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43 懺悔

誤字脱字報告ありがとうございました。

全て訂正させて頂きました。


連日の評価、感想、ブックマーク、ありがとうございます。

大変励みになっています(^^)

「……っ」


 なぜ彼がここにいるんだろう?


 そう思ったのは一瞬だった。

 アデルは慌てて顔を伏せると、


「……も、申し訳ありません……っ、すぐに出ていきますので……っ」


 そう言って彼の横をすり抜けた。


 (大丈夫……。目が合ったのは一瞬だったし、大丈夫)


 早足でその場を後にする。


「待って……っ」


 そんなアデルの腕をアルベルトがつかんだ。


「……アデル……なのか?」


 名を呼ばれ、びくりとアデルの肩が揺れる。それ以上前には進めず、アデルの足は力なく止まった。アルベルトは彼女の細い腕から伝わる温もりを感じながら、じっとその後ろ姿を見つめる。


 そんなはずはない。


 頭では分かっているのに、アルベルトは目の前にいる彼女から目が離せずにいた。俯いたまま顔を伏せる彼女の腕からは僅かな震えが伝わる。明らかに怯えている女性の腕を掴むなんて、普段のアルベルトなら絶対にしない行為だ。紳士として恥ずべき行為だと分かっていて尚、この腕を離すことが出来ず、逆に力が入る。


「顔を……上げてくれないか?」


 顔を背けたまま俯いていた女性が強く拳を握った。振りほどかれるのかと思ったが、やがて諦めたように力が抜ける。そして女性がゆっくりと顔を上げた。


「……アデル」


 ヘーゼルの瞳がアルベルトを見上げる。硬い表情に上目遣いの鋭い視線。下唇を強く噛みしめ怯えたような表情は、アルベルトが知らない顔だった。でも間違いなく彼女は『アデル』。

 幼い頃から共に過ごした少女は、いつもひまわりのように笑っていた。淑女の嗜みとして覚えた微笑みを寂しい気持ちで見つめたことも、頬を染め自身を見つめる愛らしい笑顔も全て覚えている。思えばかつてのアデルはいつも笑顔だった。

 過去二回、彼女をひどく傷つけた記憶はまだ新しい。そんな彼女が自分に笑いかける事なんて絶対にありえない。自分勝手と分かっていてもその事実に心が沈む。アルベルトはようやく彼女の腕を離した。


「……アデル」


 それでも彼女は間違いなく『アデル』だった。


「……アデル」


 意味もなく、ただ彼女の名を呼ぶ。


「……アデル……ッ」


 もう二度と会う事はできないと思っていた彼女が、今自身の目の前に立っている。


「……アデル……ッ。アデル……ッ」


 アルベルトの視界が次第に霞む。


「アデル……ッ」


 アルベルトはその場に膝を折った。あふれる涙は制御が聞かず、嗚咽すら漏れる。恥ずかしいなんて思う余裕はない。恥も外聞も捨ててアルベルトはただただ泣き崩れた。





◇■◇





「おい、聞いたか?ロウェル家のアデル嬢が亡くなったって話。なんでもシュベールの修道院に向かう途中、盗賊に襲われたそうだ。ツイてないよな、あのご令嬢も」


 勤務明け、同僚たちと酒を酌み交わしていたアルベルトの手がピタリと止まった。話を持ち出した騎士が瞬時に状況を察知し、しまったというように目をそらし、慌てて口元を押さえる。


「……本当か?」

「あ、ああ……。家に葬儀の案内が届いてた。葬儀は内々で済ませた……って、おい! アルベルト!! どこに行くんだ?! おいっ…!」


 アルベルトはふらりと立ち上がると、勢いよくその場を飛び出した。酔いは一気に醒め、言い知れぬ焦燥感が胸を苛む。五年前、アデルが攫われた時ともまた違う、心の中にぽっかりと大きな穴が開いたような絶望感。


 向かった先はロウェル家だった。深夜であるにも関わらず使用人に詰め寄りノアを呼び出す。道すがら、虚無は怒りに変わっていた。こんな大事(だいじ)をまさか同僚から聞かされるとは夢にも思わなかった。しかも酒の席のたわいもない噂話として。幼馴染であり親友でもある自分になんの連絡も寄こさないノアが許せなかった。怒りの矛先は当然のように彼へと向かった。


「何事だ、こんな夜中に」


 ガウン姿で現れたノアは相変わらずの冷めた目でアルベルトを迎えた。最後に会ったのはペンダントを渡したあの日。いつもより怫然として見えるのは単に深夜の訪問を咎めているだけではないように見える。


「アデルが死んだって、どういうことだ…! 本当なのか?! なんで…っ?!」


 声を荒げるアルベルトに、ノアは迷惑そうに小さく息を吐くとゆっくりと眼鏡を押し上げた。


「事実だ。シュベールに向かう途中の馬車を盗賊が襲った。遺体は回収したがとても人に見せられるような状態じゃなかった。御者は重症、護衛につけた騎士二人は満身創痍。以上だ」

「……お前っ!」


 淡々と語るノアに腹が立ち、無意識に胸倉をつかみ上げた。胃の奥からせり上がる激しい感情に目の前が赤く染まる。そんなアルベルトを、ノアはなんの抵抗もせずガラス玉のような瞳で黙って見つめる。


「何を苛立ってる? あいつが死んだからなんだって言うんだ。お前には関係のない話だろう?」

「……関係ないって…っ」


 ノアの言葉にアルベルトの力が緩む。その隙にアルベルトの手を払い襟元を整えると、ノアは呆れたように再び息を吐いた。


「葬儀は内々で済ませた。あんな噂が広まった後じゃ人は集まらない。だからお前にも知らせなかった」

「アデルは幼馴染だ…! 葬儀くらい…っ」

「葬儀にお前を? 冗談だろう?」

「……!」

「アデルがお前に見送って欲しい思うか? 夜会での事を俺が知らないとでも?」

「……っ」


 ノアの目がギラリと光る。普段感情の乏しいノアがこれほどまでに感情を露わにすることは珍しかった。アルベルトは言葉に詰まり、唇を噛む。


「…墓は…?」

「共同墓地に。場所を教えるつもりはない」

「……」


 ノアのアイスグレーの瞳がじっとアルベルトを見据える。冷たい炎のような瞳を見つめているうちにアルベルトは強く握っていた拳を緩めた。


「……」


 ノアの怒りは当然だった。家族の中で彼だけが唯一、アデルを愛していたから。見せかけの愛情しか与えない両親に代わって、ずっと彼女を見守り続けてきたノア。アルベルトもそれは十分に理解していた、はずだった。


 アルベルトはひどいやり方でアデルを傷つけた。最後に会った彼女は、これまで見たこともない、絶望に満ちた顔でアルベルトを見つめていた。

 あの日の事を思い出し、アルベルトは血が滲むほど強く唇を噛みしめた。


 自分はなぜ、あんなひどい事が出来たのだろう。

 冷静ではなかったとはいえ、なぜあんなひどい言葉をぶつける事が出来たのか。


 知らぬ間に広まっていた噂を当てつけのように持ち出し、彼女をなじり、侮辱し辱めた。その後の彼女の窮状など考えず、ただ感情のまま己の怒りを彼女にぶつけた。


 優しかったあのアデルが、大切なセシリアを傷つけたという事実にとにかく腹が立った。たった五年で人の心はここまで卑しく堕ちてしまうのかと、それが心底悲しくやるせなかった。それが真実がどうかも確かめもせず、彼女の言葉に耳も貸さず、ただ彼女も同じように傷つけばいい…身をもって理解させる必要があると、そんな負の感情が心に渦巻いていた。


 まさかあれが彼女との最後の会話になるなんて、夢にも思わなかった。


「あれは…アデルが……」

「言うな。聞きたくない」


 黙り込んだアルベルトを、応接室の扉を開け出ていくようにノアが促す。


「出てけ。当分お前の顔は見たくない」

「ノア…」

「こんな夜半に訪ねてくるのはこれきりにしてくれ。それから……」


 ノアは近くにあった水差しからコップに水を注ぐ。


「今後酒の入った状態でこの屋敷に立ち入ったら…」


 そしてそのグラスを、アルベルトの頭上でゆっくりと傾けた。


「これくらいでは済まないと思え」


 滴る水を目で追いながら、アルベルトは一気に自分の心が冷えていくのを感じた。











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