37 誤解
今日のラウルは朝から機嫌がよかった。
ずっと欲しかった情報を手に入れ、暗礁に乗り上げていた取引も有利に事を運ぶことができた。
昨晩は久しぶりに自宅に戻り、自身のベッドでぐっすりと眠った。朝はゆったりと湯につかり、ゆっくりと温かい朝食を食べた。心身共に万全の状態で、いざ自宅を出てテオの元へ向かう。
鼻歌交じりにノックをして、扉を開けた途端、スッと何かが顔の横を通り過ぎた。
耳の後ろで聞こえたトスッという音に、浮かべた笑顔のままゆっくりと振り返る。
そこには銀色に光るペーパーナイフが突き刺さっていた。
「朝から何っ?! 物騒なんですけど!! なんでそんなに機嫌が悪いの?!……ですかっ?!」
いつもの調子で言い返すが、今いる場所を思い出し言葉を正す。
肘をつき、組んだ両手に額を預け、ムスッとした顔を隠すことなくテオがラウルを迎える。
「アデルに…」
「アデルに?」
「……会えない。朝も昼も夜もずっと不在で……どうなってる?」
「………」
ルネドで思わぬ再会を果たしてからひと月、テオは忙しい時間の合間を縫ってランクルを訪れていた。
答えはいらないなんて格好をつけてみたものの、その反応は多少なりとも気にはなる。あれをきっかけに気まずくなるのも嫌で、散々悩んだあげくテオはアデルの元を訪ねた。最初の訪問時に不在だった事はたいして気に気にも止めなかった。それが二回三回と続くと徐々に違和感を覚え、五回目ともなると不安になった。
「……なんかストーカーみたいだね」
「こんなにずっといないってあるか?! あいつ何してるんだ!」
「…さけられてるとか?」
「……やっぱりそうなのか?」
「……」
このところ忙しかったラウルは、その辺の報告書の確認を後回しにしていた。抱えていた書類の束をめくり、それらしい報告書を読み上げる。
「えーと…、アデルは今、仕事を四つ掛け持ちしてるみたいですね。朝は村外れの農家にて卵集め、午前から正午過ぎまで洗濯婦の仕事、午後はゴドウィン家でゴダード語の家庭教師。夜は……」
そこまで読んで、ラウルは言葉を切った。
「夜は、なんだ?」
「……聞かない方が」
「いいから言え」
「夜は酒場で女給の仕事を……」
「酒場で女給……っ?!」
テオが勢いよく立ち上がる。
「なんで酒場に…っ? 大丈夫なのか?!」
「……」
「黙るな!!何か言え!!」
そう言われても迂闊なことを言ってしまえば、今度は何が飛んでくるかわからない。
「それなら問題ありません。その日のうちに部下を同僚として潜入させています。ご安心ください」
ペーパーナイフを引き抜きながら、男性服姿の女性が入室する。
「さすがだ、フリーダ。こんなポンコツの婚約者にしておくにはもったいない」
「ありがとうございます。最高の褒め言葉です」
「ひどいっ! 僕だって頑張ってるのに!!」
騒ぐラウルをチラリと見たフリーダは、冷ややかな顔で視線を戻す。
「ルネドから戻ってすぐ、アデルは仕事を増やしました。深夜になる時は商会の馬車で帰宅する事が多いようです」
「なんで急に…? 何かあったのか?」
「わかりません。こちらでは特に変わった事はありませんでした。あるとすればルネド、もしくはクライバー公爵領でしょうか? そこのポンコツは何か気づかなかったの?」
フリーダの言葉にラウルが愕然とした顔になる。
「……え? 待って。クライバー公爵領? アデル、クライバーにも行ってたの?」
が、すぐに持ち直し、そう尋ねる。
「クライバー領には、ゴドウィン商会の工場があるの。アデルを連れて行くぐらいだから目的はむしろそっちだったのでは?」
「……まずいよ、テオ。これはまずい……」
いち早く状況を察したラウルが青ざめる。
「…何がだ?」
「ああもう!! これだから恋愛初心者は!! あ、別に僕が恋愛の達人ってわけじゃないよ。誤解しないでね、フリーダ。僕はいつでも君一筋だから」
「いいから続けろ!!」
「もし…もしもだよ? アデルがクライバーに行ったのが、ルネドで会った後だとしたら? もしかしたらどこかで君を目撃したかもしれない。それが君一人じゃなかったとしたら……?」
「………っ?!」
ラウルの言わんとすることをようやく理解したテオが、慌てて立ち上がる。
「……ちょっと待った!! どこに行くつもり?!」
「決まってるだろ!! アデルの誤解を解かないと……っ」
「ダメダメ、今日はダメ。今日の予定は絶対外せないから。行ったら絶対間に合わない。それに……誤解じゃないでしょ? 君に婚約者がいるのは事実だよ」
「……っ」
「ちょっと一旦落ち着こう。まだそうと決まったわけじゃない。もしかしたらほら、単純にお金が必要なだけかもしれないよ? アデルだって女の子なんだしさ。おしゃれもしたい年頃でしょ?」
「……」
「気持ちはわかるけど……今の君の最優先事項はそれじゃないよね? それに、彼女の誤解を解くなら全てを話さなきゃいけない。その覚悟はできてる?」
諭すようなラウルの言葉に、テオは力なく椅子に落ち、首を左右に振る。
「……アデルを巻き込む事はできない」
「君の弱点がアデルだって思われたら、きっとあの人は放っておかないと思う。君の嫌がる事なら何でもする人だ。そうだろ?」
「わかってる。そのための……婚約だ」
「さすがの彼も、ディアナには手が出せないからね。それだけ彼女のお父様の権力は絶大だって事。よかったね、アカデミーで友達になっといて。今日の夜のお披露目が終われば、少しは時間がとれるから、そしたらアデルに会いに行こ? ね?」
「アデルには私からそれとなく聞いてみます。頼んでいたハンカチもそろそろ出来上がる頃だと思いますので」
「ああ、そうしてくれ。頼んだぞフリーダ。いや、『フェデリカ』」
「承知しました」
フリーダが部屋を出て寸刻、重い空気を払拭するように勢いよくドアが開く。
「お兄様が帰ってきてるってホント?!」
護衛も侍女も置き去りにして駆け込んできた少女に、テオは呆れたように息を漏らす。
「相変わらずだな、シア」
遅れて到着した護衛に視線を向けると、緊張した面持ちで姿勢を正す。
「せめて、奴らに仕事をさせてやれ」
「だってみんな走るの遅いんだもん! ねぇ、それより今日はどうしても行きたい所があるの。昔みたいに、ね? お願い!」
「子どもの頃とはわけが違うんだぞ。そう簡単に連れ出せるわけがないだろう。親父に頼めよ」
「ダメ! 絶対許してくれないもの!」
「今日は忙しいんだ。分かってるだろ?」
「わかってるっ! でも少しの時間でいいの! 昼食の時間までには帰れるとこだから…! ね、お願い!」
言い出したら聞かない事をテオは知っている。ここに連れて来られて十五年。三歳の時から見てきた腹違いの妹は、両手を顔の前で合わせて必死に懇願する。
「……はぁ。どこに行きたいんだ?」
パァッと顔を輝かせる妹に思わず苦笑する。感情表現豊かなこの義妹をテオは愛していた。泣き虫で生意気だが情に厚く賢い。正義感が強く、正当な血筋ゆえの威厳も持ち合わせた彼女こそ、現後継者であるあいつより、家督を継ぐにふさわしい存在だと思う。
「友達に会いに行きたいの! お兄様も知ってる、私の親友に」
本日もお読みいただきありがとうございました。
次話もどうぞよろしくお願いします。




