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夏至の祭  作者: 大石猪口 oishi choco
3/8

夏至の祭 3

 祠より脱出した我を、仲間達は口々に褒め称えた。ただし、それはほんの一時のこと。一息ついていたオサから、即刻の帰宅と速やかな睡眠を命じられた。これが簡単なようでいて、実に難しい注文だったのだ。他の者は皆、明日の宴の下準備をするというのに、己一人のみ仲間外れというのは落ち着かん。それにだ、まだぎりぎり太陽の顔も見える。これでは眠れる訳が無い。どれ、こっそり魚でも釣りに行ってやろうか?夏至の祭が終われば、水場に近付くことすら難しくなる。釣りに行くなら今しかない。ならば糸と針が必要だと、我は寝床に足を急がせた。そして、すぐに立ち止まる。

「いや、待てよ」

 今しかないといえば、もっと面白そうなことがあるではないか。女子衆の秘儀は続いているのか?

 これまで我が、女子衆の秘儀についてなんの情報も得られなかったのには、ひとつ大きな理由がある。あの悪ガキ筆頭とも言えるログサムが、広場を覗きに行こうとする我等を制止し続けたからである。こと女子衆の秘儀に限って、ログサムが良い子ぶるのは何故か。それはログサム自身が幼少の時分に、そこで恐ろしい怪物を目撃したからだという。その怪物は人型に近く、しかし顔は灰色で目鼻は無く、大きな口だけを持つのだそうだ。後にその話を聞いた先々代のオサは、それは秘儀の守り神であるノッペラボウだと我等に語った。ノッペラボウは身体のどこかに目を持ち、そいつと目が合ってしまったが最後、その大きな口で子供などは丸飲みにされてしまうというのだ。ログサムが丸飲みにされなかったのは、そいつを見た瞬間に卒倒してしまったからだった。幸運にも丸飲みを免れたログサムは、可哀想に三日三晩もの間寝込み、悪夢にうなされ続けたらしい。

 よし。ならばこれは仇討ちだ。先程もログサムとオサから、広場には近付くなと口酸っぱく言われたのだが、仇討ちならば許されるのではないか。悪ガキとして、言い付けに逆らうというのも悪くない。一目見てみたい。ノッペラボウとやらを、見てみたい。決して秘儀を覗きに行くわけではないのだ。これは仇討ちなのだ。そう自分に言い聞かせ、我は勇猛なる一歩を踏み出した。が、続く二歩目を踏み締めた時、顔の形が歪むほどに額を締め付けられた。どうやらオーリンの小枝が、額に当てていた布を引っ掛けたらしい。ティルルカが、馬鹿はやめろと言っている?少しばかり熱は冷めたが、本当に仇討ちを諦めて良いのか。

 いやいや!いくら理屈を捏ねようと、アルスが規則破りはマズい。秘儀だぞ?流石にやめておけ。

 いいや!仇討ちだ!怪物退治はアルスのお役目ではないのか!

 頭の中では、アルスと悪ガキが取っ組み合いの喧嘩を始めた。その割りを食ったのが、我の足だ。広場の方に進んでみては寝床へと向き直り、乱れくねり縺れ遊び。酔っ払いでもこれほどの千鳥は踏むまい。視界一面にある我の足跡は、この激しい戦いの軌跡だ。じりじりと。のろのろと。だらだら、と?これは違う。太陽はそんな我の戦いを眺めるのに飽きたらしく、夜だけが急速に近付いた。気付けば我は、ティルルカの住む家の近辺まで来ていた。これは寄り道ではない。そもそもが、祠と我の寝床の中間地点がこの辺りなのだ。我はただ、広場の様子を眺めてみようかと迷いに迷っているだけなのだ。

「え?」「お?」

 従って、ここでティルルカに遭遇したことは偶然である。偶々なのだ。図らずも!このような巡り合わせを得るとは。我は西に向き直り、たっぷりと頭を垂れた。今日は沈んでしまわれましたが、明日もまた、大いなる恵みと幸運を届けて下され。

「秘儀は終わったのか?」

 不滅なる太陽への感謝を胸に、ティルルカに視線を戻すと。ティルルカは。む、ティルルカはどこだ?

「まだだけど、私はもういいの」

 ここか?声がする方向にあるものは特大のオーリンだ。何十株と集まって生えているのだろう。いや待て。ここはまさかティルルカの寝床か、と引き攣る喉に生唾を流し込む。女子の、それも乙女が寝床とするオーリンに近付くなど、流石の我もそこまでワルではない。ぶるんぶるんと首を回し、寝床を示す印を探した。

 無い。よし、無いな。驚かせやがって。おい、しかしこれでは。

「…途中で抜け出してきたのか?」

 この悪ガキめ。木に向かって話し掛ける方の身にもなってみろ。このところ、特に多いぞ。ティルルカの隠れんぼは時たま、唐突に始まる。そのまま見つからないこともある。今日はどうなることやら。

「そんなわけないでしょ。秘儀なんだから、それ以上聞かないで」

 それもそうか。ご機嫌伺いに、とまずは尋ねただけなのだが選択を誤った。

「今日は助かった」

 前置きなど、やめだ。

「二度もこいつに救われた」

 そもそも顔が見えんのだから、顔色を伺おうとするだけ無駄だ。

「感謝している」

 そうだ。これでいい。

 だが、これだけでは駄目だ。我はオーリンに礼を言ったのではない。その証拠として、きちんと声が届いた証として、返事のひとつぐらいは賜りたい。隠れんぼでも、それぐらいはいいだろう?

「どういたしまして。それと、おめでとう」

 有難い。

「おう」

 類い稀なる偶然に端を発し、我の密やかな目的は達成された。なんと望外のオマケ付きで。よし。帰るとする、か。じゃあな、とでも言ってそのまま帰ろうとしたものの、我が足は相当に疲労困憊な様子。嫌だ嫌だと駄々をこね、地面を離そうとはしなかった。いやはや、これには参った。如何なハガネの意志を持つ我でも、本日一番の功労者に鞭打つのは気兼ねする。少し休もう。そう、足を休めるついでだ。

「それとだな、気になっていたんだが」

 祝ってもらった礼に、ティルルカの隠れんぼに付き合ってやるとしよう。それぐらいはお前も付き合ってくれるだろう?

「こいつは、えらく綺麗で真新しい。何かの切れ端、とかではないんだな?」

 足裏が賑やかだ。我の問い掛けには、落ち葉が答えを寄越した。ふたつだ。自らの足元からは大きく、どこか近くからは小さく。

「そう…」

 再び近くから、今度は大きく落ち葉が踏み鳴らされた。

「そうなの!ほんとに大変だったんだから!」

 それはまぁ、大変なんだろう。我は少しずつ、声のする方へと歩みを進めた。

「そんなにか?」

 布を作る作業など、我は眺めているだけで飽きてしまった。あれほど細々とした手仕事を続けるなど、我は御免だ。

「切れたら縁起が悪いでしょ?それに伯母様がね…誰かに贈るなら、とにかく頑丈にしなさいってスゴくて」

 確かにこいつは、我が目一杯、額に結び付けようと切れることはなかった。それでいて着け心地はと言えば、硬さは欠片も感じさせずに柔らかで。そう、実にしなやかだ。正にこれは強靭と言って良い。む、こっちは行き止まりか?枝が邪魔で通れん。

「ラバンの毛をね、一本一本選別させられたのよ?普通はそこまでしなくていいのに」

「は?!織っただけじゃないのか?」

 糸を紡ぐなど、ばあさん連中の仕事ではないのか。知らんが。ラバンとは我等の郷にいる唯一の家畜だ。しかし、あいつの毛は灰色ではなかったか?

「そうよ?一本ずつ引っ張って強さを確かめて、それを()りながら少しずつ紡ぐでしょ?白が良かったから、脱色もしたし。あ。もっと丈夫になるようにって、何かの汁で糸を煮込まされたりもしたなぁ」

 糸一本仕上げるのに、そのように様々な工程があるとは。そこまで手間暇を掛けて、この布を仕上げたのか。額から、ティルルカの真心を感じる。やはり我は、ティルルカから好意を向けられているのではないか?これはジイシキ過剰か?早く答えを知りたいものだ。

 一旦遠ざかった声は、再び近付きつつある。手掛かりはティルルカの発する音のみ。日が落ちた上に、オーリンの枝葉が僅かな光を遮っては、耳に頼る他無い。

「…うん、本っ当に大変だった。だから」

 よし、こっちだな?

「だからね?ちゃんと一番になってくれて、私も嬉しい」

 そうか。それは、一番になった甲斐があるというものだ。んん?そう言えば我は、今の今まで。

「うはは!我も嬉しい限りだ」

 我は今になってようやく、アルスとなったことを、勝ち抜いた喜びを噛み締めた。

「ち、近い!それにうるさい!」

 うむ、確かに近い。こんなに近くにいるというのに、辛うじてティルルカの輪郭が分かるのみだ。はは。この形はティルルカだ。間違えようが無い。

「お前がこんな所に入り込むからだろうが」

 ちっ、非常に残念だ。もっと驚かせてやりたかったものを。そこら中にある落ち葉のせいで、こちらの位置まで丸分かりだ。

「さて、出口まで案内してくれ。こっちは方角すら分からん」

 隠れんぼは終いだ。ふん。ティルルカから、これ以上何かあるかなど期待してはおらん。我がアルスとなれば、あるいは、と思っていたが今まで通りだ。

「え?私も全然分かんないんだけど」

 分からんな。まったく理解できん。何故、求婚は女からするものだと定められているのか。面倒な決まりだ。ん?

「ん?分からんだと?」

「そう言ってるでしょ?」

 ティルルカは当然のように言ってのけた。出口も知らず、自らを囮にこのような迷路に誘う(いざなう)とは。ティルルカは我以上の、筋金入りの悪ガキだな。

「ふう」

 まぁ、この程度の悪戯に小言は言うまい。大抵の悪戯は、そんな罠に陥る方が悪いのだ。これが悪ガキの考え方だ。

「とにかく戻ってみるか。奥へ行くよりは希望がありそうだ」

 ティルルカの形をしたものに背を向けると、とりあえずは前方に手をかざした。如何にこの額当てが強靭と言えど、枝に引っ掛けるような危険は避けるべきだ。そうして摺り足で少し進んだところで、すぐに違和感に気付いた。

「おい、どうした?」

 ティルルカの足音がしないのだ。

「こっちだ。付いてこい」

 返事すら無い。さてはこいつ、今更怖じ気付きおったな?

「仕方の無いやつだな」

 ため息は堪えた。弱っている人間は責めるものではない。ただ、手を差し伸べるのだ。

 輪郭を確かめるまでもない。右手のありそうな位置に、右手を伸ばすだけだ。

「ほら、服の裾でも掴んでいろ」

 あまりに静かであったから、我がティルルカであると思ったものは幻か、それとも幽霊の類いのものかと疑いかけたが、そこには確かな温もりが存在した。縮こまって、ほんのりと小さな温もりだ。それを裾の辺りへと誘導してやった。

「安心しろ。暗闇を手探りで歩く試練など、さっき潜り抜けてきたばかりだ」

 その上、こうして勇気付けてやれば。うむ、もう大丈夫だ。ティルルカの手には、確かな温もりが還った。

「それって、秘儀のこと?」

 ようやく返された言葉だが、良しと思うよりも前に己のが失態を悟った。

「…あー、なんだ。聞かなかったことにしてくれ」

「それは無理な話でしょ」

 秘儀の内容を異性に口走るなど、一体どんな罰が言い渡されるというのか。三日間の断食、いや五日は覚悟するべきか?まさかまさか、一週間ということはあるまいな。ティルルカの手が熱く感じるのは、俺の手足から血の気が引いたためだろう。どうにか忘れてもらえないものかと、我は暫し、黙々と前方の暗闇を探った。

「でも、そうね。聞いちゃっただけでも怒られそうだし、秘密にしておいてあげる」

「おお!秘密にしてくれるか!漏らした相手がティルルカで助かった」

 流石は悪ガキ!そういった知恵が良く回るものよ。誓って、これは褒め言葉である。

「そっか。男衆の秘儀は、肝試しみたいな感じなんだねぇ」

「…まぁ、そうだな」

 肝試しの一言で片付けられるのは癪だが、これ以上の情報を与えるつもりは無い。女子衆の秘儀について教われるというのならば、いくらでも生け贄に捧げても良いが。

「ふ~ん。参加してみたいなぁ」

 試されるのは、アルスのみだがな。それにしても、先程はあれだけ怖がっていたくせに、よくも言えたものだ。いや、これは強がりか。まだ我々は、肝試しの最中だからな。まぁ、もう出口は近いはずだ。ここまで一度も、我は行き止まりに遭遇してはいない。これはティルルカには朗報だろうが、我には。

「お。空が、外が見えるぞ」

 あぁ、見えてしまったか。いやいや、何を思うか。これで良いのだ。

「…わー、明るーい」

 今のティルルカの声音は、ある意味、目の前の景色によく似ていた。ちらちらと瞬きは見えるのに、手前の影が邪魔をするのだ。おい、ティルルカ。本当に見えているのか?

「夜を迎えたのに明るく感じるとは。可笑しな話だ」

 だが我が話す内にも、その影はみるみる薄くなった。おお、これは。

「ふふ。確かにそうね」

 流石にティルルカからも見えるか?枝葉の隙間から落ちる光の、なんと静かなことか。これは率直な感想だったが、我の口から滑らせるには清らか過ぎるように思った。

「この明るさは、柔らかいっていうか、とても静かね」

「うはは!」

 なんと!そうか、ティルルカも同じく思ったか。

「静かなのは、落ち葉が無いせいだ」

 こうして茶化さねば危なかった。もっと別の感情が、口からはみ出そうだ。

「馬鹿」

 ティルルカのお叱りが来たところで、オーリンの迷路が口を大きく開けた。あぁ、くそう。奥に進んでおけば良かった。

 もっと、もっと!こうしていたかったぞ。

「ほれ、外に着いたぞ」

 我は最後の悪足掻きに、わざわざ後ろを振り返った。ここではティルルカの輪郭どころか表情すらも一目瞭然だ。ティルルカの目元は微妙に吊り上がって見えるし、口元は真一文字に引き延ばされて見える。長い髪はいつも通りに右肩辺りで一纏めにされ、今は我とティルルカの間に垂れていた。その毛先は、繋いだままの右手同士を撫でている。守っている、ように見えた。

「もう、手を離しても大丈夫だな?」

 悪足掻きが過ぎるか?だが、ティルルカに気があるなら、ティルルカが何かを言おうとしているのなら、今をおいて他にはないように思った。こうして手を握っていると、期待ばかりが膨れに膨れて何かあるように思ってしまうだけなのか?

 胸は今宵の月のようで、今にも弾けてしまいそうだ。最早、気持ちを偽ることすら困難になりつつある。

「好き、に」

 そこで、ティルルカの右手から、小さな力すら失せた。

 好き、に?

「したら?」

 好きにしろ、だと?あまりに乱暴というか、投げ遣りではないか?間近にあるティルルカの顔も、俯かれてしまっては伺い知れない。ティルルカの気持ちの手掛かりとなるものは、この右手の中にあるものだけだ。それは力無く、為す術も無く、ただそこにあるだけのように思った。好きにしたら、だと?

 もしや、全て我の勘違いなのか?ティルルカが怖がっていたのは。暗闇ではなく、我に対して、か?

「すまん」

 右手を離した。暗がりで、我のような大男が迫ってくるというのは、さぞかし骨身の冷えたことだろう。鼻息も荒くなっていたかもしれん。そうだ。ティルルカもまた、獣の気配に怯えていたのだ!

 その証拠に、ほれ。

 ティルルカは獣の小脇を潜り抜け、一目散に駆けて行った。

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