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夏至の祭  作者: 大石猪口 oishi choco
4/8

夏至の祭 4

 寝れば全て忘れるかとも思ったが、我の頭は利口過ぎたようだ。ひと欠片の抜け落ちも無く、己の無様を思い出せる。無様の数々を、だ。だが我は、最後の一歩で踏み留まったはずなのだ。実に間抜けであっても、人でなしには成り果てなかった!その点だけは胸を張れ!我は手を差し伸べただけで、手を出すことはしなかった、という訳だ。ははは何も面白くはない。

 手近なオーリンの実を遮二無二摘み取り、口に放り込む。()い。渋い!真っ黒に熟した実だったはずだが、これでは昨日の走馬灯が過るだけだ。慰めなど得られたものではない。

「アルスよーい。起きてるかぁ?」

 ログサムが呼んでいる。こんな朝早くに何の用だ?

「おう!起きたばかりだが」

「ぐはは!やっぱりな。早く下りてこい」

 はて、何か約束事でもあっただろうか。今日は宴の日だ。太陽が半分の高さまで昇った時に、男衆は祠へ、女子衆は板場へと集まる決まりだが、それまでに(みそぎ)を済ませる他は務めも無く、各々が好きに過ごして良いはずだ。急かされる理由が分からん。

 分からぬままに、我は寝床の中を転がった。すぐそこにあるのが、地上へ通じる穴だ。穴と言っても、その壁面を構成しているのはオーリンの枝である。

 オーリンの枝は、添え木を当ててやることで伸びる方向を自在に操ることができる。密生させたオーリンにそれを繰り返すことで、枝同士の間に広い空間を作り出し、そこへ通じる穴をも仕立てる。こうすることで出来上がる部屋が、我等の寝床だ。あとは床板を敷くなり、雨避け虫除け等を好きに施せば、自分だけの寝床の完成である。先祖の作った寝床を使うも良し、子供の頃から作り上げるも良し。我の寝穴は特別に高く作ってある。穴から落ちる時の、この爽快感がたまらんのだ。

「えらく早いな。どうした?」

 我は宙から声を落とした。目覚まし代わりの仕掛けだったが、最高の気付け薬でもあったようだ。いくらか気が晴れ、狂った感覚を正常に戻した。寝床を抜け出すと、早朝にしては照りが強すぎることに気付いた。

「よぉく眠れたみてえだな?」

 にたにたと笑うログサムの向こうには、曙の青でも、朝焼けの赤でもない、白い光が差していた。

「信じられん…どれほど長く眠ったんだ?」

 人の身体というものは、日が昇れば勝手に目覚めるものだと思っていたが、これは考えを改めるべきか。

「ぐはは!実を言うとだな、俺も去年同じように寝坊した。儀式を終えたアルスは、みぃーんな同じなんだってよ」

「ほお!と言うとあれか!やはり、神器に触れたせいか?」

「だろうな」

 ならば寝坊ぐらいは仕方あるまい。他に異常はないかと身体を伸び縮みさせてみたが、苦情を発するのは腹のみだ。

「早速、禊に行きたいところだが」

 朝飯をどうするかと考えていると、ログサムは手にしていた包みを我に押し付けた。ふわりと香るのは。これは、ラバンの乳酪か?

「歩きながら食っとけ」

 先を急ごうとするログサムに並びつつ、包まれたままのそれを、今度は嘗めるように嗅いだ。空腹時には、まず鼻で味わうも一興。

「おお。ただの乳酪というわけでもなさそうだ。焼いてあるな…お?ほのかに甘さも香る」

「へへ。ついさっき板場から、な。くすねてきてやった」

 今、板場に用意されているということは、宴に出されるものか。ラバンの乳酪に、宴の御馳走、とくれば答えはひとつだ。

「クークか!助かる」

 クークは乳酪と麦を使った焼き菓子だ。麦は湖の東端付近で自生しているものだが、ろくに世話もできんというのに、毎年夏至近くになると恵みを垂れる有難い存在である。

「ふふふ、大事な宴を彩る大事な一品だからな」

 麦は貴重な保存食であり薬でもあるのだが、まずは宴でクークとして振る舞われる。こいつが中々の曲者で、ほのかな甘味と塩気が舌を飽きさせない。そのため老若男女問わずに人気があり過ぎて、こいつの塩気をどの程度効かせるかで、毎年揉め事が起きるのだ。

「誰かが味見をせねば」

 さて、今年のものはどうだろう。包みを解けば、円く薄く焼かれたクークが姿を見せた。それを一枚摘まみ上げてみると、昨年のものより薄いと感じた。麦は粗挽きか。色は薄茶、この焼き加減は上の上と言えよう。そして。おうおうおう!この表面はどうだ!所々で塩の粒が光っているではないか!これは相当に攻めたな?

「毒味は済ませたからな。安心して味わえ」

「これはこれは。忝ない(かたじけない)

 勤勉なログサムのことだ。クーク以外の毒味役も務めたに違いない。我も励まねば。しっかりと目で味わった後、手にあるそれを口に運んだ。ざくりと歯で聞けば、直後に舌は目を点にした。

「ほう!これは良い!迷いの欠片もない塩味だ」

「だよな!俺も気に入った。こいつは来年以降の味付けにも影響するぜ?一気に塩多め派が増えるに違いねえ」

 と、ログサムは人差し指を立てて力説を始めた。まぁ、論じたくなる気持ちも理解できる。これはクーク革命だ。ログサムも毒味では、さぞ驚いたことだろう。今年のクークは、例年のものとは塩加減がまるで違うのだ。今までのクークにおける塩気とは、甘さを引き立てる存在であった。だがこれは、その真逆を行っている。甘さが塩気を引き立てているのだ。なんと思い切った、尖った発想だろうか。

「なんだかんだと言いながら、俺もクークは甘味を楽しむもんだと思ってたからな。頭をぶん殴られたみてぇだぜ」

「同じく、だ。感動的…衝撃的…と形容すれば切りがないが、文句無しの美味!よくぞこの味で押し切ってくれたものだ」

 こうなると他の御馳走にも期待が持てる。アルスとなった今、宴とはいえ酒に溺れる訳にはいかん。酒はほんの何杯かだけに留めるのだから、御馳走ぐらいは、たらふく胃袋に収めたいところだ。

「うはは!ニクが楽しみだ」

 一昨日の狩りでは、デカい四足獣を二頭も捕らえたのだ。長い牙を持つ厄介なやつであったが、きっと素晴らしいニクになったことだろう。

「どんなものがあったか教えてやろうか?」

「いや結構だ!」

 摘まみ食いならまだしも、それは我の信条に反する。

「どんなものがあるのかと想像し、その想像を味わうのも食事のうちだ」

 宴ともなれば尚のこと、この前菜を味わわなくてはならん。

「ぐはは!期待していいとだけ言っといてやる」

 大いに期待しているとも。我は最後のクークにひと度の別れを告げ、周囲の静寂を探った。こうして悪ガキを全うしていても良かった。宴に向けて腹準備をしていたかった。

「…あぁ、ニク、で思い出したんだが」

 だが我は、今この時にしかできん内緒話があったことを思い出してしまった。

「ログ兄は昨年の秘儀で、獣の声を聞いたか?」

 ええい、獣め。姿も見せず、我を苦しめおって。お前こそ、捕らえて食らってやりたかった。

「獣の声ぇ?」

 そう、獣だ。我は、あれが自らの怯えが生み出した幻覚だとは認めたくなかった。

「ちぃと待て。すぐに思い出してやる」

 そう言った後、ログサムは額に手を当てては首を傾げ、髪に手を当てては掻きむしり、最後には頭を横にしたまま我を睨み付けるようにした。

「…鐘の声とやらは聞けたがよ、獣にゃあ覚えがねえな。何か聞こえたのか?」

 なんと。ログサムの口元に笑みはなく、腕はがっしりと組まれている。ログサムが時折見せるこの仕草は、自らの悪ガキを封じ込めるためのものと見ている。悪ふざけではなく、真実、ログサムは獣の声を耳にしていないのだろう。

「あぁ…獣の唸り声を聞いた。呻き声のようでもあったか?」

「そいつは気味が悪いな」

 ログサムがたったの一度で、ぴったりの位置に鐘を置いたとするならば、獣の声など聞いていなくて当然だ。だが、そんなことは可能なのか?いや、我はあれを警告と捉えたが、まさかあれは。

「凶兆…なのか?」

「滅多なことを言うな。でもまぁ、オサなら何か知ってるかもなぁ…」

 不覚。かくも不穏な言霊を漏らしてしまうとは。化け物は泣き言を食って育つ、と昔から口酸っぱく言われてきたというのに。しかし凶兆といえば、あのハグレモノも、そうではないのか。ひとつだけならまだしも、凶事がふたつも重なるなど。これは。

 ただ事ではない?

 我がぬるりと首を一振りすると、両手を自由にしたログサムと目が合った。

「なあ。ひとつ確認してえんだが」

「なんだ?」

 何か思い当たる節でもあったのか、ログサムの顔にも緊張が走って見える。

「獣の声ってのを聞いたのは、いつ頃か分かるか?」

 いつ?それは思い返すまでもない。

「鐘を台座に置いた後だ」

 いや、この言い方だと語弊が生まれるか?

「その時は、窪みに上手くはまっていなくてな。オサの導きを得て、鐘を動かすうちに正しい位置に戻せたのだ。その後、鐘の声に気付いた頃には、獣の声は消えていた」

 これが我の覚えている全てだ。獣の声をいつ頃まで耳にしていたかは、残念ながら正確には記憶していない。もしもそこに、何らかの兆しが隠されていたとしたのなら、下された折角の予兆を、我は不意にしたことになる。またも手汗がひどい。昨日からこれで何度目だ?アルスに選ばれれば、少しぐらいは己の器も成長するだろうと思っていた。だが現実はどうだ。成長など幻想に過ぎず、自らに幻滅するばかりではないか。

 もうたくさんだ、と掌に湧いた恥を己のが顔面に塗り付けた。

「ぐ」

 獣の唸り声だ!何故、今?思わず我は、顔の覆いを解いた。

「ぐはははは!」

 我がそこかしこに視線を巡らせていると、ログサムは腹を抱えて呵々大笑した。何を笑うことがあるのだ?えらく長いそれは、ある時ぴたりと止んだ。その直後に我を追撃したのは小さな衝撃波だ。次いで破裂音が再び耳を揺らした。理性が危機を叫ぶ。が、身体はそれを否定した。

「すまん!それは俺達の声だ!」

 何が何やら分からん。分からんが、ログサムは顔の正面で両手を合わせていた。

「ログ兄達の声が、獣の声に聞こえただけだ、と?」

 与えられた情報を口にすることで、少しばかりそれを飲み込むことができた。そんなはずはないと思ったものの、たった今も、我は勘違いしたばかりなのだ。

「あぁ。いや、あまりに退屈でな。地上で少し、悪ふざけをだな…」

 悪ふざけ?ログサムの始めた説明は、辛うじて耳に入った。しかしそれをどれだけ理解できようか。我は今、恐慌状態にあった。

「そうか…一体、何を…」

 我は言葉を発したようだが、それが意味を成したかどうか。

 仲間の声を、獣の声だと?それはなんという裏切りか。

「どうにかオサを笑わせてやろうと…こう、一方的に、にらめっこをだな」

 何か場にそぐわぬ単語が聞こえたが、気のせいか?

 いや、それどころではない。我は、ログ兄を獣扱いしたのだぞ?愚か者め!我こそ獣以下ではないか!

「オサが全然笑いやがらねえんで、俺達も熱が入ってな?三人がかりで始めたところで、ティルルカの親父さんに気付かれてな。ぶん殴られちまった」

 あぁ。頼む。この脳無しの能無しもぶん殴ってくれ!我の頭には、きっと樹液が詰まっているのだろう。どろどろと回りが遅く、少しも働くことがない。その証拠に目の前の景色も、どろどろに汚く見えるだけではないか。

「呻き声ってのは、その時の俺達の声だな。本当にすまん」

「いや、いいんだ」

 謝罪を受けた気がしたので、反射的に返事をしたが。どういうことだ?何故、ログサムが謝っている?

「機嫌を直してくれよ~?お前も悪ガキならよ、ちょっとばかしぐらいは俺達の気持ちが分かるだろ~?」

 待て待て。様子がおかしい。乱れた精神を叱咤すると、両目が像を結んだ。ログサムは合わせた両手の向こうから、ちらりと我を覗いている。こうして姿は見えようと、状況が理解の範疇を超えている。

「…いや、気持ちなら分かる?が、何故、我が謝罪を受けているんだ?」

 さっぱり分からん。ログサムは合わせていた両手を少し開くと、その間から右目を覗かせた。

「そりゃあ秘儀の真っ最中に、俺達がふざけてたからだろう?」

 ふむ、確かにそれはひどいな。だがまぁ、悪ガキとはそういうものだ。誰かに殴られた、とも言っていたようだし、今更我が咎めても仕方あるまい。

「むしろ今、悪ふざけをしていたと聞いて、少しばかり気持ちが楽になったところだ」

「ん?怒ってたんじゃねえのか?」

 それこそ有り得ない。ログサムの両手は右と左に更に開かれ、遂には両の目が見えた。

「怒りなど、あって麦粒ほどしかない」

 我に、そのように思う権利は。

「なんだ、驚かせやがって」

 ログサムは両手を下ろすと、肩から息を抜いた。

「俺にゃ、お前が猛烈に怒ってるように見えたぜ?」

「なに?それはすまなかった」

 そんな権利など、我には無いのだ。なぜなら。

「我は仲間の声を獣扱いしたんだぞ?それを、悔いて、いただけで、だな…」

 我の視線は、言葉と共に地に落ちた。さぁ、ログ兄よ。唾棄すべき我を、存分に軽蔑するといい。我は防御の全てを捨て去り、この頭が吹き飛ぶ瞬間を待った。

「ぐはは!それこそ無理もねえよ」

 結果、我の頭には、望み通りに唾が降り注いだ。想定外の大笑いも一緒にだ。

「俺達ゃあ、口を開けるなって言い付けだけは、ちゃ~んと守ってたからな」

「口を?」

 そうだ。確かにオサは、儀式の間は口を閉じていろと告げていた。我にだけではなく、皆にだ。

「口を閉じたまま、呻き声を…」

 うーうー、と苦しげな声は今も耳の中にある。これは間違いなく呻き声だったのだ。ただ、ログサム達のものだった?

「笑い声も堪えてたな」

 ぐるぐる、ぐふぐふ、と喉の奥を震わせる音は、今も我を囲むように響いている。これは唸り声ではなく、押し殺した笑い声だった、だと?

「あれらは、獣の声ではなかったと?」

「だからそう言ってるじゃねえか」

 それが今、消えた。獣めは、獣の幻は、綺麗さっぱり姿を消した。

「うはははは!」

 代わりに現れたのは悪ガキ共だった。我は獣の幻めを笑い飛ばした。然る後に沸き起こった感情。これはなんだ。我はそれを踏み潰すために、有らん限りの力を以て足を前へと進めた。

「怒ってなどおらんわ!!」

 ふざけるのも大概にしろ!

「やっぱり怒ってるじゃねえか!」

 それからログサムは謝罪を繰り返したが、我は断固として応じなかった。怒る理由が無いのだから、それを受け取る理由も存在しないのだ。

 祠には獣など、存在しなかった。暗闇には、獣など存在しなかったのだ。ならば、あのオーリンの下にいた獣も、いなかったことにはならないものか。

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