17 本当の気持ち
黒髪にすらりとした長身。
傭兵団のリーダーを名乗るその男は、出会った日からずっとアデルの味方だった。
荒くれ者を束ねるには若く、とても端正な顔立ちをしたその人は、ぶっきらぼうで口は悪いが正義感がとても強い人。
危険を冒してまでアデルを逃す手助けをしてくれた人物で、ここに戻ることができたのも、純潔を守り抜くことができたのも、心が折れることなく生きてこられたのも全て彼のおかげだと言っても過言ではない。
裏切りの末路は死だと、いつも嘯いていた彼がその後どうなったのか、気にならない日はなかった。二度と会うことはないとわかっていたのに、きちんとお礼も別れも告げられなかった事をずっと悔やんでいた。
その恩人が今、アデルの目の前にいる。
「…元気に決まってるでしょ? テオも元気そうで何よりだわ。あの後どうなったか心配だったから」
「へぇ…? 俺の事なんてとっくに忘れてると思ったのに…。まさか心配してくれてるとは思わなかった」
「ちょっと、人の事なんだと思ってるの? そこまで恩知らずじゃないわよ」
「アデル……」
急に声に甘さをはらみ、テオが呼ぶ。
「…な、なに?」
「なんていうか…キラキラしてる…月明かりのせいか?」
「…なにが…」
「鼻水が」
「もう…っ! そんな言い方しないでよ! 紛らわしい!」
「はははっ!」
テオの軽口にアデルの心が軽くなる。テオはこういう人だ。空気を読んで、さりげなくアデルの心を照らしてくれる。
「風邪か? どうせまた腹出して寝てたんだろ?」
「またって、見たことないでしょ?」
「ないと思うか?」
「うそっ?!」
「うそ」
「……っ!!」
子どもみたいなやり取りに思わずクッションを投げた。それを受け止め形を整えながら楽しそうにテオが笑う。
「冗談だよ。そんなに怒るなって。……それで?」
「…ん? なに…」
「何があった」
「……」
変わらぬ洞察力。思わず言葉に詰まる。
「攫われても襲われても泣かなかったお前が泣くなんて、よほどの事だろ?何があった?」
勘のいいテオが気づかないはずがなかった。
「話せよ」
アデルは少し考え、一度大きく息を吸った。そしてこれまでの出来事をゆっくりと話し始めた。
「そうか……」
全てを聞き終えたテオは、ただ一言そう呟いた。
アデルも全てを吐き出せたことで随分と気持ちが楽になった。相手がテオだったことも大きな要因かもしれない。
「私もまさか、こんな事になるとは思ってなかったんだけどね。……でもまあ、そう言う事なの。危険を冒してまで逃がしてくれたのに、本当にごめんなさい。おまけに愚痴まで聞いてもらって……。テオにはほんと感謝してる。ありがと」
女の愚痴なんて面倒だと男たちは言っていた。娼婦たちは、甲斐性のない男ほど女の愚痴に付き合えないと真っ向から噛みついた。テオはおそらく甲斐性のある男だろう。娼婦たちがこぞって彼との一夜を望んでいたから。
「何かお礼が出来ればいいんだけど……ごめんなさい。私、何も持ってなくて…」
部屋にあっためぼしい貴金属は何一つ残っていなかった。部屋の主が戻る可能性を考える者は、誰一人いなかったらしい。
「ドレスとか靴とか……売ったら少しはお金になる? あとは本とか筆記具くらいしかないんだけど…」
ゴソゴソと、手当たり次第にそれらしいものを選び出す。
「もう必要ないから、全部持っていってくれて大丈夫。あとは……」
「アデル。お前は本当にそれでいいのか?」
脈絡のない言葉ではあったけれど、アデルは理解した。
「…いいもなにも、しょうがないじゃない。お父様のいう事は絶対よ。逆らうなんて許されない。それに…この国にいる限り逃げ場なんてないもの」
当然納得できる話ではなかった。突如攫われ、理由もわからず五年という時間を奪われた。婚約者を失い、覚えのない醜聞を晒され、家門の体裁を保つためだと家を追い出されることになった。こんな事快く承諾できる人間がいるなら、それは聖女と呼ばれる人種くらいだろう。
「でも……修道院だって行ってみたら悪くないかもしれないじゃない? 貴族の夫人や令嬢が送られるところだもん。待遇も他に比べればいいそうよ。家族に会えないのは今更だし、どうせみんなも望んでないわ。友人も…もういない。婚約者だっていなくなっちゃったし、もう未練も心残りもなんにもないわ」
ペラペラと口が勝手に動く。
前向きに、何よりテオに弱音を吐くのは嫌だった。今日限り、二度と会う事のない彼に同情心を植え付けるのは死んでも嫌だった。
「出発は?」
「知らない。でもあの様子じゃそんなに先の話じゃないと思う」
「……」
「ちょっと、深刻な顔しないでよっ。修道院に行けば命の心配もないだろうし、少なくともここにいるよりは安全よ」
シュベールへの出入りは厳しく制限されていると聞く。深い森を抜けた先の、断崖に建てられた施設へと続くのは一本の街道のみ。首都のど真ん中にあるこの屋敷でビクビク暮らすより安心して眠れるのは間違いないだろう。
「ホントにそれでいいのか?」
もう一度テオが問う。彼の鋭い瞳がアデルをじっと見つめる。金色の瞳はさながら鷹のようで目を逸らすことができない。
「お前自身、修道院に行きたいと本気で望んでるのか?」
「……ッ」
アデルは目を伏せると、グッと唇を噛んだ。止まっていた涙が溢れそうになるのを何とか堪える。
「……そんな訳ないでしょ…」
顔を上げる。爪が食い込むほど強く拳を握りしめる。
「嫌に決まってるじゃない……っ やっとあそこから抜け出したのにっ! これからはもっと自由になれると思ったのに……っ!! 自由に歩いておいしい物を食べて…それから……っ」
あの頃はもっとたくさんやりたいことがあった。なのに今浮かぶのはそんな他愛ないことばかり。自分の望みのすべてを伝えたいのに言葉が出ない。それが悔しくて、冷えた手で強くシーツを握りしめる。
「それから……それから……っ」
「俺と来いよ」
唐突にテオが言った。
「…え?」
「もちろん今の肩書は捨てる事になる。昔みたいに恵まれた生活はできないだろう。それでも、お前の言う自由は約束されるはずだ」
「……自由」
これまで考えたこともない選択肢に、アデルの喉が鳴る。
「強制はしない。決めるのはお前だ。家門の柵なんてめんどくさいことは考えず、お前自身の心に従え」
「……」
テオがマントのフードを被り立ち上がる。テラスに立ち、振り返った。
「その気があれば三日後、ソアブルとの国境の町まで来い。昼まで待つ」
「…そんな急に……っ? でも、私…っ」
「そういう選択肢もあるんだってことを知っておいて欲しい。たった一度の人生だ。それは誰のもんでもない、お前のもんだ。もう一度よく考えろ」
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次話投稿は明日13:00頃を予定しています。
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