25 ラウルと①
「アデル、ちょっといいかい?」
商家での仕事を終え、日当を受け取りに来たアデルを洗濯屋の店主が呼び止めた。
「なんでしょうか?」
人当たりのよさがにじみ出ている雇われ店主の笑顔につられ、アデルの口角もつられて上がる。
「明日からの仕事なんだけどね、ゴドウィンさんの所に行ってもらいたいんだ」
「ゴドウィンさん…ですか?」
「大通りの南に大きな邸宅があるだろう。繊維を生業としている豪商でうちもご贔屓にしてもらってるんだが、人手が足りないらしくてね。何人か寄こすように言われたんだが…人手が足りないのはうちも同じでね。お前さんなら一人でも大丈夫かと思って」
その邸宅ならアデルも知っている。貴族の屋敷と見まがうほどの大きなお屋敷で、反物を積んだ荷馬車がひっきりなしに出入りしている所を何度か見た事がある。
「期間はどのくらいですか?」
「臨時だから二週間程度でいいそうだよ。仕事はいつも通り。賃金は普段の倍出すよ?」
「倍?!」
「アデルは一人で二人分の仕事が熟せるから。どうかな? 頼めるかい?」
「わかりました! 大丈夫です! 問題ありません!」
「はっはっは! アデルならそう言ってくれると思ったよ。じゃあ先方には伝えておくから。よろしく頼んだよ」
ポンっと肩を叩かれ、ああそうだと店主がポケットを探る。
「これは先方から預かった支度金だ」
店主はアデルの手に小さな巾着を乗せると、よかったよかったと呟きながら店の奥に消えていった。
「えーと、今日のお遣いは……」
買い物メモを取り出し頼まれたものを確認する。夕方には少し早い時間帯。商店街の品ぞろえはまだまだ充実している。アデルはいつものように、大通りから一本入った裏通りで安価な生活用品や食材を見て回る。
「今日は臨時収入があったから、ちょっと贅沢してもいいかな」
店主からもらった袋の中には日当とは別に銅貨が十枚が入っていた。これだけあれば欲しかった本に手が届く。スキップしたい気持ちを抑えて歩いていると、
「あれ? アデル?」
馴染みのある声に呼び止められた。
「仕事帰り? なに? 買い物? 付き合おっか?」
赤茶の髪に緑の瞳。テオと同じく高身長のラウルが、人好きのする笑顔を浮かべ小さく手を振りながらやってきた。
「珍しいわね、ラウル。一人?」
普段テオと一緒に行動することが多いラウル。こんな風に一人で街にいる姿はかなり珍しい。
「うん、今日は別行動。え?もしかしてテオに会いたかった?」
「ん? 別に? この間会ったばかりだし」
「ああ、まあ…そうだよね」
乾いた笑いに続き、なぜか大きくため息をつくラウル。
「どうしたの?」
「いや…道は険しいなと思って」
「道? 次の仕事は山でも越えるの? 大変ね」
アデルの返しに一瞬ラウルが固まる。
「…うん、まあそんなとこ。あ、それより今から時間ある?よければちょっとお茶でもしない? 奢るからさ」
「うん。いいわよ」
日暮れにはまだ時間がある。今日のお遣いリストに生鮮品はなかったから急いで帰る必要もない。決して「奢る」につられたわけではない。
ラウルの案内で向かったのは大通りに面したちょっと…ではなく、かなり高級そうなカフェだった。アデルは自分の服装に目を落とし、続いてラウルを見る。二人とも明らかにこの店に相応しい服装ではない。
「ねぇ、ここはちょっと…」
入り口に立つドアマンの視線が刺さるように注がれているのに気づき、小声でラウルに囁く。
「ん? なんで?……ああ」
言葉の意味を察したラウルが、チラリと男に視線を向ける。男はラウルの顔を視認すると、急に顔を強張らせ大きく喉を上下させた。
「……?」
「あっここね、珍しいメニューがたくさんあるんだ。南国の果汁を絞ったジュースとか、フルーツを挟んだサンドイッチとか。アデルは食べたことある?」
「え…? ううん、ないけど…」
「よかった!じゃあ、入ろっ」
エスコートをするように手を差し出され、無意識にその手を取る。先ほどとは全く態度の異なるドアマンが、丁寧に腰を折り扉を開ける。強く閉じた目からはなぜか緊張が伝わった。
「……?」
「僕は何にしよっかなぁ?」
慣れた様子で日当たりのいいテラス席に向かうラウルに手を引かれ、アデルは首を傾げながらも素直に後に続いた。
◇■◇
「……おいし…っ」
とろりとしたのど越しに、味わったことのない甘み。初めて飲む卵色のジュースに思わず言葉を失う。
「おいしいでしょ? この辺じゃここでしか飲めないんだよ」
まるで自分が作ったかのように誇らしげにラウルが言う。
「マンゴーっていう名前の木の実を牛乳と氷を合わせて攪拌するんだ。他にもパイナップルとかキウイのジュースもあるよ。飲んでみる?」
「ううん、大丈夫。それはまた今度で…」
このマンゴージュース。なんと一杯で銅貨二十五枚。銅貨十枚でウキウキしていた心臓がドキドキに変わる。そんなアデルをラウルがニコニコと満足げな顔で見ている。
「そう? じゃあまた今度ね。それで、今日はアデルにこれを渡したくて誘ったんだ」
そう言いながら懐から出てきたのは、またもや小さな巾着袋。
「この間のハンカチの代金。いつ渡せるかなって思ってたからちょうどよかった」
「ああ」
そう言えば…と先日のやり取りを思い出す。差し出された巾着を手のひらに乗せるとチャリチャリとコインのぶつかる音がした。重量的に十枚にも満たないその感触にアデルはホッと息を吐いた。
「ほらね、大した金額にならなかったでしょ?だから言ったのに」
巾着の紐をほどいていると、ラウルが悔しそうに同意する。
「そうなんだよね~。あの店主それが限界とか言っちゃってさ。銀貨三枚とおまけの銅貨って中途半端にもほどがある」
「ふふっ。まあそんなもんでしょ? それくらいが妥当な………え?銀貨…?」
袋の口が開いたのと同時にアデルの口も開く。おろそかになった手元から巾着の中身が零れ落ち、銀色のコインがテーブルの上で固い音を立てる。
「銀貨五枚は堅いと思ったんだけどさぁ。ホントごめんね。次までにもっといい業者見つけとくからね」
「ちょ…ちょっと待って…っ。銀貨さん…三枚って…っ。ハンカチ五枚だよ? 一体どんな交渉したの…?」
銀貨三枚と言えばアデルが三カ月弱フルで働いて得られる給金と同等だ。
「ん? ウチが良く取引してるギルドに持ち込んだだけだけど?」
「……」
「まあ、生地も糸も最高級のシルクだったし、妥当と言えば妥当かな」
「それにしたってこんな大金……」
受け取れるわけがない…そう続けようとしたアデルを、ラウルは真剣な顔で見つめた。そして言葉を遮るように乱暴にグラスを掴むとゴクゴクと中身を飲み干す。空になったグラスをトンっと音を立てテーブルに置くと、
「あのさアデル。アデルはもう少し、自分の価値を認めてあげた方がいいと思うんだよね」
突然そんな言葉を放った。
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次話投稿は少し早めの11:00頃を予定しています。
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