34 告白
少し長くなってしまいましたがお付き合いください
「疲れた……」
温かい湯に浸かりながら、アデルは大きく息を吐いた。ゴドウィン商会御用達だという宿でアデルに与えられた部屋は、かなり広めのデラックスルーム。アウグストやベルノルトならまだしも、大した仕事もしていない通訳が泊まるには分不相応だからと何度も断ったのに、最終的に荷物よろしく抱えられ、部屋に放り込まれてしまった。
「ベルノルトの妹なら、私にとっても妹ですね。私のこともお兄さんと呼んで頂いて構いませんよ」
と。
アウグストまでもがそんな事を言い出しす始末。ニコニコと嬉しそうな笑顔を向けられたら、それ以上の遠慮もできず、曖昧な笑顔を作ってでも頷くしか無かったアデルは、決して悪くはないと思う。
バスタブは馴染みの置き型ではなく、床に半分ほどを埋込んだ据え付けタイプで、一人で入るにはもったいないほどの広さがあった。脇に並んだ数種類のバスオイルの中から好みの香りを選ぶと数滴を落とす。ゆっくりと混ぜると、朝露の降りた早朝の林を思わせるさわやかな香りが、湯気と共にふわりと上がる。こんなに贅沢に湯を使い手足を伸ばして入浴したことは、令嬢時代にだって経験はなかった事だ。
「今日は…色々あったなぁ…。商会で通訳の仕事と刺繍の図案を見てもらって……街の散策…テオたちに会ってホットドック食べて…それから……」
ネチネチと永遠に続くかと思われた二人の口論。それを力技で切り上げ、大型犬のリードを引っ張るかのようにテオを引きずり連れ帰ったラウルを、今日ほど頼もしいと思った事はなかった。
見た限り、力関係は確実にテオの方が上だが、互いを信頼し背中を預け合えるその関係性は、間違いなく親友と呼べる間柄なのだろう。
浴槽の縁に頭を預け、目を閉じるとついウトウトと眠くなる。
「あれ…、どういう意味だったんだろう、最後の……」
ラウルが意味ありげにつぶやいた言葉。
「ベルノルトさんとテオが……時間の問題で、危機感の自覚? どういう意味だろ?……難しいな」
ギュウッと固く目を閉じパッ開く。再び目を閉じ、大きく深呼吸をすれば口角が自然に上がる。
「でも、楽しかった」
◇■◇
少しのぼせ気味で風呂から上がり、パウダールームに移動する。用意されていたボディオイルを少量手のひらに落とすと、フワリと甘い香りが鼻腔をかすめる。案内係の女性によると、ゴダード産のラノリンオイルを使った最高級品で主香調はクチナシなのだそう。香りもさることながら肌馴染もとてもよく、いつになく気持ちが上がる。髪と顔にもしっかり保湿を施し鼻歌を口ずさみながらパウダールームを出てテーブルに用意されていた果実水に口をつける……。
「遅かったな」
絶妙のタイミングで聞こえた声に驚き、思わず含んだ水を吹き出した。
「ケホッ……ゴホッ……。……えっ? テ、テオ……っ?!」
「きたねぇーな」
「誰のせいだと……っ、っていうかどうやって入ったの?!」
「ん…」
テオの親指が窓を示す。
「…窓から?……うそでしょ…?…ここ三階なんだけど…」
ロウェルの屋敷の時といい、なぜこうも彼は容易く入り込むことができるのか……。
「どうしたの? 何かあった?」
まだ湿った髪を拭きながらドレッサーに向かう。ローブのまま出てこなくてよかったと心底ホッとした。仮にそうだったとしてもアデルが悪いわけではないのだけれど…。
「……?」
髪を梳かしながら、いつもなら瞬発的に返ってくる返事が一向に返ってこない。それに違和感を覚え振り返ると、彼は手に握った何かをガリガリと握りしめながら、部屋の隅に置かれた椅子に腰かけ虚空を見つめている。
普段のような軽口も叩かず、こちらに視線を向ける様子もない。ぼんやり…というより何か思いつめたような表情に、アデルは思わず立ち上がった。
「……? 具合でも悪いの?」
熱があるのかと心配になり、額にそっと手を伸ばす。するとテオはそれを躱すように僅かに顔をそらした。
「……?」
「今日は、悪かった」
唐突に、下を向いたままテオが謝る。
「腕、大丈夫か?」
言われてようやくその意味を悟った。
「ああ、うん。何ともない。ほら、ね?」
袖を上げて手首を見せると、テオがほっと安堵の息を漏らす。
「それを言うために、わざわざ登ってきたの?」
「……」
昼間は気づかなかったが、テオの顔はひどく疲れている様に見えた。以前は頻繁にアデルの元を訪れていたのに、ここ最近顔を見ていなかった事に今更気づく。それだけ彼の『仕事』が忙しい証拠だろう。
『傭兵』という仕事を、アデルはよく知らない。
主な仕事は、戦場で命をかけて戦う事だと学んだが、好んで戦争を仕掛ける国が少なくなった昨今、傭兵と言う職自体、淘汰されつつあるのだとも聞かされた。
数少ない戦場で実力が伴わずに弾き出された兵士は、野盗に身を落としたり、ケチな犯罪に手を染めたり、その多くが最終的にスラムに落ちる。この世界で生き残るためには、どんな汚れ仕事でも熟す実力とそれなりに太いパイプが必要だと、以前テオが自嘲気味に話していたのを思い出す。
「私は大丈夫だから、疲れてるんだったら早く帰って休んで。相変わらず忙しいんでしょ?」
アデルの問いに、テオは、はぁーっと大きく息を吐くと、大きな手で顔を覆った。
「忙しい……すごく。特に最近は、煩わしい事が次から次へと重なって気軽に外へも出られなかった。お前に会い行く時間も取れなくて、正直限界だった…」
最後の一言が冗談だと分かっているのに、一瞬ドキッとしてしまう。
「まさか今日、こんなところで会えるなんて夢にも思わなくて…。久しぶりに楽しくて、正直浮かれてた。……なのに、お前は変な男と一緒にいるし……。っていうかあいつなんなんだよっ。お兄様って…ふざけてんのかっ」
「あれは…確かに私もびっくりした」
本人の同意もなく、勝手に身内宣言をしてのけたベルノルトがあまりに堂々としていて、思い出す度に笑いがこみ上げる。
「……それなら…俺の方がよっぽどお兄様だろうが…」
ぼそぼそと、いじけたようにテオが呟く。
「ふふっ、何それ。テオも私のお兄様になりたかったの?」
「そんな訳ないだろ。あんな奴と一緒にするな」
「じゃあなんであんなにベルノルトさんに突っかかったのよ?」
「それは……あいつがやけに馴れ馴れしかったから……」
「あれぇ? それってもしかしてヤキモチですか? テオさん?」
だんだんいつもの調子が戻ってきたテオに、そんな軽口を叩く。普段なら軽い調子で「ばーか」と返されるところだ。それなのに……。
「だったらどうする?」
と。
真剣な顔で、でも少し怒ったようにテオが言う。
「……え?」
想定外の答えに、うまく言葉が見つからない。
テオは少しだけ言葉を選ぶように目を伏せ、やがて独り言のように話し始めた。
「……俺はさ。お前が幸せならそれでよかったんだよ。婚約者がいるって知った時はすごくショックだったけど…それでもお前が幸せそうに笑ってたから。その笑顔が見られるだけで満足だった。それなのにあんな事が起きて……。お前が俺の前に現れた時は心臓が止まるかと思った。早く帰してやりたいと思いながらも、一緒に過ごす時間が楽しくて…この時間が続けばいいなんて馬鹿な事を考えた頃もあった。お前を家に帰してこれでようやく踏ん切りがつく…、つけなきゃいけないってそう思ってたのに…。事情を知れば知るほど腹の立つことばっかりで、つい…欲が出た。お前を自由にしてやりたいと思う反面、自分の目の届く所に置きたくて。ずるいよな。今の俺じゃ何の責任も取れないクセに傍には置いておきたいなんて。幸せになって欲しいなんて口では言いつつ、男の影がちらつけば冷静じゃいられない……」
戸惑いと混乱。
テオの独白にアデルは瞬きを忘れ、見つめる。ようやく視線を上げたテオが、諦めたような顔でアデルを見た。
「お前が好きだよ、アデル」
信じられないとばかりに目を瞠ったアデルに、テオはもう一度はっきりと告げる。
「ずっとお前が好きだった」
「……っ」
考えたこともなかったテオからの告白に、言葉が出ない。
「ホントはもっとちゃんとしてから伝えるつもりだったのに……。あいつのせいで予定が狂っちまった。ホントに腹の立つ男だよ。でもおかげで…何もしないまま誰かに取られるなんてまっぴらだって、気づかされた」
テオは椅子から立ち上がると、アデルの前に膝をつきその手を取った。
「ん」
「……え?」
「しゃがんだら撫でてくれるって、言っただろ?」
そのまま導かれ、ポンっと頭に乗せられる。
相変わらず艶やかな、固くはない髪の感触を確かめながら優しく撫でる。あの時と違うのはそのぎこちなさ。無言のままそうしていると、その手首を優しくテオが掴んだ。
「ん。元気出た」
これまで見たことがないほど、柔らかく微笑んだテオの顔に、大きく心臓が跳ねる。
テオはその手首にチュッと音を立てて唇を落とすと、すくっと立ち上がった。
「返事は考えなくていい。今言った事も全部忘れてくれて構わない」
「……え?」
「今はまだ、俺の準備が整ってないから。……時が来たらもう一度、ちゃんとした形で伝えたい。その時は……前向きに考えてくれると嬉しい」
「……」
テオはマントを翻し窓枠に手をかけた。先ほどまでの鬱々とした表情とは打って変わり、吹っ切れたような明るい表情をしていた。
その場にただ一人残されたアデルは、テオが去った後もしばらくの間呆然とその場に立ち尽くしていた。
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