27 ゴドウィン邸にて
「うそ…っあんなに落ちなかったのに…っ! なんでこんなにきれいになるの?!」
「アデル、すごいね! あんた天才だよ!」
「いえ、それほどでも……ありますが」
「やだよ、この子は。そこはありませんでしょ!」
洗濯場にドッと広がる大きな笑い。
ゴドウィン邸で働き始めて十日が過ぎた。アデルの仕事は特に問題もなく順調な毎日だ。
「お酒とお酢で汚れが落ちるなんて考えもしなかったわ」
屋敷のランドリーメイドが、シャツの襟周りを日に透かしてそう言う。
「私も前にいたところで教えてもらったんです。血液の汚れや尿なんかは大根の汁、油のシミにはきゅうりを使うときれいになるそうですよ」
「はぁ~。勉強になるわぁ」
「ほんとよねぇ。最近やり直しが少なくて奥様が褒めてくださったの。みんなアデルのおかげだわ」
ここで働くメイドたちは皆、気のいい人ばかりだ。外部から来たアデルを下に見るような事はなく、働く環境としては申し分ない。おかげで緊張する事もなく日々楽しく仕事に励む事ができる。
「そういえば、今日は工場の方が騒がしいみたいだけど何かあったの?」
アデルと同時期に雇われたランドリーメイドのジェーンが不意にそう切り出した。
「ああ、昨日ゴダードから届いた繊維の前処理で、問題が起きてるみたい。詳しい事はわからないけど、何度やっても黒ずんで製品に出来ないんだって。ご主人が嘆いていらっしゃったわ」
屋敷のメイドがそう答える。
ゴダードはソアブルの北に位置する畜産が盛んな王国だ。アルベルトの家の取引商材にもこの国の毛織物があったので、アデルもそれなりに学んだ記憶がある。
「向こうの職人さんも一緒なんだけど、言葉が通じなくて困ってるみたい。通訳の手配が間に合わなかったんだって」
アデルはジェーンと作業を進めながら話に耳だけ傾ける。
「どっちにしろ、あたしたちには関係のない話だよ。特にあたしなんかしゃべるのだって精いっぱい」
「あらやだ、マーサの口は誰よりも達者じゃない」
「違いない」
マーサの真剣な顔に再び大きな笑いが広がる。
「さあさあ、私たちは私たちにしかできない仕事をしましょ。洗うものはまだまだたくさんあるんだから」
しっかり者のエルサが場を仕切る。
「「はーい」」
みんなが手を動かし始めたところで、アデルは終わった洗濯物をまとめて立ち上がった。
「それじゃ、私は終わった分を干してきます」
「一人で大丈夫かい? 一緒に行こうか?」
「いえ、場所はわかってますし、これくらいなら一人で大丈夫です。すぐに戻ってきますので、ここはお任せしますね」
「はいよ。任されましたぁ!」
ドンッと胸をたたくマーサに笑顔を向け、アデルは干場に向かった。
屋敷の東側にある水場から建物の裏手を通り西側にある干場へと向かう。初日にメイドから、中庭を通るのが一番の近道だと教えてもらったが、それはまだ一度も実行した事はない。お仕着せが支給されたメイドならともかく、古ぼけた作業着姿の洗濯女がきれいに整備された中庭をうろうろしていたら悪目立ちするだけだ。客人の目に触れればこの家の評判を落とす事にもなりかねない。
日当たりのいい広場に張られたロープに洗い立てのシーツを順に広げる。飛ばされないようピンチで留めるとフワリと風をはらんだシーツが気持ちよさそうに揺れた。真っ青な空に温かな風。アデルはその様子を満足げに眺めると、大きく深呼吸をする。
これまでの人生で、今が一番幸せだと感じる瞬間だった。周囲の顔色を窺う必要もなければ、行動を制限されることもない。充実した日々。テオの言っていた「自由」の意味を改めて噛みしめる。
「テオには本当に感謝だな……」
そう呟く。その時だった。
『あの、すみません…』
突然背後から聞こえた声に振り返る。
『はい、なんでしょうか?』
聞こえた言葉に反射的に同じ言葉で返した。
「……!」
その人は酷く驚いた顔でアデルを見つめていた。
(あ、しまった……)
身なりからしておそらく男はゴダードの職人だろう。そして使っていた言葉は大陸の公用語ではなく、ゴダード国独自の言語。慌てて口を押えたが時すでに遅し。
『あ…あなた! 私の言葉が分かるんですか?!』
『あ、いえ…今のは…』
『ああ、神よ…っ! 昨日からこちらに滞在しているのですが、責任者の方と話が出来なくて困っていたんです!! どうか彼に私の言葉を伝えてもらえませんかっ!!』
男の懇願に戸惑うアデル。
『お願いします! このままでは私は国に帰る事が出来ません! 私の妻がもうじき出産するのです! それまでに帰ると約束しています!! 初めての子なんですっ! だからどうか……っ! 私を助けると思って……っ!!』
膝をつき、祈るように手を組む男の姿に、アデルは天を仰いだ。
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