夏至の祭 エピローグ
アルスに初めて選ばれた日から、あと数日で四年になる。その間、我はアルスの名を守り抜き、郷をも守り抜いてきた。里帰りを果たした回数は、優に二十を超える。それはログサムや親父殿の助力あってこそではあるが、妻子の加護も計り知れない。そう、妻子だ。アルスとなって案外すぐに、ティルルカとは夫婦となり、翌年の夏に長女のリエリカが産まれた。その翌年の冬には長男のサイゼルが産まれ、我等は四人家族となった。我が良い父親であるかは不明だが、良い夫ではあるはずだ。ティルルカの目尻が、それを物語っている。
「では、行ってくる」
「ええ、ハグレモノに気を付けてね」
いつ始めたかは忘れたが、習慣となった出掛けの抱擁を忘れない。続いて、子らの頭を一撫で。これは長女が産まれた後にできた習慣だ。そうして寝床から飛び落ちる間に、アルスとしての気迫を備える。仕事の時間だ、今日は塩狩りの最終日である。身体の備えを十全にするために、川まで一駆けするとしよう。
塩狩りは夏の四大行事のひとつで、東の海岸で行う塩の精製のことを指す。その作業は実に単調で、そこらに打ち上げられた藻に、海水をかけては天日で干し、かけては干しを繰り返すだけだ。当然、すぐに飽きが来る。しかしその苦役を重ねることでしか塩は生まれんのだ。海がやたらと塩辛いのは、我等の流した汗のせいだろう。そして、その合間には漁も行う。こちらはなんの苦も無い。大きい魚は晩飯になり、ほどほどの大きさのものは干して保存食に。小魚はまとめて塩漬けにしておけば、秋には魚醤となる。更に海には、魚の他にも様々な種類のニクが存在するため、どんな御馳走が得られるのかと網を引く度にわくわくするものだ。
とは言え。我にはお役目があるため、それらの作業は遠目に眺めるだけで、辺りの警戒を優先せねばならん。ハグレモノはこのところ、毎年のように現れるのだ。夏至が近くとも、郷の外では片時も緊張を解くことはできん。できんのだが、釣糸の一本を垂らすぐらいは黙認されている。一日の終わりに、その当たりを確かめる瞬間がまた良いのだ。
さて、もう外に着く。不思議なものだ。四年もアルスを務めていると、この程度の距離ならば全速で駆けようとも息が上がらなくなった。我がオーリンの囲いを軽々抜けると、そこには既にログサムらの姿があった。
「よお!今日こそ、とびきりデカイやつを釣ろうぜ」
「あぁ。海のニクで、祭の前祝いといこう」
五人衆のうち、今日も我等二人が塩狩りに同行する。残りの三人は、郷の三方に散らばっていることだろう。塩狩りに赴く若衆が揃うと、皆ですぐに海岸へと移動を始めた。初日と違い、化け物が眠る寝穴の位置は把握できている。おかげで道中の警戒度合いは低くて済む。皆で多方に睨みを利かせていれば、小声で会話するぐらいの余裕はあった。その列の先頭に立つ我等の話題はと言えば、やはり子供らのことになる。ログサムの方は娘ばかりが三人産まれ、常に騒がしくしているらしい。
「お前んとこのガキ共はどうだ?」
「サイゼルは、歩みがしっかりするようになった。足先が大きいところを見ると、俺に似てデカくなりそうだ」
「そりゃ結構。そのうち悪ガキになって、手が付けられなくなりそうだな」
「あぁ…予感している。既にリエリカの方が、母親譲りの悪ガキだからな」
「両親共が悪ガキなんだ。そいつは宿命ってやつだ」
リエリカは毎日飽きずに、何かをしでかす天才だ。例えば昨日。朝はオーリンを口一杯に頬張り、真っ黒にした歯を見せびらかしては笑い声を上げ、昼は大きな水溜まりに率先して飛び入って、足や服どころか顔まで泥塗れにし、夜には帰宅した我に肩車を強要する。そうして飽きることなく髪をいじくり回し、終いにはそのまま疲れ切って眠りに落ち、我の頭にヨダレを垂れるのだ。ほとほと手に負えん悪ガキだ。
「まぁ、そこが可愛いのだがな」
「ぐはは!そうだよな。分かるぜ」
「しかし、あまり悪戯が過ぎるのは心配だ。何かとんでもないことをしでかしそうでな」
「アルスも娘には勝てんか」
今朝のリエリカはやけに静かだった。まだ眠いのかと思って見ていたが、元悪ガキとして思い返せば。あの不可解な静けさは、何かの企みを秘するためのものか?
「杞憂であると良いのだが」
リエリカが産まれてから、こうして役目をこなす最中に我が子らのことを思わぬ日は無い。
夕暮れの随分前に、今年の塩狩りは無事に終わりを迎えた。漁の成果も上々。残すは我等二人の釣糸のみである。
「お、当たりだ!!」
ログサムがぐいぐい糸を引き寄せると、一抱えもありそうな銀色の巨大魚が水面を突き破った。それは宙を泳ぎながら、金色の弧を描く。
「見事だな」
「ぐはは!良い土産ができたぜ」
実に羨ましい。あれほどではなくとも、我にも当たりが欲しいところだ。
「頼んだぞ」
そう願いを込めて、我は一息に、釣糸を引き上げた。
愛してなんかない。につづく。