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38 もう一度…

少し長めですが、よろしければお付き合いくださいませ。


誤字脱字報告ありがとうございました。

あんなにたくさん…本当に申し訳ありませんでした。

 周囲を緑に囲まれた小さな草原(くさはら)に、眩しい日差しが降り注ぐ。夏の盛りの澄み切った空には、見渡す限り雲一つ見当たらない。時折吹くそよ風は木の枝を揺らし、草を鳴らす。甘い蜜を求めるミツバチが空を舞えば、無数の蝶が野の花を渡る。そんなのどかで穏やかな場所こそが、彼女の言う「行きたい所」だった。


「ごめんね、なかなか来られなくて! お父様がなかなか外に出してくれないんだもん。だから今日はお兄様にお願いしてこっそり出てきちゃった」


 ふふっと笑いながら、シアは無口な親友に話しかけた。

 傍では、メイドたちが慌ただしく敷物を敷き、おいしそうな軽食を手際よく並べていく。


「今日はあなたといっぱいおしゃべりしようと思って準備してきたの。ほら、好きだったでしょ? このキッシュ。今日はなんとベーコンが二倍よ。もう少ないなんて言わせないんだから。それからスコーンにサンドイッチ。あ、お茶はあなたのおすすめにしたわ。最近飲んでないでしょ?」


 メイドが取り分けた皿を次々と彼女の前に置く。


「お兄様もラウルも突っ立ってないで座ったら? 一緒に食べましょ。私たちだけじゃ食べ切れないもの。あ、もしかして照れてるの?」


 促された二人は無言で腰を下ろした。それを見届け、再びシアは彼女に話しかける。


「あなたと最後に会ってから、もう三か月も経っちゃった。時間が経つのってほんと早いわね」


 カップに口をつけ、シアが微笑みながら親友が眠る墓標を見つめる。


「会いたかったわ。アデル……」



■◇■



 彼女がアデルの訃報を知ったのは、アデルが修道院に旅立ち、半月以上が経過した後だった。


 きっかけはメイドたちの心無い噂話だった。

 どうせ今回もまた、ゴシップ好きの誰かが面白がって吹聴したただの嫌がらせに違いない。この時のシアは何の疑いもなくそう思っていた。

 その場でメイドたちを厳しく叱り、噂の出所を問いただす。涙を流し、ただ許しを請うばかりの彼女たちを見て、シアの怒りは増すばかりだった。口さがない人間を傍に置くつもりはない。シアはその場で彼女らに暇を出し、他の者たちへの牽制とした。


 でもそれが、単なる噂ではなく事実だと知った時、シアの頭の中は真っ白になった。


 つい先日、数年ぶりの再会を果たした友の訃報。

 五年の不遇など、まるで感じさせない笑顔で抱きしめてくれた親友の死に、シアは力なくその場に崩れ落ちた。

 彼女の背に回した腕から伝わる温もりは、まだ感触としてその手に残る。驚くほど華奢だった体に、思わず唇を噛んだ事も。溢れそうになる涙をぐっと堪え、彼女をもてなした記憶はつい昨日の事のように思い出される。


 葬儀は嫡男であるノアが喪主となり、身内のみで早々に執り行われたと聞いた。遺体は損傷が激しくとても人前に出せるものではないとし、ノアの独断で火葬された事、領地の墓地ではなく首都外れの共同墓地に埋葬された事も、全てが事後報告だった。

 今回もまた、シアは彼女の最後に立ち会う事すら出来なかった。



 どうしていつも彼女ばっかり……。



 幼い頃からずっと胸の奥にくすぶる思い。

 周囲を気遣い、自身を殺し、努力を怠らず、恨み言の一つも言わない。彼女にはいつか必ず、誰よりも幸せになって欲しい。幼い頃からずっとそれだけを願ってきた。それなのに…。



 シアが初めてアデルに会ったのは、互いが四歳になったばかりの頃だった。

 幼い頃のアデルは、やんちゃで無鉄砲で笑顔が眩しい、元気いっぱいの女の子だった。幼少期から陰湿ないじめも多く、自分に取り入ろうと近づく子女子息が多い中、裏表のない彼女は心を許せるたった一人の親友となった。


 そんな彼女に変化が見え始めたのは、六つを過ぎた頃。

 最初に違和感を覚えたのは笑顔だった。夏のひまわりのように明るかった笑顔は、いつしか口角だけを上げる控えめな淑女の笑みへと変わっていた。走れないからと頑なに拒否し続けていた(かかと)の高い靴も好んで履くようになった。習い事があるからと遊びに来る事も少なくなり、久しぶりに会ってもお茶を飲んで話すだけの日々。そんなアデルの「らしくなさ」にしびれを切らしたシアは、ある日アデルに詰め寄った。そんな彼女にアデルは困ったような、少し寂し気な笑みを浮かべて「そうしないと…嫌われちゃうから」と小さくつぶやいた。


 歳を経る毎に、アデルは文句のつけようのない淑女へと成長していった。まだ十を少し過ぎたばかりにも関わらず、作法も、話術も素晴らしく、他の家門の親たちは口々にアデルを褒めそやした。それがとても心地よかったのか、両親はアデルへの待遇を改め始める。父は自慢げに彼女を連れ回し、母はこれでもかというほど彼女を飾り立てた。ちょうどその頃、マクミラン公爵家から婚約の申し出があり、ロウェルはアデルの意思を問うことなく、二つ返事で了承した。

 隣地に屋敷を構え、幼馴染として付き合いのあった二人の婚約は、シアにとっても喜ばしいものだった。

 シアはアルベルトに告げた。「アデルを不幸にしたら許さない」と。その言葉にアルベルトは優しく笑みを浮かべ、シアの前に膝をつく。「彼女に悲しい思いはさせません。必ず幸せにします」と、そう誓った。



「嘘つき…。必ず幸せにするって言ったのに…」


 アルベルトの事情はシアも理解している。でも感情ばかりはどうすることもできない。

 シアのカップはいつの間にか、グラスへと代わっていた。


「おい、飲みすぎるなよ。お前の母親は勘がいいからな。万が一俺と一緒にいた事が分かればまた謹慎させられるぞ」

「わかってますっ! もう、乳母みたいな事言わないで。私ももう成人したんです! 大人なの!」


 ほんのりと頬を赤らめ、ブツブツと何かを呟きながらシアがグラスを置く。すかさずラウルが別のグラスに水を注ぎ、手渡すとそれをグイっと飲み干す。


「お兄様……私ね、アデルとはいつかまた会えるって気軽に考えてたの。シュベールは首都からもそんなに遠くないし、面会は自由でしょ? 家にいるより、むしろそっちの方が気が楽なんじゃないかって…。成人式さえ終われば、私にもある程度の自由が与えられるから、そうしたら絶対に会いに行こうって…そう思ってたの」

「……」

「バカだった…。いつかなんて…そんな先の事わからないのに…」

「……」

「こんなことなら私が攫っちゃえばよかった…。噂なんか耳に入らない、誰も知らないどこか遠くへ…。もっと私が必死に訴えてたら……。あんな噂は嘘だって働きかけてたら…修道院になんて行かせないって強く言ってたら……っ! アデルが…死ぬことなんてなかったのに……っ」

「……お前のせいじゃない」


 シアの頬に一筋、涙が伝う。


「ごめんね、アデル……」


 溢れる涙で視界が霞み、声が震える。


「……会いたいよっ…アデル…。もう一度……あなたに会いたい…っ。 声が聞きたい! 抱きしめて欲し…っ。アデル……ごめんね…っ、…ごめっ…アデ……」


 本当の事を話してやれば、きっとこの優しい義妹の心は軽くなるだろう。そうしてやれない事に心が痛む。


「なに……?」


 テオは義妹の頭にそっと手を乗せた。


「……最近、友人に教えて貰ったんだ。本当は独り占めにしたかったけど、お前にだけ特別に分けてやる」


 アデルがそうしてくれたように、優しく彼女の頭を撫でる。


「……もう、そうやって子ども扱いして…。頭を撫でられて喜ぶのは子どもだけなんだからね」


 居心地悪そうに憎まれ口を叩くが、振り払おうとはしない。

 しばらくそうしていると、シアの気持ちも大分落ち着いてきたように見えた。


「……悪くないかも」

「だろ?」

 

 テオが微笑むと、シアもちょっとだけ笑った。



◇■◇


「……ねえ、お兄様」


 帰りの馬車、目の周りを赤く腫らしたシアが不意にそう切り出した。


「……ん?」

「最近、フレデリック兄様の事、何か聞いてる?」


 シアの問いに、ラウルと目が合う。


「……いや。特に何も。何かあったのか?」

「うん、それがね……」


 シアの語る義兄の近況に黙って耳を傾ける。

 自分たちの持つ情報とすり合わせ、二人は同時に小さく頷いた。


「アイツの事だから、どうせまたろくでもない事に手を出してるんだろう。ホントにヤバくなったらいつもみたいにお前の母が何とかするさ。お前が気にすることじゃない」


 到着した馬車からシアを下ろし、当たり障りのない返事を返す。


「さあ、早く戻れ。今日の事は内緒だぞ」

「ええ。今日はありがとう。お兄様」

「おやぁ、そこに居るのは俺のかわいい妹じゃないのかなぁ?」


 どこからともなくそんな声が聞こえ、二人はハッと顔を上げる。


「馬車でお出かけとは……一体どこに行っていたんだい? グレイシア?」


本日もお読みいただきありがとうございました。

当面隔日更新となりそうです。

よろしくお願いします。

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