48 ガーネットの行方
今話より時間軸=現在です。
「事情はわかった。それで、今日はこれからどうするの?」
全てを話し終えたアデルに、アルベルトはそう尋ねた。気づけば日は西に傾き、空にはうっすらオレンジ色が溶け始めている。時間的にもこれから周辺の探索をするのは難しいだろう。
「とりあえず町に戻るわ。知り合いが宿を手配してくれているの」
ソアブルを出発する前、ベルノルトに休暇の打診をしたところ、ゴドウィン商会の伝手で宿をいくつか紹介してもらった。当分はそこを起点に動くつもりだ。
「わかった。じゃあ、町まで送るよ」
アルベルトは立ち上がると、木陰に繋いだ馬の手綱を解いた。
「え?! いいわよ! 日暮れにはまだ時間があるし、歩いて戻れるから」
「ここから町まで、男の足でも一時間以上はかかる。明日からも調査を続ける気なら、今日は早めに宿に戻って疲れを癒した方がいい」
「でも……」
ありがたい提案ではあるが、まもなく出産を迎えるであろうセシリアを思うと、ここで彼に甘える訳にはいかない。
「やっぱり遠慮しておくわ。あなたの評判をこれ以上下げる訳にもいかないから」
アデルの考えを汲み取ってくれたのか、アルベルトはあっさりと引き下がった。
「そうか。わかった。それじゃ、気を付けて」
「ええ、あなたも。元気でね」
アルベルトがひらりと馬に跨る。馬に指示を出し数歩動き出した所で、なぜか彼は再び馬を止めた。
「……?」
「ああ、そうだ。言い忘れてたけど、この辺りはかなり野犬が多いんだ。それに大型の獣も。先日も通りがかった人が襲われたらしくて……。日が暮れると特に危ないから急いだ方がいい。くれぐれも道中気を付けて」
「え!?」
アデルは不意に思い出した。
監禁されていた頃、夜になると毎晩のように聞こえる獣の遠吠えに怯えていた事を。
「それじゃ」
「あ、あの……っ! ちょっと待って!」
「なに?」
「あの……できたら、その……、何か身を守れる物を貸してくれない? 例えば短剣、とか……」
「…………ふっ、あはははっ」
突然笑い出したアルベルトに、アデルの顔は悔しさと恥ずかしさで赤く染まる。
「君は変わらないな。そういう時は素直に甘えればいいんだよ」
「いや、そういう訳には……」
「だったら、こういうのはどう? 幸いこう見えて、僕は有能な騎士なんだ。だから町までの護衛として僕を雇う。どうかな?」
「……」
アルベルトはアデルの事を変わらないと言ったが、変わらないのはむしろ彼の方だと思った。アデルが気負わず幼少期を過ごせたのも、彼のこの性格のおかげだったと言える。
「それじゃ、あまり持ち合わせはないんだけど、何か……。あ、このペンダント、有能な騎士の護衛代くらいにはなるかしら?」
雇うとなればそれなりの報酬が必要となる。アデルが首から引っ張り出したのは兄から貰ったガーネットのペンダントだった。アデルの持つ唯一のアクセサリーだが、手持ちの中で対価になるような物が他には見当たらない。
ペンダントを見たアルベルトの目が、瞬時にその一点に釘付けになる。
「……渡してくれたのか」
呟いた一言はあまりに小さく、アデルの耳には届かなかった。
「ん? 何か言った?」
「……いや、何でもない。でもそのペンダントは、悪いけど受け取れない。それ、ノアからの贈り物だろ?」
「……どうしてわかるの?」
「……わかるよ。君に物を贈るのはノアか僕くらいしかいなかったじゃないか? それは…君が持ってた方がいい」
「そう…だよね。それじゃ……」
もう一度、カバンの中をゴソゴソと探るアデル。
かつて自身が幸せにすると誓った少女。己の手を離れ、今を逞しく生きている彼女をアルベルトは無言で見下ろす。
美しい装飾品で飾り立てられ寂しそうに微笑んでいた少女は今、粗末な服を身に纏い、生き生きと瞳を輝かせる。それが嬉しくもあり、寂しくもあった。
「あのさ、アデル」
「ん?」
「もし僕への報酬を考えてくれているなら、欲しいものがあるんだ」
「? なに?」
「情報を。君が連れ去られてから、ここに来るまでの事を、覚えている範囲でいいから教えて欲しい」
◇■◇
翌日。
宿屋で朝食を食べていたアデルの前に、アルベルトがやってきた。
「おはよう、アデル」
「……」
「どうしたの?」
険しい顔でアルベルトを見上げるアデルに、首を傾げて問う。
「随分早くない? 何時だと思ってるの?それに昨日の今日よ。仕事は? セシリアさん、もうそろそろ産み月でしょ? 傍にいてあげなきゃいけないんじゃないの?」
矢継ぎ早の質問に、アルベルトは「ああ」と頷くと、向かいの椅子に腰を下ろしアデルと同じ食事を注文する。
「昨日は近くの屯所に泊めてもらったんだ。セシリアは先週からオルコットの家に帰ってる。出産はどうしても実家でしたいっていう彼女の希望でね。仕事は休暇中。休みが溜まってたから今のうちに消化しようと思って。もうすぐ騎士団も退団する事になってるから」
爵位を継いで二か月余り、家門の実権は未だ父が握っている。騎士団と家業との兼職は若いアルベルトには荷が重く、結局は騎士団を辞する事になった。幼い婚約者を守るため、早く一人前になるために就いた職業だったが、今はもう続けていく理由もない。誇りを持って取り組んできた仕事だが、迷惑をかけた父や愛する妻、そして生まれてくる子どものために、今度は一刻も早く一人前の当主になる事がアルベルトの責務となった。
「君がいなくなって五年、その捜索に僕は多くの時間を費やしてきた。ここまで大した成果もあげられなかったけれど、出来れば解決まで見届けたい。この休暇中に何もつかめなかったら、きっぱりこの件から手を引こうと思っていた所で、運良く君に再会できた。君が事件を追ってるなら目的は同じだ。僕にも協力させてもらえないかな? 頼む」
「……」
頭を下げられ、アデルは困惑した。同じ目的の仲間ができるのは正直心強い。でもそれがアルベルトとなるとすぐには頷けない。
気にかかるのは、やはりセシリアの事。
おそらく今が一番大変な時なのに、自分の夫が他の女と行動を共にしていたらどう思うだろう。これはモラルの問題だ。
「……ごめんなさい。気持ちは嬉しいけど、やっぱり一緒には行動出来ない。私が言うのもなんだけど、アルベルトはもうこの件から離れた方がいいと思う。休暇中なら尚更セシリアさんの傍にいてあげて」
「……」
アルベルトは、テーブルに目を落としたまま黙っていた。真剣な眼差しのまま、何かをじっと考えているようだ。あまり見慣れない表情に、アデルも様子を窺う。
「報酬……」
「……え?」
唐突にアルベルトが顔を上げた。
「昨日の報酬。忘れた訳じゃないよね? それを貰うまで、僕は絶対に帰らない」
「……」
かつての見慣れた笑みを浮かべて、アルベルトは運ばれてきた食事に手を伸ばした。
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