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夏至の祭  作者: 大石猪口 oishi choco
6/8

夏至の祭 6

 真昼の満月に照らされた祠に、一人踏み込む。今回は、口を開けるなだのの禁止事項は一切言い渡されていない、のだが。まあ、オサがうっかりしている可能性は、十分にある。そういった意味では緊張感のあるお使いだ。鐘には触れないとして、手順としては幼子が任されるような簡単なお使いを実行するだけだ。それだけで済むはずなのだが、果たして。

先程までログサムがうるさく説教をくれたお陰で、この静寂が殊の外、耳に刺さる。湿り気を帯びた石床の上をひたひた歩き、オサの導きの通りに台座の裏へと回った。裏から見る台座には、みっつの穴が存在した。我は膝を突き、覚悟を決めると。左にある、小さな穴に、人差し指を、挿し、入れ、る。

「お?」

 軽いが、そこには確かな手応えがあった。と、それを指が伝えるのが先か、真ん中にあった大きめの穴から勢いよく水が吹き出した。

「おおお?!桶だっ、桶!」

 準備を怠った。このような怪しげな穴に、指を突っ込めなどと無茶を言うからだ!少し左に控えていた手桶を引き寄せ、急ぎ、水流を飲ませた。

「…まぁ、問題は無い、な?」

 この程度のお漏らしは問題無いはずだ。こうなる前から、台座は溢れた水で濡れていた訳であるし、床も同様だ。少しの粗相があったことを知るのは、知れるのは神仏のみ。

「御容赦願い、ます」

 神器に向かって深く頭を下げると、額に湿り気が移った。今、そこは何者にも守られてはいない。あの布は、昨晩、我が寝床に転がった時から懐に収めてある。大事に大事にしまってある。さて、桶が満たされるまで、そこそこ時間がかかるだろう。我は姿勢と呼吸を楽にして、いざ、布を取り出した。

「お前が好きだ。私なんか、などと言うな。我は昔から、誰かから求婚されることがあるなら、それはお前であってほしいと思っていたのだ」

 胸の栓を引き抜けば、少しばかりそこが楽になった。

「お前の気持ちを知りたい」

 男である我の方から、求婚を望んでいるなどと主張するのは規則に反する。男はただ、女子からの求婚を受け入れるのみ。断ることが可能なのかすら知らんが、そんな馬鹿はおらんだろう。

「頼む。涙など見せずに、言霊にしてくれ」

 ティルルカから求婚の言葉さえあったなら!我は本心を告白し、めでたく夫婦になれるというのに。昨日から今まで。いや、もっと以前のティルルカの行動を思い返してみても、我を好いているのか、それとも嫌っているのか、判断がつかん。頼む。不安になるのだ。頼むからお前も、鐘のように言霊を発してくれ。

 しかし、額にいくら布を押し当てようと答えなどあるはずもない。何も得るものがないばかりか、膝が冷えるばかりだ。

「む。結局、水浸しになるのか」

 やけに冷えると思えば、とうの昔に桶は溺れて、口から水を溢れさせていた。これから宴だというのに、腹まで冷やされては一大事である。いや、既に冷え切っている?癇癪を起こした赤子のようだった腹が、今はイビキも立てずに眠っている。あれしきのクークだけで満足したとは思えん。冷えのせいだ。この冷えが悪い!

 どれだけ水を吹くのだと我が睨み付けてやれば、とろとろとした流れは途端に萎縮して、ちょびちょびと涙を流すだけになった。

「…めそめそするな」

 また思い出してしまった。これでようやく秘儀が完了するというのに、達成感など皆無だ。布を懐に戻し、最後の仕上げに右の穴に指を突っ込むと、手桶を持って一礼。そのまま出口に向かった。ぺたぺたと水気を含んだ足音は、祠の壁面を蹴っ飛ばし、いくつにも数を増やした。我一人きりだというのに、行進でもしているかのようだ。

「きた、ぇ」

 と、それに混じって、小さな声が耳に触れた。子供の声?誰ぞ入り込んだのかと振り返ったが、この祠の物陰といえば台座の裏だけだ。念のため戻って確認してみたものの、そんなものは影も形もありはせん。当たり前だ。恐らく空耳か、外からの声だ。獣はおらんし、我は怯えておらん。足音を殺し、耳を澄ませて歩けば、出口の階段に至るまで、なんの音も耳に入らなかった。そこから強い光を見上げれば、ログサムらしき黒い輪郭が、ひょっこりと頭を覗かせた。


 我が外へ出でると、走り回る者、相撲を取る者、腹筋を集中的に鍛える者、と慌ただしい。彼らのいつにない真剣な表情から察するに、腹を限界まで空かせようと思い思いに励んでいるのだろう。その気持ちは実によく分かる。そちらにも意識を傾けつつ、我はオサの前で跪いてみせた。

「うむ、ご苦労。これより来年の夏至まで、この郷を化け物から守っておくれ」

 簡素で素晴らしい。ん、本当にこれで終わりか?これで足が痺れる訳も無く、もう良いのだろうかと、我はそのままの姿勢で畏まっていた。そんな我の頭を、良くできました、というようにオサはわしゃわしゃと撫でた。

「頼んだぞ」

「言われるまでもない」

 子供扱いは業腹だが、その手を払い除けることは不可能だった。そう。これこそが、今代オサの真骨頂なのだ。今代オサは、例え悪ガキ相手であろうと、鉄拳制裁!といった真似はしない。どこかの先々代のオサとは違う。平手打ちすら見たことがない。その節くれだった平手を頭に置くだけで、反抗心を根こそぎ刈り取るのだろう。

 我とログサムは幼少の頃から、村一番の悪ガキたらんと互いに切磋琢磨してきた。それを後悔する気はさらさら無いのだが、拳骨ではなく平手で育てばどうなっていたのか。ティルルカに泣かれるようなこともなかったのか?

「それでは皆、準備は良いな?広場へと参ろうぞ」

 オサが告げると、バラバラだった男衆にひとつの流れが生まれた。それを押し退け、我の方へと泳いでくるのはログサムだ。まだ何か言い足りなかったらしい。ふん、小言など食い飽きたわ。耳に布でも詰めておこうかと、我が懐に手を突っ込んだ時、ログサムは素早く反転して人群れに紛れた。

「む」

 なんだ、その動きは?我は警戒しつつ、群れの最後尾についた。

「よう、坊主」

 いや、後ろには他に誰かがいたようだ。しかし、坊主だと?まさか我のことか?苛立ち混じりに頭だけを振ってやっと、声の主が誰だか分かった。

「デカくなりやがって。やれやれ、これでは肩も組めんなぁ」

「…親父殿」

 げ、と声に出さなかった自分を褒めてやりたい。そう言いつつ我の左肩を揉むのは、ティルルカの親父殿だった。

「あぁ、流石に坊主は不味いか。アルスよ、悪かったな」

 全く悪びれた様子もなく、親父殿はニカニカと笑った。しまった。捕まってしまった。

「我はどちらでも。呼びやすいように呼んでくれ」

 どちらでも良くはないのだが、今はどうでも良い。まずは体制を整えねばならん。俺はどうにも、この親父殿が苦手だった。何か調子が狂うのだ。向こうがどのように思っているかは知らんが、この数年、顔を合わせることはあっても会話はほとんど?うむ。ほとんど、ではないな。思い返せば会話らしい会話など、全く覚えが無い。

「ふふ。足も速くなったな。ワシはもう、五人衆に入るのすら、苦労する有り様よ」

「なにを」

 親父殿はアルスを三年務め、七度の()()()を果たした偉人である。我にとっては偶像そのもののはずなのだ。

「その歳で、まだ五人衆入りするなど、聞いたことがない。我等若衆の面子が丸潰れだ」

「ふふふ…」

 だが昔から、我は親父殿に寄り付くことはしなかった。少なくとも、物心が付いた頃からそうだ。だからなのか、おべっかを述べてしまうのだ。我らしくもない。我は、逃げに走ったログサムのいる辺りに不健康な眼を刺した。

「まぁなんとも、お行儀良く育ってしまったものだな」

 と、そこで、親父殿がため息混じりに吐き出した。お行儀、良く??良い意味で言われたとは思わんが、そう形容されるのは余りにも違和感があった。背中が痒い。向こうは向こうで、慣れぬ御世辞がお気に召さなかった、ということだろうか。

「ワシがあれほど、立派な悪ガキになるよう、色々と言い聞かせてやったというのに」

「は?なんだそれは?」

 立派な悪ガキ?それも、言い聞かせた、とは何のことだ?

「覚えておらんのか?」

 覚えなどあるか。

「全く覚えが無い」

 ティルルカか誰かと間違えて記憶しているだけだろう。あいつは昔、やけに髪が短い時期があった。それを我と混同しているに違いない。親父殿は消えつつあった笑みを完全に引っ込めて、下唇をぬいっと伸ばした。

「んん?おかしいな。今朝もワシの言い付け通りに、顔から水に飛び込んでおっただろうに。知らんとは言わせんぞ?」

 肩を揉み揉み、更に親父殿は仰った。記憶違いに巻き込むな、と思ったがこれはおかしい。ワシの言い付け通りに、だと?

「…あれは、親父殿が仕向けたのか?」

「仕向けたとは人聞きが悪い。正にお前が坊主の頃に、仕付けてやったんだろうが」

 なんたることだ。自分達で工夫し、あの形に至ったと自負していたというのに。親父殿の手中で弄ばれていただけとは目眩がする。

「子供に危ない嘘を教えるな。首の骨が折れたらどうする」

「おぉ、情けない。またも行儀の良いことを言いおる」

 親父殿は首を振り振り、それを悪いことのように繰り返した。駄目だ。これは駄目な大人だ。幼少の我も、いつか同じように呆れ果て、親父殿を見限ったのだろう。我が、どろっとした目を差し向けると、再びニカニカを始めた親父殿の目玉といがみ合いになった。

「そんなことでは、女子を泣かせることになるぞ?」

 そこへ下方から、とんでもない槍が突き出された。

「行儀が良くて、何を泣くことがあるんだ!」

 訳が分からん。何が悲しくて、悪ガキを否定するような言葉を吐かねばならんのか。まぁ、我とて一応は大人である。悪ガキを自称しつつも分別はある。悪ガキが良いなどとは、年長者の言うことではないのだ。

「ふふん。己の行動を省みるんだな」

 我の行動?まさか、ティルルカを泣かせたことを言っているのか?それは介入が過ぎるのではないか。

「まさか」「いや、待った」

 親父殿は左手を盾にして、我の口を遮った。それから親父殿はすぐに盾を崩し、そいつで自らの髭を揉み揉み、口を開いた。

「勘違いするでないぞ?これは飽くまで、お前の為を思っての助言なのだ。…ん?それも違うか。郷の若人達を思ってこそ、こうして世話を焼いておるのだ。うむ、これだ」

「傍迷惑な活動だな」

 ぶつぶつと御為ごかしを呟かれても尚、納得はできん。そこで、ずっと我の肩を揉んでいた手が、今度は頭に伸し掛かる。同じ平手でもこいつは駄目だ。窮屈な上に暑苦しい。

「良いか?何故、お前が立派な悪ガキとなれるように導いてやったか、よく考えろ」

 そのままの体勢で、我の耳に囁き声が押し込まれた。親父殿に導かれたつもりはない。このような毛むくじゃらの導きは望んでいない!

「お前に残された時は少ない。他に好いた女がおるなら、早く行動しろ。そうでなくても急げ。じゃあな」

 そんな女子はおらんが、この親父殿が本物の父になるというのなら、我はよくよく考えなくてはならん。モジャモジャから解放されて我が一息ついていると、そうだ、とモジャモジャ頭の背中が語りかけた。

「目玉が泳ぐなどという法螺話、よもや、信じておらんだろうな?」

 このモジャモジャめ!あぁ、今は、信じているものか。そんな出鱈目、信じるものか!

「…あぁ、何やら聞いた覚えがあるな。そんな下らない話、今の今まで忘れていた。誰が信じるんだあんな話」

 悪ガキとして、いつか一矢報いてやる。ひとまず今は。我は数歩先にあるモジャモジャ頭に、オーリンの黒い実を植え付けることに成功した。

「ふふ、そうかそうか。安心したわい。大人の言うことを馬鹿正直に守るなど、悪ガキのすることではないわな」

 急げよ、とモジャモジャ頭を跳ねさせながら、親父殿は次の獲物に飛び掛かった。こっちは一難去ったと見て良さそうだ。大人の言うことを馬鹿正直に守るな、だと?それを大人が言うのは酷い矛盾ではないか。では仰る通りに、この助言を知らんぷりしておいてやろうか。

 くそ。しかし、気になる部分があるのも事実。時が少ない、急げ?女子を泣かせる??あのモジャモジャ頭に女子の気持ちが分かるとも思えんが、ティルルカは既に泣いているのだ。あれが怒りが滲み出た涙だったなら、まだ良い。もしもそうではなく、悲しみが溢れ出た涙だったなら、ただ謝るだけでは済まん。猛省し、直ちに過ちを正さねばならん。だが我は、何か間違えたのか?何を間違えているというのだ。さっぱり分からん!ティルルカは、我に求婚するつもりではないのか?

 女子は男と違って、相手を選ぶことができる。思いのままに、好意を告げることが許されている。実に羨ましい。それは幸福なことだろう。好きな相手と夫婦になれるのだから。

「好きな、相手…?」

 そこで、はたと気付いた。女子であっても、好きでもない相手に求婚することがあるのではないか、と。

 アルスは、明日死んでもおかしくはない。未婚のアルスに好意を寄せる女子がいたなら、周りも求婚を急かすのだろう。では、一人もそんな女子がいなければ?年頃の女子の中から、無理にでも選出するのではないか?アルスは郷の英雄だ。危険な役目を担う、尊敬されるべき人物である。その体裁を整えるために、生け贄となる女子がいるのではないか?あの川原で、姉さま二人は何をした?

ティルルカを、我に差し出した?それは即ち。

「ティルルカは、我を押し付けられた…?」

 未婚のままにアルスとなった者は皆、遠からず求婚を受ける。その事実が今、我の胴を貫いた。

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