40 決意と覚悟
「お前たち、覚悟はいいか?」
「覚悟が必要なのはテオだけだけどね」
「……」
夜が明けたばかりの早朝。
テオとラウル、そしてフリーダは、ランクル村の外れにある一本杉の下でアデルの帰宅を待っていた。
「アデルは卵集めの仕事が終わると、朝食を取るために一旦家に戻ります。時間は限られますが、深夜に訪問するよりは常識的な時間かと」
フリーダの最もなアドバイスに真剣な顔でテオが頷く。
「いい? あくまでも自然にだよ。まずは僕がそれとな~く探るから、焦って余計な事口走らないように」
「…わかってる」
「申し訳ありません。私がもう少しうまく聞き出せていれば……」
「フリーダは悪くないよ。あんまり深堀しすぎても怪しまれるだけだから。アデルは勘がいいからね」
「そう? ありがとう」
「いーえ、どういたしまし……てぇっ?!」
不意に後ろから聞こえた声に三人はビクリと振り返った。
「ア、アデル……ッ」
「どうしたの? 三人揃ってこんな朝早く」
想定外の出来事に、うろたえる三人。
その中で最も頭の回転が速いラウルがいち早く復活し、適当な理由を絞り出し急場を凌ぐ。
「し…仕事終わりに偶然フ…フェデリカに会ってさ、折角だからアデルの顔でも見て行こうかなぁって話になったんだよ! ねっ? フェデリカ!」
「そ、そうなの! 私もなんだか久しぶりにアデルの顔が見たくなっちゃって」
「フェデリカさんとは昨日会ったばかりだけど……」
アデルは抱えていた大きなかごをよいしょと抱えなおすと、きょとんとした顔で首を傾げる。
「まあいいわ。せっかく来てくれたんだから一緒に朝食でもどう? 生みたての卵をたくさん貰ったの。一人じゃ食べ切れないからちょうどよかった。三人ともオムレツは好き?」
「大好き! いやぁ、夜中から馬を飛ばしてきた甲斐があっ………痛っ…っ!!」
「え?」
「なんでもないわよ~。さあ早く行きましょ。私、お腹がすいちゃった」
フリーダの渾身の蹴りがラウルの脛を襲う。痛がるラウルを一瞥し、フリーダはいつもの『フェデリカ』の顔でほほ笑み、アデルを促す。
「お前が墓穴を掘ってどうする」
「…くっ! 僕としたことが……っ」
脛を押さえて蹲るラウルに、あきれたようにテオが言う。
「……普通だね」
やっとの思いで復活したラウルが、楽しそうに会話を弾ませる二人を見てそう言った。
テオの見解も全く同じだった。見たところ、特に違和感はない。いつもの口調で、いつもの表情。目を逸らす事も口ごもる気配も全く感じられない。いつも通りのアデル。
「気にし過ぎだったんじゃない?」
「……」
「ちょっと二人とも~、歩くの遅いわよ。早く来ないと置いてくわよ~」
振り返ったアデルと目が合う。ニコッとほほ笑まれ、テオはこの時ようやく肩の力を抜いた。
家についたアデルは、テオとラウルを扉の前に待たせ、フェデリカだけを伴い中に入っていった。数十秒後、ガタガタと音をさせながら二人が運んできたのはダイニングテーブル。
「折角だから、外でご飯にしない? 天気もいいし外はまだ涼しいから」
庭の隅に植えられたけやきの下に、イスとテーブルをセットする。
この木はテオの誕生を記念した母親が植えたものだと、以前村の人間に聞いたことがある。二十年以上の時を経て、枝は扇状に大きく広がり、光を透かした黄緑色の葉は美しく輝く。もしかしたらこんな風に息子と憩う未来を思い描いていたのかもしれない。今となっては想像する事しかできないが、アデルのおかげで再びここに足を運ぶきっかけができた事は、テオにとっても幸運だったと気づく。
手際よく人数分の食器と、手土産として持ってきたパンやチーズをテーブルに並べるテオ。ラウルはというと、愛用のナイフを器用に使い、コップにオレンジを絞る。持参したはちみつと炭酸水を加え、自生していたミントを飾れば、さわやかなオレンジソーダが完成する。
「わぁ、おいしそう!!」
それを見たアデルが思わず感嘆の声を上げる。
フェデリカと一緒に、それぞれ両手に二枚ずつ持ってきた皿の上には、ふんわりときれいに盛り付けられた大きなオムレツ。こんがりと焼かれた厚めのベーコンと、同じくしっかり焼き目のついたポテト、それに先ほどまで庭で朝露をはじいていたトマトまで盛り付けられ、全員の目が輝く。
「アデルったらなんでもできちゃうのよ。こんなにおいしそうなモーニングプレート見た事ないわ」
「同意だねぇ~。今日は来てよかったね、テオ」
「ああ、そうだな」
硬かったテオの顔にもようやくいつもの笑みが浮かんだ。
「ここでの暮らしはどうだ?」
楽しい食事の時間はあっという間に終わり、食後のコーヒーを飲みながらテオが聞いた。
「とっても楽しいわ。村の人たちはいい人ばっかりだし、仕事も充実してる。あの時テオに選択肢を与えられてなかったらきっと今頃、修道院で鬱々とした日々を送っていたと思う。ううん。五年前、もしテオに会えてなかったら…今の私はなかった」
もし父親の言いなりになっていたら、こんなに充実した毎日は送れなかっただろう。聞き分けのいい子を演じ続けていたら、その先にあったのはおそらく後悔と絶望だった。人生の分岐において、最善の選択ができた結果が今。そしてそれを与えてくれたのは間違いなくテオ。
「テオには本当に感謝してる。ラウルにも、フェデリカさんにも……」
アデルはこれまでを振り返るようにそっと目を閉じ、僅かの間沈黙した。
「だからね、私はもう大丈夫。やりたい事も何となくだけど見つかったし、一人で生きていく覚悟も出来た。みんながいなくても…きっともう大丈夫」
「………アデル?」
顔を上げたアデルは、いつもと少しだけ違って見えた。何かを決意したような瞳。口元は笑っているけれど、その笑みはどこかさみしげだ。
「だからね、みんなに会うのは今日で最後にしようと思うの」
「………っ!」
「ここにももう来ないで…?」
「…っ…なんで!!」
「テオ!!」
驚愕の表情で立ち上がったのはテオ。今にも掴みかかりそうな勢いに、ラウルが制する。
「なんでだ! 俺たちが迷惑か?!」
「そうじゃない…」
「じゃあ……っ」
「もう嫌なの…」
「…なにが…っ」
「婚約者のいる男の人を、誰かと取り合うの……」
「………っ!?」
その言葉にテオの心臓は一瞬で凍りついた。
「公爵領で偶然知り合った女性…ティナさんって言ってた。婚約者と久しぶりに会うんだって嬉しそうに話してくれた。その婚約者って、あなただよね? テオ」
「……」
『ティナ』は公爵令嬢であるディアナのお忍びの時の名前だ。
「あなたの事は嫌いじゃない。だけど……ごめん。あなたの気持ちには答えられない」
「…………」
あの日からずっと、この日の事を考えていた。
テオの事、相手の事、そして自分の事。それぞれの事情、過去の経験に未来へ想像、自分はどうしたいのか……。
たくさんたくさん考えた。
そうしてようやく出した答えが、これ。
「この間の言葉は聞かなかった事にする。ティナさん…とってもいい人だった。だから絶対に…泣かせたりしないで」
アデルはゆっくり立ち上がると、テーブルの食器を片付け始めた。
「片付けは、後で私がやるから。みんなはもう帰って。今日は会えてよかった。それじゃあ…ね」
「またね」と。
いつもなら当たり前だった言葉を咄嗟に呑み込む。
家に入るアデルを、何とも言えない表情で見送るラウルとフリーダ。
テオはただ俯き、何かに耐えるように唇を一文字に結び、一点を見つめる。
悔しかった。
アデルにあんな顔をさせた自分に心底腹が立った。
そして自分が情けなかった。
「行くぞ」
テオは立ち上がった。
こんな事、早く終わらせよう。
全てを終わらせて、全てを話し、許しを請おう。
そうしてもう一度真摯に彼女と向き合う。
例え受け入れられる可能性がゼロでもいい。
端からそんな事を望んでいたわけじゃない。
ただもしも叶うなら……彼女を幸せに導く存在は自分でありたいと願う。簡単にあきらめられるくらいなら、十年以上も初恋を拗らせたりはしない。自分は案外しつこい性分なのだと、この時テオは初めて気づいた。
爽やかな風が欅の枝をざわつかせる。
テオが再びこの村を訪れるのは、随分と先の話となる。
そして……。
この日を境に、アデルはランクル村から姿を消した。
この話をもって、第一部【完】となります。
ここまでお付き合いいただきありがとうございました。
感想、評価等もし頂けるようでしたらお待ちしています。
第二部はアデルの誘拐探求編(?)となります。
続きもどうぞよろしくお願いします。




