46 究明 ~アルベルト~ ②
引き続き回想回です。アルベルト編はここまで。
「セシリア。ちょっといいかな?」
就寝前、彼女の部屋を訪ねるとすぐにドアが開いた。
「どうしたの? アル」
灯りを置いた机には、開かれたままの教本とノート。ドアにかけた手にはインクをふき取ったような跡が見える。
「こんな時間まで勉強を?」
「そうなの……。ゴダード語って難しくて。アデル様は十歳から始めて一年で習得されたって先生が仰っていたのに、私は全然ダメ。ほんと尊敬しちゃう。私も頑張らなくちゃ」
ムンっと胸の辺りで両手を握る。
「それで? こんな時間にどうしたの? 明日もお仕事なんだからアルは早く休まないと」
気遣うようにセシリアが眉間を寄せる。
「実は、君に聞きたい事があって……今更で申し訳ないんだけど」
「聞きたい事?」
セシリアは部屋に入るようアルベルトを促し、自分もカウチに腰を下ろした。
「夜会があった日……、君が回廊でアデルを待っていて、君の方から話しかけたっていう話を聞いたんだけど、それは本当かい?」
セシリアは一瞬きょとんとした顔をしたが、すぐに笑顔で答えた。
「ええ、本当よ」
「なぜ話しかけたんだ? なぜ君は、アデルが夜会に来ている事を知っていた?」
「教えてもらったの。アクセサリーを売りに来た出入りの業者さんに」
「出入りの業者……?」
「その人、ロウェル家のお屋敷にも行ってきたって言うから、アデル様も参加されるのかって聞いたの。そうしたら、アクセサリーのオーダーを貰ったって教えてくれて……。会場にはいらっしゃらなかったから、あちこち探して回廊で休んでいたら、偶然お見掛けして声をかけたの。ちゃんと謝りたかったから……」
「……謝る?」
「ええそうよ。だって私のせいだもの。あなたとの婚約を破棄されてアデル様がお一人になってしまったのは。だから自分の口からちゃんと謝らなきゃってずっと思ってたの。あなたの子を身籠ってしまって申し訳なく思ってますって。アルの事も許して欲しい、もう責めないでって、そうお願いしたの。そしたらアデル様に厳しく叱られてしまって……。謝ってもらう必要はない、公爵夫人になるんだからもっと言動には気をつけろって、そう言われちゃった。とても怖かったわ。そうしたら急にお腹が痛くなってしまって……」
「……」
アルベルトは一瞬、自分の意識が遠のくのを感じた。
純粋なのが取り柄のセシリアだが、その長所は紙一重だと思った。もっと気性の荒い令嬢だったら、おそらく注意くらいでは済まなかったはずだ。
「……アデルに、手を上げられたりしたかい?」
「まさか……っ! そんな事、アデル様がなさるわけないじゃない。え? もしかしてそんな噂が広まっているの?!」
両手をギュっと握りオロオロとアルベルトを見る。
「そんな……! どうしよう……っ ごめんなさい……っ! 私、お屋敷の中にずっと籠りっぱなしだったからそんな事になってるなんて知らなくて……っ」
口元に両手を当て、ショックを受けたようにセシリアが目を潤ませる。アルベルトはセシリアの前に片膝をつくと、そっと彼女の手を握った。
「ねえ、セシリア。アデルはきっと、君の事を思って厳しい事を言ったんだと思う。それはわかってもらえる?」
「もちろんよ。アデル様はそういう方だもの」
「君が優しい女性だという事は僕が一番よくわかってるし、悪い事をしたからと反省する気持ちも間違ってはいない。でもね、立場は弁える必要がある」
「立場をわきまえる……?」
セシリアが困ったように首を傾げる。
「僕とアデルの婚約解消は、あくまで僕とアデルの問題だ。アデルからすれば、君に謝られるという事はとても不快な事だったと思う」
「……わからないわ。どうして不快になるの? 悪い事をしたら謝るのは当たり前でしょ? 全ての責任をあなたに負わせて、黙って見てるなんて私にはできない。だって私たちは夫婦になるんですもの。責任の半分は私にもある。だから私からもちゃんと謝って、その上で二人の事を認めて頂きたかったの。それはいけない事なの?」
セシリアの主張に、アルベルトはすぐには言葉が出なかった。正しいけれど正しくない。彼女の言っている事は正論ではあるけれど、人の気持ちを慮ったものでは決してない。彼女を傷つけないよう、うまく伝える方法を模索していると、突然、セシリアの瞳からポタリと涙がこぼれた。
「……もしかして怒ってる?」
「……え?」
「ごめんなさい……私、間違えちゃったのね……。ちゃんとあなたにお話しして、ついて来て貰えばよかった。私が一人で勝手な事をしたから怒ってるんでしょ……?」
あまりに的外れな謝罪に、アルベルトは再び言葉を失う。
教師たちが彼女に対して口々に言う「資質」という言葉。これまでは軽く受け流していたが、今後は真剣に向き合う必要をあると強く感じた。
アデルなら……、不意に脳裏をかすめた言葉を慌ててかき消す。
「……怒ってるわけじゃないよ。大丈夫だから泣かないで。君は今のままで十分だから。ただ、今回の事はこのままにはしておけないと思ってる。噂を放置して、これ以上彼女の尊厳が損なわれる事がないよう、みんなの誤解を解きたい。君には嫌な思いをさせるかもしれないけど……」
「嫌な思いなんてするわけないじゃない! アデル様には本当に申し訳ないと思っているの……。私にできることなら何でもする。お願い、私にも手伝わせて!」
「……ありがとう、セシリア」
その後、夜会での噂は急速に終息した。
当事者であるセシリアの涙ながらの訴えに、社交界……特に女性たちの心が大きく動いた。
「婚約者の前のお相手の事にここまで心を尽くすことが出来るなんて、なんて寛大で美しい心の持ち主なのかしら」
「私なら間違いなく口を閉ざしてしまうのに……。女性として本当に尊敬してしまいますわ」
「これまでお会いした事はありませんでしたけど、今度お茶にご招待しようかしら」
皆、口々にセシリアの事を褒めそやす。
アデルの名誉が回復すると同時に、世間のセシリアに対する評価もぐんぐんと上がっていった。そんな評判を受けても、決して思い上がることなく、常に謙虚な姿勢を貫くセシリアは世間により好印象を与え、厳しかった教師陣たちをも黙らせた。
アルベルトはこの結果を、何とも言えない気持ちで迎えた。胸には小さなしこりが出来たような奇妙な違和感。それが何なのか、この時のアルベルトにはまだわかっていなかった。




