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28 主との対面

「君がアデルさんだね」


 職人に、半ば引きずられるように屋敷に連れて行かれたアデルは、執事に引き渡され、そのまま主の執務室へと連行された。革張りのソファに腰掛け、目の前にはミルクがたっぷりと入った紅茶。カップにはソーサーと高価な角砂糖まで添えられ、まるで客人のような待遇だ。


「ゴダードの言葉が話せるというのは本当かい?」


 向かいに座る白髪に白いひげを蓄えた穏やかそうな紳士がそう訊ねた。


「もし本当なら、是非力を貸して貰いたいんだが、いかがかな?」


 決して高圧的ではない接遇。目上の人間にこうも下手に出られては、断る理由が見つからない。


「私でお役に立てるなら……微力ではありますがお手伝いさせて頂きます」

「……」


 アデルの返答に、主の瞳が動く。自分を注視しているのに気づき、アデルはさりげなく顔を伏せた。こんなところで出自がバレるとは思わないが、なるべくなら目立つことなくやり過ごしたい。そんなアデルの考えを別の意味に捉えたのか、主は前のめりだった体をゆっくりと背もたれに落ち着かせた。


「いや、すまないね。あまりにかわいらしいお嬢さんでつい目を奪われてしまった。失礼を許して欲しい」

「いえ。そればかりは私も両親に感謝しています。お褒めいただきありがとうございます」

「……フッ、わっはっはっ!」


 急に笑い出した主に、アデルは驚いて顔を上げた。


「……いや、君は面白いお嬢さんだね。うん。君なら安心して任せられそうだ。早速で悪いんだが仕事の話をさせてもらってもいいかい?」


 なにがツボに入ったのかはわからないが、どうやら主には気に入られたようだった。アデルは気持ちを切り替え「はい」と返事をするとピッと姿勢を正した。



 今回の件を要約すると、


 ゴダード王国の山岳地には、キューナと呼ばれる高級な獣毛が取れる山羊が生息しているらしい。今回ゴドウィン家はソアブル王国で初めて、その獣毛を取り扱う権利を落札できたそうだ。昔馴染みの商団主が通訳も兼ねて仲介してくれていたのだが、現地で病に倒れこちらに戻れなくなり、その旨が書かれた手紙も郵送事故に巻き込まれ、荷受けとほぼ同じタイミングになってしまった。急な事に別の通訳も見つからずどうしたものかと悩んでいたところに偶然アデルが現れた、という事らしい。


「一応仕様書のような物があるんだが、ゴダード語で書かれていてね。これがさっぱりわからない。職人たちはそもそも文字が読めないから、どうすることもできなくてね」

「仕様書ですか……。見せて頂いてもよろしいですか?」

「ああ、もちろん」


 手渡された数枚の紙に目を通す。


「ええと……キューナの毛の初期洗浄には必ず熱い湯を使用する事」

「熱い湯? ……理由は?」

「キューナの獣毛は油分が多いので、水につけると繊維が固まってしまうそうです。汚れやゴミを浮かせるには熱い方が効果的ですから。脂を取るためにも重要な工程のようです」

「脂?」

「ええ。この時に取れる脂は精製すれば化粧品として利用できるみたいです。それから…二度目以降の洗浄にはぬるま湯と洗浄剤を使う。その際エスポーサの果汁を必ず絞り加える事。この工程を怠ると白さが損なわれる、と書かれていますが……、エスポーサって何でしょう? ご存知ですか?」

「彼なら知ってるだろうから、聞いてみてもらえるかい?」


 アデルは先ほどから部屋の隅で心配そうに成り行きを見守っていた職人に尋ねた。


「緑色の小さな丸い果実だそうです。今回の荷物と一緒に運んできたと言っていますが」


 主人に尋ねると執事長が書類をめくる。


「それなら東の食品倉庫に保管されています」

「……彼が言うにはエスポーサは食用ではないそうです。食べても体に害はないようですが、口から泡が出ると言っています。あとすごく苦いそうです」

「大変だっ…! 早急に倉庫から運び出さなくては。流通してしまったら信用問題になる……っ」


 執事長が慌てて部屋を飛び出した。


「他に気を付ける事はあるかい?」

「洗浄後の乾燥も、あまり日に当てるのは好ましくないそうです。風通しのいい日陰干しが理想的のようですね」

「なるほど」


 主はそれらを詳細に書き留め、アデルを介し職人にいくつかの質問をすると、最後は満足そうに頷いた。


「君のおかげで今日から工場を稼働出来そうだ。ありがとう」

「いえ、お役に立てたのでしたら何よりです」

「それで……もしよければこの後もしばらく、君の力を貸して欲しいんだが、どうだろう?」

「それは構いません。こちらでの派遣期間はあと四日ほど残っていますので、その間、手の空いた時間で宜しければお手伝いします。その後は別の派遣先が決まっているので、雇い主に確認してみないと分かりませんが……」

「こちらを優先してもらう事は可能かな? もちろん給金は弾むよ。雇い主には私が話をつけよう」

「それは……申し訳ありません。本業に支障が出るのは困ります」

「……」


 アデルの言葉に、主が驚いたように言葉を飲んだ。


「あ、でも時間外なら問題ありません。午後は仕事がないので、雇い主に話をつけて頂く必要もありません。それでよろしければお手伝いさせて頂きますが、いかがでしょう?」

「……君は、つくづく面白いお嬢さんだね」


 主が目を細めてそう言う。


「面白い……ですか?」


 さっきから「面白いお嬢さん」を連発する主に少々戸惑う。今まで自身を面白い人間だと思った事は一度もない。他人から言われたことも然りだ。決して悪い意味ではないと思うがその理由が少しだけ気になった。


「いや、そうか……。年頃のお嬢さんに面白いは失言だったね。ただ、私の提案よりも、明らかに稼ぎの低い本業を優先したいと言われるとは思わなくてね。少し驚いてしまったんだ。私が根っからの商売人だからかもしれないが、普通はより稼げる方に飛びつくものだろう? それを当たり前のように受け流すから、何とも興味深くてね」


 主がいかにも楽しそうにそう言うので、アデルも安心して肩の力を抜いた。


「そうでしたか。確かに通訳のお仕事も魅力的だとは思いますが、今はこの仕事にやりがいを感じていて…楽しいんです」

「やりがいか……それは大事な事だね」

「はい。生まれて初めて、自分がやりたいことをしています。誰のためでもなく自分のために…。私、小さい頃からいろんな事に取り組んできたんですが、お恥ずかしながら全部中途半端に投げ出してしまっていて…自信をもってできる事ってあんまりないんです。そんな私が唯一自信をもってできるのが今の仕事で……まだ始めたばかりなので知らないことも多くて、教えて貰うこともたくさんあって。新しい事を知るのがすごく楽しくて」

「でも楽しいだけじゃ生活はできないよ? しかも昼間の数時間じゃ大した稼ぎにはならないはずだ。君のような若いお嬢さんなら、もっとおしゃれにも気遣いたいんじゃないのかい?」

「それは…そうなんですけど……。でも、ずっとこのままでいるつもりはありません。上を目指すなら一番下からって思ってるだけで、いつかはもっと上を目指すつもりでいます。だから、今はまだここでいいかなって。若いですし、時間もたっぷりありますから」

「……」


 主が再び、アデルを見つめる。

 生意気だったかなとも思ったが、主の優しげな目を見ると不快そうな様子は見えない。


「やっぱり、君は面白いお嬢さんだ」

「誉め言葉として受け取らせて頂きます」

「いいだろう。そういうことなら、君の意見を尊重させてもらうよ。今後の事は改めて相談するとして…取り急ぎ、君に提案したい仕事は二つだね。一つは当面の通訳。もう一つは、時間外でいいから私の息子にゴダード語を教えてもらいたいんだ」

「息子さんにゴダード語を…ですか?」

「できれば会話が成り立つ程度まで継続してもらいたい」

「……」


 思いがけない提案に、流石に即答はできなかった。

 自分に人を教えるだけの力があるのかもわからないし、果たしてどのくらいの期間になるのか予想もつかない。


「私には息子が二人いるんだがね、今後、ゴダートとの取引は弟のベルノルトに任せたいと思っている。少々むら気はあるけど人好きのする子でね、適任だと思うんだよ」


 主の口調からは子に対する愛情がにじみ出ている。


「ゴダード語は発音が独特なので、少しお時間がかかるかもしれません」

「構わないよ。一年でも二年でも、君さえよければ終身雇用でも私は構わないが?」

「さすがにそれは…。あの、因みにお坊ちゃまはおいくつでいらっしゃいますか?」


 この主の見た目からしても、子どもが幼い可能性は低いだろう。となればアデルと同世代か少し下……いや上?


「あれの年かい? あれは、確か今年で……ああ、本人が来たようだね」

「……?」


 ドタドタと近づいてくる激しい足音に続き、バタンと勢いよくドアが開く。


「親父! 急になんだ?! 俺にだって色々都合があるんだぜ!」


 お坊ちゃまらしき「本人」は、ワゴンの水差しから勢いよくグラスに水を注ぐと、グビグビと喉を鳴らして一気に飲み干す。手の甲で乱暴に口元を拭うと、どかっとソファに腰を下ろした。


 アデルの隣に。


「ん?」


 呆気に取られるアデルを、胡散臭そうにジロジロと見る。


「誰だ、お前?」

「彼女はアデルさんだよ。今日からお前にゴダード語を教えてくれる先生だ。くれぐれも失礼のないように、いいね? ベルノルト」

「「え?」」


驚きの声が同時に二人の口から零れた。


本日もお読み頂きましてありがとうございます。


少しテオが不足していますが…あと四話くらいで出てきます。

今しばらくお待ちくださいませ。


それではまた明日もよろしくお願いします。

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