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36 よみがえる過去

誤字脱字報告ありがとうございました。

訂正しました。

「どけ―――っ!!」


 振り上げた男の手がアデルの頭上に落ちる。


 振り下ろされる瞬間、アデルは待っていたようなタイミングでサッと小さく身をかがめた。


「―――っ!?」


 殴る対象を見失い、男の腕が勢いよく空を切る。そのままバランスを崩したところで身をかがめたアデルに躓き、勢いよく地面を滑った。


「大丈夫か! アデル!!」

「痛たた……。あ、早く! 確保です!! ベルノルトさん!!」

「あっ?! お、おう! ……このやろうっ!!」


 男の勢いに負けてアデルも尻もちをついたが、特に怪我はない。ふうっと立ち上がったアデルに、左右からから声がかかる。


「お前! ムチャすんなよ! 危ないだろうがっ!!」

「あなたすごいわ!!ケガはない?」


 一人は男の上に馬乗りになったベルノルトさん。

もう一人はさっき男を追いかけてきた若い女性だ。


「大丈夫です。ちょっと尻もちついちゃっただけで」

「あの状況でよく咄嗟に動けたわね。ビックリしたわ!」


 幼い頃、騎士団の団員たちに遊んでもらった経験がこんな所で活かせるとは思っても見なかった。


「これ、あんたのカバンか?」


 男をぐるぐる巻きに縛ったベルノルトが、オレンジ色の肩掛けバックを彼女に差し出す。


「そうよ! ああ、よかった! ありがとう!」 

「俺はコイツを憲兵に引き渡してくる。すぐ戻るから絶対にここを動くなよ」


 ベルノルトにジロリと睨まれ、アデルはへへっと誤魔化すように笑って見せた。


「ホントによかったぁ~。あなたのおかげよ! 折角苦労して取り寄せたのに、なくしたら彼をがっかりさせちゃうとこだったわ!」

「え…っ、プレゼントだったんですか? ごめんなさいっ! 壊れてたらどうしよう……」


 取り返す事だけに必死になって、そこまでは考えてはいなかった。


「ああ、平気平気。落としたくらいじゃ壊れないから」


 女性がポンポンとカバンを叩いて見せる。


「でも、キズついてるかも……」

「あはは、それも大丈夫。彼大雑把だから。そういうとこが気に入ったから婚約者に選んだんだもん」


 女性はずり落ちた眼鏡を上げ、受け取ったカバンをヨイショと肩にかけると右手を差し出した。


「私はティナ。あなたは?」

「私は……アデルです」


 差し出された手を掴むとギュッと強く握り返された。


「アデルね。お礼がしたいんだけど、今日はこの後彼と待ち合わせしてて……。明日はどう? おいしいものを御馳走するわ」

「ありがとうございます。でも私今日ここを発つんです。なのでお気持ちだけ」

「そうなの?! え~っ…残念。もっと話したかったのに。じゃ、このお礼は改めて。さっきの彼、ゴドウィン商会のご子息でしょ? 商会経由で近いうちに連絡するわ」

「え……でも」

「父が商会に出資してるの。私、ずっとアカデミーに居たからさっきの彼とは面識ないんだけど、商会には知り合いも多いのよ。このまま逃がさないんだからね。ちゃんとお礼は受け取ってもらうんだから」


 仕立てのいい桃紅色(とうこうしょく)のワンピースに手編みレースのジレ。腰まであるウェーブのかかった金色の髪をふわりと揺らしながら人差し指をピッと立て、ティナが二ッと笑う。大きな丸メガネの奥でキラキラと輝くグリーンの瞳があまりにきれいで、アデルは思わず見とれた。


「わかりました。それじゃ連絡お待ちしてます」

「ええ! あっ、ごめん!! 彼が来たみたい」

「それじゃ」

「うん! ほんとにありがとう!」


 握ったままだった手を名残惜し気に離し、ティナが元気に手を振る。

 同じく手を振りベルノルトと合流するべく踵を返したアデルの耳に、再びティナの声が響いた。




「テオ―――ッ」




 瞬間、アデルの足がピタリと止まった。


 無意識に振り返り、雑踏の中、ティナの姿を探す。大きく腕を振り、一人の男性の元に駆け寄ったティナは、飛びつくようにその腕に自身の腕を絡めた。男は驚いたように一瞬彼女を見下ろし、そして困ったように笑った。真っ白なシャツにクラバット、仕立てのいい紺色のウエストコート身に着けた男は、するりとその腕を引き抜くと彼女の額をピンと弾いた。額を抑え怒ったように見上げるティナに声を上げて男は笑う。


 アデルは男を知っていた。風に揺れる黒色の髪の感触は、今でもその手に残っている。


「……」


 アデルはぎゅっと拳を握ると、踵を返した。

 一歩踏み出した足は、次第に速くなり、気づけば走り出していた。


 少しでも早く、この場を離れたかった。

 絶対に気付かれたくない。そう思った。

 彼に自分の存在を気づかれることが何より怖かった。


 アデルの脳裏に浮かんだのは、マクミラン邸でのアルベルトの顔。

 驚き、狼狽え、迷惑そうに目を逸らし、苛立ち、そして突き放す。

 もしテオにそんな顔をされたら……そう思うと恐怖で足が震える。


「おう、アデル。あいつは一発殴って憲兵に突き出してきたぞ……って、お前どうした…っ。顔が真っ青だぞ?!」

「……ベルノルトさん」


 そんなに走ったわけでもないのに呼吸が苦しい。激しい動悸とめまいに襲われ、冷や汗が出る。ヒューヒューと喉が鳴りベルノルトに支えられなければ立っている事もできない。


 アデルが浅い呼吸を繰り返しているのに気づいたベルノルトは、急いで抱きかかえ木陰に座らせた。


「…ごめ……なさい…、ベル…ノルトさ…… めい……わ……く……」

「しゃべるな。いいからゆっくり息を吸って、大きく吐いて…。そうだ。迷惑じゃないから。大丈夫だ」


 ベルノルトの胸にもたれながらゆっくりと呼吸を整える。トクントクンと規則正しい心臓の音に呼吸のリズムを合わせる。背中を撫でる彼の大きな手が余りに優しくて、はるか昔、母がそうしてくれたことを思い出す。


 どのくらいそうしていたのか。


「落ち着いたか?」


 ベルノルトにそう問われ、小さく頷いた。


「何があった?」


 優しい口調でベルノルトがそう尋ねる。その口調は本当の家族のように優しく、噛みしめた唇が震えた。


「何でも…ないです。ちょっと疲れたのかもしれません……」

「………そっか」


 ベルノルトはそれ以上何も聞かず、自身が羽織っていたマントをアデルに羽織らせ、フードも被せた。


「あの女…ティナって言ったか…」


 ベルノルトはアデルをゆっくり立たせると、そう切り出した。


「あいつには、関わらないほうがいい」

「……?」


 いつになく堅い口調のベルノルトをアデルはそっと見上げた。その顔はこれまで見たどの表情よりも厳しく、そして真剣だった。


「あいつのカバンの中身………短銃だった。しかもこの辺では出回ってない最新式だ」

「……っ」


 アデルは再び雑踏に目を向けた。多くの人が行きかう街中。

 そこにはもう、二人の姿はどこにもなかった。







本日の更新はこれが最後です。

お付き合い頂き、ありがとうございました。

明日はお休みして、次話は明後日!

よろしくお願いします。

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