そこにいたのは、侍女らしき女性と並んで立つセシリアだった。
「……セシリア?」
心底驚いた顔でアルベルトが、妻の名を呼ぶ。
「君こそ…どうしてこんな所に? 体調は大丈夫なのか?」
アルベルトの視線が、無意識に彼女の腹部を見る。
アデルが最後に見た時とは比べ物にならないほど、前に大きく張り出したお腹。それ以外は特に変わった様子もないため、その大きさがより際立って見える。
「今日は体調が良かったから、気分転換にここまで来てみたの。お医者様も少しは動いた方がいいって仰るから。あの……お仕事中?」
セシリアが、アルベルトの肩越しにひょいっと顔を覗かせる。
「いや、今日は仕事じゃないんだ。……アデルの件で新しい情報が手に入ったから、その足取りを追ってオルカまで行く予定だ。彼は友人のアスファル。今回の調査を手伝ってもらってる」
嘘ではないが、動揺もせずこれだけすらすらと言葉が出るなんて、これもまたアデルの知らないアルベルトの一面だった。
「まあ! そうだったの。初めましてアスファルさん。私はアルベルトの妻でセシリアと言います」
そう言って手を差し出され、アデルも覚悟を決めた。
『初めまして。僕の名はアスファルです。どうぞよろしく』
公爵夫人となったのなら、おそらくゴダード語は習得済のはず。ゴダード語は男性と女性で使う単語が異なるため、怪しまれないよう慎重に言葉を選ぶ。
「……あ、あのごめんなさい。ゴダード語よね? 私まだ聞き取りは出来なくて……。タルジュ。彼は何て仰っているの?」
タルジュと呼ばれた侍女が、軽くセシリアに頭を下げ、アデルの言葉を彼女に伝える。女性にしては背が高く、黒髪に赤い瞳。ゴダード人の典型的な特徴を持った美しい女性だ。
『あなたはゴダードの方ですか?』
これまで会った事のあるゴダード人は男性ばかりだったため、初めて会う女性につい興味を持って話しかけた。
『はい、出身はゴダードです。が、子供の頃攫われ、この国に売られてきましたので、多くの時間はこのリムウェルで過ごしています』
『……?!』
淡々と、無機質な口調で他人事のように話すタルジュ。隣では、セシリアがハテナを浮かべた笑顔でウンウンと頷いている。
『申し訳ありません。興味本位で立ち入りました』
『構いません。私からも、一つよろしいですか?』
『なんでしょう?』
『あなたはゴダード人ではありませんね?』
不意を突かれ、息を呑む。
アデルを見るタルジュの瞳がまるで無機質なガラス玉のようで、アデルはそこから目を逸らすことが出来なかった。
勝手にゴダード語にしていますが、アスファルはアラビア語です。因みにタルジュは『氷』だそうです。




