9. 衝突
教室を飛び出して目に入ってきたのは、千花音達三人と、少し柄の悪い二人の上級生だった。こういう人達って、俺達と同じようにパートナーとうまくいっていないのかもしれない。仲良くできる気はしないけど。
真里が千花音を上級生からかばうように立ち、彼らと対峙している。西島は少し離れて、情勢を見つめたまま固まっている。
見るからに険悪な雰囲気だ。
上級生の一人が声を荒げる。
「その帽子を外せっつってんだろ!」
「だから、何でアンタ達の言うことを聞かなくちゃいけないのよ!」
「たりめぇだろうが! そいつが挨拶もしない、帽子も外さないで三年のフロアをうろうろしてたんだぞ!」
「そんなことで怒るなんて、アンタ達、心が狭すぎるわよ!」
「るせぇ! オカマは黙ってろ!」
「なんですって!? オカマでもいいけど、オネエって呼びなさいよ!」
真里と上級生は火に油を注いだように、激しい舌戦を繰り広げる。
こりゃどうしたものか……
どう収拾をつけるか悩んでいると、何を思ったのか、真里の後ろに隠れていた千花音が、真里の横に出て上級生達に姿を現した。
おいおい、嘘だろ。
「ちょっ、アンタ何やってんのよ!?」
「お、ようやく言うこと聞く気になったか。手間かけさせやがって――」
「やめてください」
千花音が初めて声を発した。
最初に低い声を練習した時のような濁った声ではなく、音程をしっかり低く保った芯のある声。その声には、静かながらも、確かに怒気がにじみ出ていた。
「わた……僕達は今、人を捜してるんです。だから、もう終わりにしてください」
「はぁ? 何勝手なこと言ってんだ! 全部お前が悪いんだろうが!」
激しい声を浴びせられ、千花音はビクッと身体を震わせた。
「おい! 帽子取れよ!」
やばっ、行くしかない……!
上級生が千花音の帽子に手を伸ばそうとしたその時、俺は瞬時に距離を詰めて、腕を伸ばし上級生の手をさえぎった。
「メロくん!?」
「なっ! 何してんだ、お前!」
「まあまあ、先輩。ちょっと落ち着いてくださいよ」
怒りに任せて声を上げる上級生に対し、俺は努めて冷静であるかのように振る舞う。
実際は首筋と手の汗が止まらないけど。
「確かに、彼が校内で帽子をかぶってることは、良くないことです。でもですね、そこまでして彼が帽子をかぶり続けていることに理由があるとは思いませんか?」
「んなこと知るか! 二年のくせに生意気なんだよ!」
「……実は、彼には秘密があるんです」
「!?」
千花音と真里が、無言ではあるが、驚愕の眼差しをこちらに向けている。西島の様子は確認できないが、きっと同じ気持ちだろう。
「秘密だと?」
「そうです。彼が帽子を外さないのは秘密があるからです」
「んなこと、俺達には関係ねぇ! 今すぐとらせろ!」
「本当にいいんですか? 後悔しますよ?」
「なんだと?」
「彼は帽子の下をものすごく気にしてます。その秘密が何かは言いませんが、もし先輩方にその秘密を知られたら、恥ずかしさのあまり、彼は気が狂ってしまうかもしれません。彼は一生、先輩方を恨むでしょうし、先輩方は罪の意識にさいなまれ続けることになるでしょう」
「な、何わけ分かんねぇこと言ってやがる……」
「まあでも、どうしてもと言うならお好きにどうぞ。俺はやめた方がいいと思いますけど、先輩方がそういう選択をするなら、それもまた人生なんでしょう」
「くっ……こいつ……」
上級生が俺の言葉に惑わされていると、背後から駆けつけてくる足音が複数響き渡る。
「君達、何やってるんだ!」
「やべっ、行くぞ!」
駆けつけてくる人達に気づき、柄の悪い上級生二人は、誰もいない方へ走って逃げていった。
後に残された俺達は、後ろから駆けつけてくる人達の方へ振り返る。
そこには、一人の上級生と、先程俺にミカちゃんの話を語っていた巨体の先輩が息を切らしながら立っていた。
おお、ミカちゃんの彼氏先輩が人を呼んでくれたのか。やっぱいい人だ。
***
「それで、上級生二人にいきなり絡まれた、と」
俺達の所に駆けつけてくれた上級生が、先程の状況を確認するように復唱する。
俺達四人が連れて来られたのは、なんと生徒会室。上級生とのいさかいに駆けつけてくれたのは、生徒会長だったのだ。
巨体の先輩は、最初先生を呼びに行くつもりだったようだが、たまたま生徒会長を見かけたため、その人に助けを求めたとのことらしい。
そして、生徒会室で事情を聞かれている現在に至る。
生徒会長の笹塚は軽く息を吐くと、キャップを深々とかぶった千花音の方を凝視する。
「今回の件は、もちろん君らに絡んだ二人が悪いんだが、かたくなに帽子をとらない君にも原因があると、僕は思う」
千花音は、無言で生徒会長に頭を下げる。
「校内で帽子をかぶることは問題ない。ただ、制服にキャップという組み合わせはあまり褒められたものではないし、その場を収めるためにも外した方がよかったんじゃないかな」
「すみませんでした……」
笹塚の忠告に対し、千花音は正体を悟られないように、できるだけ低い声で謝罪の言葉をつぶやく。
「それにしても、君達は何で三年生のフロアを歩き回ってたんだい?」
「実は、藤川恭介さんという人がいないか、捜してたんですよ」
俺が挙げた名前に、生徒会長は明らかに反応を示した。
「藤川恭介……何で君らが彼を捜してるんだ?」
「えっ、知って――」
「知ってるんですか!?」
俺の言葉にかぶせるように、千花音が思わず驚きの声を漏らした。
笹塚が目を丸くして千花音に目を向けると、彼女は口に手を当て、慌ててうつむく。
バレてないよな……?
「君、ずいぶん高い声なんだね。……まあ、それはいいとして、藤川君は知ってるよ。彼は稜栄高校の副生徒会長だからね」
「そうなんですか」
「すごいな、稜栄高校か……」
「あらぁ、エリートじゃない」
「?」
男三人の感心した様子と対照的に、千花音は疑問符を浮かべる。
稜栄高校は、この第七フォートで一番の進学校。
俺と西島、真里はそのことを知っているが、当然ながら千花音は稜栄高校を知らないようで、真里に小声で尋ねているようだ。真里から返答をもらうと、少しの驚きと共に納得したらしい。
「藤川君とは、学校間の生徒会交流で会ったことがある。真面目そうな印象だね」
非常に有益な情報だ。藤川恭介の学校が特定できただけではなく、副生徒会長という役職が分かったことで、捜索効率が大幅に上がる。
「いいことを聞きました。これで藤川さんを捜しやすくなると思います」
「さっきも聞いたけど、何で彼を捜してるんだい?」
ここは、林部先生との会話につじつまを合わせた方がいいか。
「たまたま拾ったハンカチに、藤川さんの名前があったんで、届けてあげようかと」
「そうだったのか。もし今度会う機会が会ったら渡してあげようか?」
「いえ、自分達で捜すんで、大丈夫です。さっき聞いた情報があれば、手間はそんなにかからないと思うんで」
「そうか。まあ、あまり他校でうろうろしないように」
「ありがとうございます。では、失礼します」
それを最後に、俺は後ろに向き直る。三人も俺の動きに合わせて、俺達は生徒会室から廊下へ移動した。
生徒会室の扉を閉めたところで、張りつめていた糸が切れたように、どっと疲れが出てくる。
三人も似たような気持ちだったようで、それぞれ大きく息を吐いたり、天井を仰いだりしている。
「はぁ~、緊張したね~」
「澄名さん、油断しない方がいいよ。どこに誰がいるか……」
戦々恐々とする西島を見ながら、真里がため息をつく。
「はぁ、アンタはほんとにヘタレねぇ」
「なっ、誰がヘタレだ!」
「さっき、ちーが上級生二人に絡まれてる時、アンタ棒立ちしてたじゃない」
「そ、それは……」
真里の的を射た指摘に、言葉が出ない西島。
「大丈夫だよ、西島くん! あの人達上級生だし、ちょっと怖い感じだったから、仕方ないよ!」
「ちー、アンタがフォローすると男には逆効果よ」
「えっ、そうなの!? なんか、ごめんね!」
「ああ、うん、大丈夫だから……」
西島は言葉とは裏腹に、がっくりと肩を落とす。
西島、気にするな。確かに、あの時は完全に空気だったけど。
「それに比べて、そーたんかっこよすぎ!」
こら、抱き着いてくるんじゃない!
ひっついてきた真里を振りほどくと、真里は不満を口にしながらもなんだか嬉しそうだった。
「正直、あの時は夢中だったから、自分でも何言ってたかよく覚えてないな」
緊張していたのはよく覚えている。汗で背中にシャツが張り付いて気持ち悪い。
「でも、メロくんの言葉にはびっくりしたよ。わたしの正体をあの人達に言っちゃうんじゃないかって」
「あ、それはアタシも思った。『そーたん、正気なの!?』って」
「ああ、そういえば、そんなことも言ったっけ。我ながら上手いことごまかしたよ」
まあ、ミカちゃんの彼氏先輩が生徒会長を呼んでくれなかったら、どうなってたことか。
「メロくん、嘘つくの上手いね!」
「いや、それ全然嬉しくない」
「アタシも、そーたんは嘘が上手いと思うわ」
「お前もか」
「そーたんはアタシのことを思ってくれてる。でも、そーたんにはパートナーがいて、本来アタシとは結ばれない運命。だから、自分の気持ちに嘘をついて、アタシのアプローチを遠ざけてるのよ」
俺の本当の気持ちとやらを、伏し目がちに語る真里。
「すごいな、お前の想像力……」
「メロくんとマリちゃんって、やっぱりそういう……」
「信じなくていいから!」
「恋は障害が多いほど燃えるのよ!」
「頼むから自重してくれ!」
「ぷっ」
「そこのヘタレ、笑うんじゃない!」
「ヘタレ言うな!」
こうして、この日の藤川恭介捜索は大きな成果を上げて終了した。