45 究明 ~アルベルト~ ①
回想回です。アデルがソアブルに移住直後くらいのアルベルトのお話です。
ロウェル家の執事に見送られ、アルベルトは屋敷を出た。
得も言われぬ空虚感に苛まれながら、トボトボと帰路につく。
「お帰りなさいませ、お坊ちゃま。……雨でございますか?」
出迎えた家令が窓に目を向け、そう尋ねる。
「いや……、酔い覚ましに少し水を被っただけだよ。それより、セシリアは?」
「本日も随分お疲れのようで、先にお休みになりました」
セシリアの婦人教育は、三か月たった今でもあまり進展は見られなかった。作法、マナー、所作。どれをとっても今一つ及ばない。外国語、特にゴダード語の習得に至ってはかなり手こずっていると聞く。
「かなり無理をさせているからな……」
ひと月後に控えた挙式の準備もある中、疲労はピークに達しているのかもしれない。
普通なら幼い頃から段階を踏んで習得するそれらを、この短期間で詰め込まされているセシリア。彼女の生い立ちを考えれば無理もないのだと擁護する気持ちはあれど、使用人や教師たちはそれを良しとしなかった。言葉には出さないが「アデル様の代わりであれば」、そんな意思がひしひしと伝わる。
授業の中ではかなり厳しい言葉が飛ぶ場面もあると聞いた。それでもセシリアは、文句の一つも言わず愚痴もこぼさず、涙も見せない。そんな彼女の健気な姿勢を何よりも、そして誰よりも愛おしく思う。
「父上は?」
「夕刻、領地へと向かわれました。お帰りは当分先になるとの事です」
「そうか……」
父の意向で、挙式後すぐに爵位を継ぐ事になったアルベルトのため、父は寝る間も惜しんで駆けずり回っている。これ以上勝手な振る舞いをさせまいという父の強い意思。近い未来、第二騎士団の職も退く事になるだろう。これまでの己の振舞いに多少なりとも罪悪感を持つアルベルトとしては、今回ばかりは黙って従うしかない。
◆□◆
翌日、アルベルトは王宮にいた。
近衛を除隊させられてからは、一度も寄り付かなったかつての古巣。
目的は父に代わり、各方面への書類の提出と爵位継承の手続きのためだったが、気まずさもあり早々に帰路につく。そこに、
「アルベルト!」
駆けてきたのはかつての同僚、ロアン=ソワールだった。伯爵家の次男で、近衛に入った頃一番世話になった男だ。
「ロアン、久しぶりだな。元気だった……」
言い終わらぬうち、強く壁に押し付けられ言葉を飲む。
「おいっ、いきなり何を……っ」
常に微笑みを湛えていた男の鋭い視線に、思わず口を閉じる。
「聞いたぞ、夜会での事……っ。それにアデル嬢の事も! お前はなんて事をしたんだっ!」
これまで聞いた事のない怒声に、アルベルトの目が大きく見開く。
「あの日……俺はアデル嬢の案内役だったんだ。グレイシア殿下に呼ばれた彼女を見送る途中、待っていたお前の婚約者と鉢合わせした。……それがなんでアデル嬢が彼女を呼び出し、手を上げた事になっている!?」
「え……?」
アルベルトの知る事実とは異なる指摘に言葉を失う。
「待っていた? セシリアが? そんなはずは……」
当夜、アデルが夜会に来ているなんてアルベルトは知らなかった。当然、屋敷に籠りっきりのセシリアがそんな事を知るはずがない。
「何かの間違いだろう。僕たちはアデルが夜会に来ていた事すら知らなかったんだから」
「人気のない回廊で、彼女は確かに待っていたと口にした。話をさせて欲しいとも。戸惑っていたのはむしろアデル嬢の方だった。俺がいたから話しづらかったのか、なかなか要件を口にせず、見かねたアデル嬢が俺を下がらせたんだ。彼女から何も聞いていないのか?!」
会場から連れ出した彼女は、何を聞いてもずっと謝罪の言葉を言い続けるばかりで、話ができる状態ではなかった。その後もずっと体調が優れない日々が続き、その件には触れられぬまま現在に至る。
「アデル嬢とは大した付き合いもないし少し言葉を交わしただけだが、とても噂にあるような女性には見えなかった。少なくとも人に手を上げるような女性ではない。断言できる」
「……」
あの日以降、アデルの悪評は収集がつかないほど大きく広まっていた。
元々出回っていた噂に尾ひれが付き、更に夜会での出来事が燃料となって更に燃え上がった。
彼女の死が公表され多少収束しつつはあるものの、それをネタにして更にあざ笑う不届き者も、中にはいるようだった。
「お前とアデル嬢の間に何があったかは知らない。でもどんな理由があってもお前が彼女をないがしろにしていい理由なんてない! 彼女の尊厳を傷つける権利は誰にもない。特にお前には! 違うか!」
「……っ!」
自分があの日、口にした言葉を改めて思い返す。
自分がなんと言って彼女を貶めたか。そのせいでどれだけ彼女が傷ついたか……。
アルベルトは強く拳を握ると、顔を上げロアンを見た。
「ロアン。今日これから時間はあるか?」
「夜番明けだから今日は非番だ。なぜ?」
「事実を知りたい。あの日、あの場所で本当は何があったのか。……よければ、力を貸してもらえないだろうか?」
アルベルトが頭を下げると、ロアンの表情がようやく和らぐ。
「いいだろう。協力してやる」
アルベルトが明らかにしたい事は全部で三つ。
一つは当日の事実確認。
二つ目はアルベルトに、アデルがセシリアの頬を叩いていたと告げた男の話の真偽。
三つ目はアデルが回廊に強引に連れ込んだのを見たと言った夜会の参加者達。
「王宮の使用人は俺が当たろう。お前は夜会の参加者と現場の目撃情報を当たれ」
「すまない。恩に着る」
「これはアデル嬢の名誉のためだ。お前のためじゃないよ」
それから数日後。
「お前に伝言した男は、三年ほど前に王宮に上がった従僕だった。彼の話では彼自身、実際にその現場を見た訳ではないらしい。現場を目撃したという貴婦人が切羽詰まった様子で彼に訴え、マクミラン公子に伝えて欲しいと頼んできたそうだ。女性の特徴は黒髪に長身、赤のスレンダーラインのドレスに同色のロンググローブ。グレイシア様の了承を得て招待客リストを確認したが該当者はいなかった。そっちはどうだった?」
ロアンの報告に、アルベルトが頷く。
「当時回廊にはお前とアデル、そしてセシリアしかいなかった事はお前の証言で証明されている。回廊はほとんど人通りがなかったが、偶然その場に居合わせたという従僕とメイドを見つけた。従僕はアデルに指示を受け医務官を呼びに行ったそうだ。メイドは二人が言い争うのを聞いていた。彼女の話では言い争いというより一方的にセシリアの方が声を荒げ、それをアデルが冷静に諭していたように見えたと。その後急にセシリアが腹を抑えて蹲り、アデルが介抱していた」
「アデル嬢が強引にセシリア嬢を回廊に連れ込んだと言った連中は?」
「付き合いはないが覚えのある顔が一人いたから問い詰めた。すぐに嘘だと認めたよ。噂の尻馬に乗って揶揄っただけだと言っていた。奴らは全員、大広間から一歩も出ていなかったよ。ただ更に調べてみたら、その中の一人が買収されていた事も分かった。……赤いドレスの女に」
「……!」
「高級娼婦を紹介すると、そう言われたらしい」
「また高級娼婦か……」
「また?」
「グレイシア様がもう一つの噂の方を追っている。そっちも高級娼婦が関わっているらしい」
「……」
「セシリア嬢は?」
「セシリアは……」
アルベルトは昨晩の彼女とのやり取りを思い出す。
本当は一話で終わらせる予定でしたが、思いの他長くなってしまったため次話に持ち越します。
すみません……。




