29 ベルノルト①
「…今日もですか」
「はい…。申し訳ございません」
馴染みになった執事長と交わす、日課となった定型文。一瞬の沈黙の後、揃って深く長~いため息を吐き出すのもまた、ここ最近の流れだ。
残り四日の派遣期間が終わり、通訳兼家庭教師の職に就いて一週間。
現在は別の派遣先で働くアデルだったが、午後は約束通りゴドウィン邸へと足を運ぶ。工場は一部の職人を残し、他は皆帰国の途についた。アデルと運命の出会いを果たした職人も例外ではなく、他を押し退けいの一番に帰って行った。妻の出産に間に合えばいいなとアデルも祈る。
通訳の仕事は、作業に流れができた事、職人と作業員が自然にコミュニケーションを取リ合う事で、必要とされる事案も随分と減った。これなら引退の時期も近いだろう。
そうなると目下の任務は家庭教師なのだけれど、これがまた一筋縄ではいかない。
「それじゃ、ベルノルトさんが戻るまで作業場の方を手伝ってきます」
「いつも申し訳ありません。よろしくお願いいたします」
最初の二日ばかりは、まじめに授業を受けていたベルノルトだったが、次第に遅刻が多くなり五日目を過ぎた辺りからはとうとう姿も見せなくなった。
(まあ、気持ちはわからなくもない……)
自分より八つも下の小娘、しかも下級職の洗濯婦に語学を習うなんて、そこそこのプライドがある男性であれば受け入れ難いものがあるだろう。とはいえ、教える相手がいなくてはアデルの仕事は成り立たない。仕事もしないのに給金を貰うわけにはいかないので、急場しのぎに工場の作業員として現場に加えてもらっている現状だ。
屋敷に隣接した工場のいくつかある建物のうち、一番小さい建物がアデルが通う第一作業場だ。
ここでは、現地から運ばれた獣毛のゴミや汚れを取り除く「スカーティング」という作業を行う。刈り取っただけの獣毛をグリージーと呼ばれる状態にする初期洗浄が主な仕事だ。それが終わると今度は別棟にある第二作業場へと運ばれ、洗浄剤を加える「ソーピング」という作業に入る。ここではスカード、ロールと行程を経て、スライバーと呼ばれるロープの状態にまで持っていく。その後は王都郊外の工場に運ばれ毛糸となり市場へ、というのが一連の流れらしい。
アデルは最初の行程の「スカーティング」作業を手伝わせてもらっている。ある程度の汚れは現地で取り除かれているものの、どうしても不十分さは否めない。更に細かいゴミや汚れを取り除き、湯での洗浄。その後職人たちの手で品質のチェック、クラス分けを行い次の工程へと進む。
『アデルさん、テーブルの上の黄色いハサミ、取ってもらえますか?』
『わかりました』
会話ができる事でアデルと職人たちが打ち解けるのは早かった。仕事は楽しく職人はみな親切で、現場の作業にも早々に慣れた。その上で思う。
(もう家庭教師はやらなくてもいいかも…)
そんな事を考えながら、言われたテーブルにハサミを取りに向かうと、
「何やってんだ、お前」
声と共に差し出されたのは黄色いハサミ。
「何って…作業を手伝ってるんです。誰かさんが授業をすっぽかすので、給金分は働かないと。おかげでスカーディングの腕が随分上達しましたよ」
嫌味を交えて言ったのに、ベルノルトにはまるで響いていないようだ。アデルを無視し、作業場内をぐるりと見回す。
「見学していきますか?」
「いやいい。それよりちょっと出ようぜ。いいとこ連れてってやる」
胡散臭い誘い文句で連れ出された先は、以前ラウルに連れてきてもらった高級カフェ店だった。
「最近、若い女性の間で流行ってるんだと。値が張るから金のあるやつしか入れないけどな。普通ならお前みたいな貧乏人、一生入れない店だぞ。感謝しろ」
「……」
言いたいことは山ほどあるが、ここは敢えて言葉を飲む。
席につきメニューを開くと、相変わらずの価格帯に目をやられる。が、今日はお金持ちのお坊ちゃまの奢りだ。これまですっぽかされた腹いせに、店で一番値の張るアイスフルーツティーとケーキ二種のセットを遠慮なく注文してやった。
間もなく運ばれてきたティーセットにアデルは心の中で「わぁ…!」と歓声をあげた。悔しいのでもちろん顔には出さないが。
透明なガラスポットには馴染みのモノから見たことのないモノまで、何種類ものカットフルーツが沈んでいた。それを氷と、これまたフルーツのたくさん入ったグラスに勢いよく注ぐと、ふわりといい香りが漂う。一口すすれば、甘みと酸味が程よく喉を潤す。無表情を崩さず、且つ幸せをかみしめながらフルーツタルトにフォークを入れると、それまで黙っていたベルノルトの視線に気づく。同じく運ばれてきたコーヒーに口をつけながら鋭い視線でアデルを見る。
「それじゃ、そろそろ話してもらおうか?」
口元まで運んだフォークが止まる。
「何をですか?」
「お前のホントの目的」
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