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31 かけ違い

「俺には母親の違う兄貴がいるんだ。今のゴドウィン夫人は俺の実母で、兄貴は先妻の息子。半分だけ血がつながった、ただ一人の兄貴だ」


 居住まいを正したベルノルトが静かに話し始めた。


「親父と俺の母親は若い頃、結婚を誓った恋人同士だったそうだ。でも二人は別れた。家の都合で。別れさせられたって言うのが正しいんだろうな。その後、親父は親が決めた女性と結婚しすぐに子どもを授かった。それが兄貴だ」


 静かな口調のベルノルトは、いつもとは随分雰囲気が異なる。彼の語る境遇が、少しだけアデルのそれと似ているような気がして、無意識に目を伏せた。



 産後の肥立ちが悪かった前夫人は、その後まもなく、お兄さんを残して亡くなってしまったそうだ。

 当時、新しい事業を興したばかりで仕事に忙殺されていたベルノルトの父は、子育てのすべてを使用人に任せ、家を離れることも多かった。それから二年程が経ち、当主としての力量を誰もが認め始めた頃、仕事で訪れた隣国で、偶然、昔愛した恋人との再会を果たした。ずっと彼女への未練を断ち切れずにいた彼は彼女との再婚を切に願った。


 事業家として既に成功を収め、飛ぶ鳥を落とす勢いの彼の再婚を反対しようなんて者はいなかった。

 既にお腹には彼らの子が宿り、その子が生まれる少し前、二人はようやく家族となった。前夫人の息子であるベルノルトの兄も義母に大変よく懐き、義母もまた彼を実の息子同様可愛がった。


「なんでか知らないけど、兄貴と母さんはよく似てるんだ。顔も性格も。最近はよく二人して俺に小言をぶつけてくる」

「仲がいいご家族なんですね」


 家族の話をするベルノルトの顔がとても穏やかで、アデルは無意識にそう口にした。


「そうだな。少なくともお前んちよりはマシかもな」

「ええ。そう思います」


 アデルの家も、内情を知らない者から見ればそこそこ仲のいい家族に見えただろう。いや、実際、仲はよかったのかもしれない。アデルさえいなければ。


 いつの間にか随分と小さくなった氷が、カランと音を立てた。色も味も薄くなった紅茶を一口飲み下せば、かろうじて風味だけが残る。


「悪い……。失言だった」

「え? ああ…いえ。大丈夫です」


 今、アデルはどんな顔をしていたのだろう。ベルノルトがバツの悪そうな顔でアデルを見つめていた。


「気にしていません。もう過ぎた事ですから。それで…それがベルノルトさんのキャラ作りとどうつながるんですか?」


 沈んた空気をなんとかしようと思っただけなのに、ベルノルトは少しムッとしたように眉間にしわを寄せた。


「お前…そのキャラ作りって言うのやめろ…。すごい痛いヤツみたいだろ……」

「あ、ごめんなさい」


(気にしてたんだ…)


 ベルノルトは、通りかかったウェイターを呼び止めると追加のコーヒーを頼んだ。「お前は?」と聞かれ、同じものをお願いする。


「俺は…兄貴に家を継いでもらいたいんだよ」


 ベルノルトが少し淋しげに口角を上げた。


「兄貴はさ、俺なんかよりずっと優秀なんだ。計算とか帳簿の整理とかほんと完璧で。今だって親父の右腕として経営にも携わってる。俺は…そういうの、ホント苦手でさ。できる事って言えば親父の後ろで周囲に愛想を振りまく事くらいだ。……それなのに…」

「ゴドウィンさんはベルノルトさんを後継者にと考えてるんですね」


 正しく答えを導き出したアデルに、ベルノルトが目を瞠る。


「お前、ほんっと鋭いな……。そう、二十歳になってすぐにそう言われた。確かに親父は昔っから誰よりも俺を可愛がってくれた。やんちゃばっかで目が離せなかったっていうのもあるんだろうけど、第一の理由は俺があの人の子だからなんだろう。でもそんな理由、俺は全然納得できない。ゴドウィンは兄貴が継ぐべきだ。名実ともに正当な後継者は兄貴なんだから」

「だからベルノルトさんは遊び人のように振る舞ってると…」

「そうしてりゃ、いつかは親父も諦めるだろうって…そう思ってたんだけどな。気づけばもう六年だ。今じゃこっちが素になっちまった」


 鼻で笑うベルノルトを横目に、アデルは運ばれてきたコーヒーに口をつけた。以前はこの黒い見た目も味も、どうしても受け入れられなかった。それが今ではおいしく感じられるんだから、人の成長とは不思議なものだ。


「……可哀想ですね、お兄さん」


 アデルが呟いた。


「そうだろ? だから俺は親父にちゃんと兄貴の事を考えて欲しくて…」

「そうじゃなくて」

「……あ?」

「弟のあなたに、そんな風に思われてるお兄さんが可哀想だなって思って」


 ベルノルトの顔が急に険しくなる。


「どういう意味だよ?」

「ベルノルトさんはお兄さんに同情してるんですよね? 自分の方がお父さんにかわいがられてるから、選ばれちゃって申し訳ないって。だから自分の価値を落として、お父さんにお兄さんを選んでもらおうとしてる」

「……それはっ!」


 慌てたように否定するベルノルトだったが、その先の言葉が続かない。


「さっき、あの人の子どもだから後継者に選ばれたって言ってましたけど、ほんとにそうでしょうか?」

「…違うってのか?」


 野性味のある男が凄むとそれなりの威圧感がある。

 でもアデルはそういうのには慣れっこだ。命の危険がないので何の恐怖も感じない。


「お父さんは、お二人をきちんと見ていると思いますよ。その上で、後継者はベルノルトさんが適任だと思った。私はそう思いました」

「お前、ちゃんと俺の話聞いてたか? 兄貴は俺なんかよりずっと優秀で…」

「私はお兄さんにお会いした事がありませんが、お話を聞く限りとても優秀な方だと思います。経営には経理事務の能力が高い人が求められますから」


 これは兄であるノアの受け売りだ。昔は難しくてよく分からなかった兄の話が今なら理解できる。


「でもそれは経営者としてのスキルじゃありません。もちろんあるに越した事はありませんが、それよりもっと大切な事があります」

「なんだよ?」

「周囲をよく見る事。全体を把握して、足りないところを補い、余計なところは軋轢なく削る。その決断力がベルノルトさんにはあります。人が好きでうまく周りを巻き込んで、頼って、頼られて。それが自然にできるスキルをベルノルトさんは持っていると思います。それから…ベルノルトさんはこの仕事が、商会の仕事がお好きですよね?」

「………」


 アデルをスパイだと疑った事も、今こうして不安の芽を摘み取ろうと陰ながら動くのも、すべては家のため。仕事が好きじゃなきゃできない事だろう。

 アデルから逃げ回っていたベルノルトだったが、時折見かける彼は、職人たちの輪の中に自然に溶け込める人だった。毎日遊び歩いていても仕事に支障をきたした事は一度もないと聞く。賭博場には情報が集まり、酒場では思わぬ人脈が得られる。無意識に人とのつながりを作る才能は持って生まれたものだろう。得ようと思って得られるものでは決してない。


「お父さんは、二人の性格を熟知した上でその采配を下したのではないでしょうか? お父さんはお兄さんの事もちゃんと見ていると思いますよ」

「…………」


 ベルノルトはじっと黙り込んだ。


 コーヒーからゆるゆると立ち上る湯気が、いつしか消えた。ゆっくりと冷えていくその時間、二人の沈黙は続いた。




本日もお読み頂きありがとうございました。

次話もどうぞよろしくお願いいたします。

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