42 形見
「……?」
「……」
突然手の中にねじ込まれた小さな異物に、アデルは男の顔を見上げた。
夕刻、いつもの時間。
既に馴染みになった外小屋の男たちが数名、食堂にやってくる。馴染みと言っても、常に監視の目が光っているため、話した事もなければ目を合わせた事すら一度もない。
日に二回、早朝と夕刻にやってくるメンバーはいつも決まっていた。彼らの足にはアデルと同様に足枷と重りが着けられている。違うのは皆一様に顔色が悪く、表情に全く覇気が感じられない事。外で何をさせられているのかは分からないが、配られる食事は決まって具の少ない薄味のスープと、薄くスライスされたパンだけなのだから、彼らの状態にも納得がいく。
いつものように、静かに列を作る男たちに順番に鍋とパンかごを手渡していく。とても腹の膨らむ量とは思えないが、アデルも男たちも、文句が言える立場にはない。
最後の男にパンかごを渡すと、不意にその手に何かをねじ込まれた。
ゆっくりと視線を上げたアデルに、男はいつもと変わらぬ様子で、目を合わせる事なくその場を立ち去る。
アデルは監視に悟られないよう、素知らぬ顔で小さな何かをポケットに滑り込ませた。
「なんだろう。これ……」
部屋に戻ったアデルは改めてポケットの中身を見つめた。
小指の先ほどの大きさの銀灰色の小さな塊。四角い石がいくつも集まって固まったような不思議な石は、その見た目にそぐわずずっしりと重い。
「鉱石……かな? なんで私に……?」
それから一週間後、男は再びアデルに何かを握らせた。部屋に戻って確認すると、今度は銀色の小さな塊だった。加工に失敗したのか、円形の何かがぐにゃりと半分に折りたたまれたような形状だ。表面に細工などはなくペンダントトップの土台のようにも見える。
それ以降、男は週に二回のペースで、アデルに「贈り物」をするようになった。
ある時は片方だけのカフスボタン。またある時は男性用のリング。異国の硬貨に髪紐、木彫りの豆人形に小さな刺繍の入った布の切れ端……。
全てはまるでアデルの手に収まる事がルールであるかのように小さいものばかり。
当初はその意味が全くわからず首を傾げるばかりだったが、次第にその意図がわかるようになっていった。
外の小屋に何人の人間が生活しているのかはわからない。でもあの栄養状態で働き続ければ、体が言う事を聞かなくなるのも時間の問題だろう。
実際、ずっと食事を取りに来ていた男のうち、二人の姿を見なくなった。一人はひどい咳をしていたし、もう一人は痛々しい程に指先が丸く変形していた。
彼らはきっとわかっているのだ。自分たちにはもう時間がない事を。
自分が大切な誰かに看取られる事なくこの世を去っても、せめて生きた証を残したい。誰かに託したい。その思いを叶えてくれる存在として選ばれたのがアデルだった。つまりはそういう事なのだろう。
ここで生活する人間の中で、唯一何の理由も持たない者。彼らから見て一番無害で、そして一番生存の可能性が高い者。それがアデル……。
アデルは、ベッドの下からここに連れて来られた時に身につけていたドレスの花飾りを一つ千切り、同じ麻袋の中に入れた。
この先何があるかなんて誰にもわからない。もし自身に何かがあった時は、きっとこの花飾りが形見になるだろう。
そんな事を思って入れた花飾りをもう一度手にする事が出来たのは、奇跡としか言いようがない。
アデルは麻袋をバッグにしまうと、すっくと立ち上がった。もう少しこの場所で誘拐時の手がかりを見つけたかったが、見る限りそれは難しそうだ。アデルは家屋の残骸から抜け出すと、服をはたき大きく息を吐いた。
日は真上を少し過ぎた所だ。
暗くなるまでに街まで戻るとして、時間はそう残されていない。
「急がなくちゃ」
アデルにはもう一つ調べたい事があった。
朝早く連れ出され、日暮れの後帰ってくる彼らの行先。男たちがどこで何をさせられていたのか、せめてそれだけでも調べて帰りたい。
その時だった。
「おい、そこで何をしている」
背後から声をかけられ、アデルはビクリと肩を揺らした。声からしてまだ若い男性。近づいてくる足音は一人分。いまだに見張りがいるとは思わず、緊張に体が固まる。
「ここは今、許可のない者の立ち入りは禁じられている。地元の者にはそう通告してある筈だが、知らないのか?」
「………」
なんと答えるべきか……。
迷っていると、勝手に勘違いした男が口調を和らげた。
「……すまない、きつい言い方だったかな? そんなに怯えなくも大丈夫だ。罪には問わないよ。ただここは、余りいい場所じゃない。先刻の火災で多くの人が死んだんだ。だから、むやみに近づかない方がいい」
「………!」
死んだ…。多くの人が……?
その言葉にアデルは思わず振り返った。
テオたちに逃がされ屋敷の外に出たあの日、周囲は既に一面火の海だった。何が起きたのかわからず言われたままに走り出す。一瞬振り返ったその先には黒い覆面の男たちと戦うテオの姿があった。その向こうには逃げ惑う人々。混乱の中ただ逃げる事に精一杯で、あの時は他人に気を回す余裕など微塵もなかった。
「だ…だれが死んだんですか!? まさかあの人たち全員……っ?」
てっきり屯所の憲兵だと思っていた男性は、騎士団の制服を身に着けていた。王の領地なら当然かとも思ったが、なぜか男は首都の警備が主業であるはずの第二騎士団の装備を身に着けている。
恐る恐る顔を上げると、驚愕したように目を見開く男と視線がぶつかった。
「………」
男の顔には覚えがあった。
それはかつて、アデルの婚約者だった男……。
アルベルト=マクミラン。
その人だった。




