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54 それぞれの疑念

「お帰りなさいませ、旦那様」


 マクミラン家の家令であるステファンは、いつものように若い主の帰宅を出迎えた。上着を受け取り、外した手袋をその上に受ける。その後は主からの言葉を待ち、その日の報告を手短に伝える。それは先代の頃から変わらないルーティン。でも今日は、ほんの少しいつもと違った。


「何かいい事がありましたか?」


 思わずそんな言葉が先に出た。

 振り返ったアルベルトが驚いたように、年老いた家令を見つめる。そして困ったように手で口元を覆った。


「そう見えるか?」

「はい。そのように晴れやかなお顔の旦那様は、久しぶりに拝見しました」


 婚約者だったアデルを攫われ、心を壊してしまった若き日の主人。その後愛する伴侶と出会い幸せの真っ只中にあって尚、彼の顔に昔のような笑顔が戻ることはなかった。


「いい事……というか、新しい友人が出来たんだ」


 はにかんだような笑顔に、ステファンの胸に僅かな疑念が生まれた。一途なアルベルトに限ってそんな事はないと思うが、もしかしたら……という可能性も否定はできない。事と次第によっては先代への報告が余儀なくされる。


「新しいご友人でございますか」

「ああ。彼とはとても話があって……、一緒にいても全く気を使わない良い人なんだ。二日ほど行動を共にしたんだが、とても楽しい時間だった」


 「彼」という言葉に、ステファンはすぐさま浮かんだ疑念をかき消した。


「左様でございましたか。そのような方とは末永くお付き合いできるとよろしゅうございますね」


 なにげない家令の言葉に、浮かれていたアルベルトの心は一瞬で冷えた。そうだ。自分がアデルと行動を共にできるのはたった五日だけ。それが過ぎたら、今後二度と、彼女に関わる事はできないだろう。その現実に、高揚していた気持ちが一気に消沈する。


「……明日から数日、その友人と共に過ごす。これが最後だ。今後は家門の仕事に従事するから、もう少しだけ時間をくれ。そう父上には伝えて欲しい」

「……承知いたしました」


 先程までとは打って変わり急に顔を曇らせた主を、ステファンは痛ましい気持ちで見つめた。しかしこれ以上の差し出口は、家令としての分を越えてしまう。ステファンは喉元まで出かかった言葉を飲み込み、それだけを口にした。


「セシリア……いや、オルコット家からは、何か連絡は来ていないか? たとえば出産の報告とか」


 そんなはずはないと思いつつ、マチルダの言葉がずっと気になっていた。


「……? 特に来てはおりませんが、セシリア様からのお手紙はお部屋の方にお持ち致しました」

「そうか。ありがとう」


 自室に戻ると、アルベルトは机に置かれた封書を手に取った。彼女の好きなピンク色の封筒からは沈丁花(ダフネ)の香りが薄く香る。ペーパーナイフで封を切ると、クセのある文字で便箋いっぱいに近況が書かれていた。



《アル、元気ですか?

って、数日前に会ったばかりなのにこんな書き方もおかしいわね。

私の方は、あれからそんなに体調の変化はありません。相変わらずお腹は張るし腰も痛いけど、それはみんなが通る道なんだってお医者さんに言われちゃった。赤ちゃんも頑張ってるんだから、私も少しぐらい辛いのは我慢しなくちゃね。それから、最近食欲がすごいの。お医者さんは赤ちゃんが下に降りてきたからじゃないかって。次に会った時、私だってわからなかったらどうしようって、すごく心配してます。あ、今笑ったでしょう? 本気で心配してるんだから……。見た目が変わったからって嫌いになったりしないでね。


アデル様の調査の方は順調ですか?

私も何かお手伝いできればいいんだけど、今は足手まといになるだけだから我慢するね。役に立てなくて本当にごめんなさい。でも無事出産したら何でもするから、遠慮なく言ってちょうだい。


それから、そちらに戻る時に侍女を一人連れて行きたいの。私がオルコットに来てからずっとお世話になっていて、一緒にいると安心できる人なの。私は、あまりマクミラン家のみんなに歓迎されてないから、赤ちゃんと二人だけで戻るのは少し不安で……。あ、でもみんながいい人たちだって事は分かってるのよ。私が至らないだけで、もっと頑張ればいいだけの事だから。

なんか愚痴みたいな事ばっかになっちゃった。ごめんなさい。


私の事は心配しないでね。それより私はアルの方が心配だわ。あなたは思いつめる人だから無茶してないかって。体には十分注意して下さい。無理にこっちに足を運んでくれなくても大丈夫です。産まれたらすぐに遣いを送ります。愛してるわ。

あなたのセシリアより》



 手紙は昨日の日付で書かれていた。

 アルベルトは手紙を丁寧にたたむと、封筒にそっと口づけた。


「やっぱり、マチルダ嬢の見間違いか……」


 ホッした半面、何か得体のしれない感情が胸の中に澱みを作る。

 その感情が何なのか、アルベルトにもわからなかった。



◇■◇



 翌日。


 アデルはアルベルトと約束した場所へと足を運んでいた。

 そこは数年前、首都の中央広場に設置された市民の交流所のような所で、仕事の斡旋や、困りごと、役所では相談に乗ってもらえない些細な事などを相談しに来る所だそうだ。一角には休憩所のようなスペースもあり、無料で飲める水やお茶があったり、市民同士、お菓子や軽食を持ち寄る事もできたりと、老若男女問わずに交流できる場所らしく、発案者は第二王子殿下だそう。


 アデルは休憩所で貰った水を片手に、ある壁面をじっと見つめていた。

 《尋ね人》と書かれたプレートの下には、何枚もの紙が無造作に貼りつけられている。それは年代別になっているようで、上に行くほど古く、下の物程新しい。


『……これは三日前……、これは今日か』


 真新しい紙には、それぞれ項目が決められているようで、探したい人物の情報が事細かく記されている。


『ええっと……ロバート、年齢六十五歳。男性。頭髪白。頭頂部は薄いが後ろは長く、一つに束ねている。胸元まで顎鬚有。瞳は青。昨日夕方、自宅から空の鍋を持って出かけたまま帰ってこない。見つけてくれた方には銀貨三枚差し上げます』


 どうやら報酬込みで市民に呼び掛けるのが暗黙のルールのようだ。


『えーと、こっちは三日前……か。リオネル。生後三日。男性。頭髪金。瞳ヘーゼル。足裏に花のような形のあざ有。自宅から何者かに攫われた可能性あり。情提供者には金貨一枚差し上げます……か』

『何見てるんだ? ()()()()()


 振り返るとアルベルトが、人好きのする笑顔でほほ笑んでいた。



セシリアの手紙は、段落とかセシリア仕様で書いています。

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思わず人物紹介を見に行った自分が嫌だ
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