8. ミカちゃんの彼氏先輩
高校に近づくにつれ、周囲に男子生徒が増えてきた。
千花音は口数を減らし、なるべく顔を見られないように、うつむき加減で俺の横を歩く。
「ねぇ、みんなこっち見てない?」
「気にするな。コソコソしないで堂々としてた方が怪しまれないぞ」
そして、校門の近くに到着すると、待ち合わせていた西島と真里の姿が目に留まった。
俺達が近づいていくと、二人も気配に気づいたのか、顔をこちらに向ける。
「おまたせー! 二人ともありがとね」
「あ、澄名さんか。最初誰だか分からなかったよ」
「あらぁ、完璧なコスプレじゃないの」
「でしょ!? 裾とかうまく折り返して固定して、ジャストに見えるようにしてるんだよ♪」
「やるじゃない。さすがアタシのライバルね」
いつからライバルになったのか。
千花音と真里が和気あいあいとやっているのをよそに、西島が歩み寄ってくる。
「それで、藤川さん探しはどうやる気なんだ?」
「とりあえず、最初は職員室で聞いてみようと思う」
「それはいいけど、教えてくれるか?」
「まあ、確かに」
西島の言うとおり、ただ聞くだけで教えてくれるはずもないだろう。細かいことは全然考えていなかった。
とりあえず、適当に思いついた案を言葉にする。
「じゃあ、落ちてたハンカチを拾って、それに藤川さんの名前が書いてあったから届けたい、っていう設定は?」
「……きつそうな気もするけど、まあそれでいいんじゃない?」
我ながらいい加減な案だと思っていたが、西島はあっさり同意した。
「はあ、家でプログラミングでもやってた方が良かったな……」
お前もやる気ないんだったな。気持ちは分かるぞ。
それから難なく校舎に入り、四人でぞろぞろと職員室の前に赴く。全員で中へ入るのは目立つので、代表で俺が入室することになった。
それにしても、職員室に入る時というのは、別に叱られるようなことをしていなくても緊張するものだ。
ゆっくりと職員室の扉を開け、失礼します、と言いながら足を踏み入れる。
担任である林部先生の姿が確認できたので、そこへ近づくと、椅子に座った先生が笑顔でこちらを出迎えた。
「永峯じゃないか。珍しいな、自分からここに来るなんて」
「そうですね。呼び出し以外でここ来るの初めてかもしれないです」
「そうだ、昨日の宮町とのやりとりはどうだったんだ?」
「微妙でしたね。悩みとかないか、って聞いたら、さっさと切られちゃいました。別に怒らせたつもりはないんですけどね」
「ほお、そうか。……うん、なるほどな」
林部先生は何かを理解したかのように、何度かうなずいた。
「永峯、理由が分かったぞ」
「本当ですか」
「それは、生理だな」
おい。
真面目に答えているんだろうが、この人が言うと下品な感じしかしないんだよなぁ。
「まあ、俺の話はいいんです。それより、この学校に藤川恭介さんという人はいますか?」
「藤川恭介? いや、私は知らないが」
「調べてもらえないですか?」
「あー、それは無理だな。基本的に生徒の情報は開示できないと決まってる」
「そうですか……まあ、そうですよね。ありがとうございました。失礼します」
話を切り上げ、出入口の方へ向きを変えようとすると、先生が呼び止めるように声をかけてくる。
「おいおい、ちょっと待ちなさい。何でその藤川恭介君を捜してるんだ?」
「それは、落ちてたハンカチを拾ったら、藤川さんの名前が書いてあったんで届けようかな、と」
理由を聞いた先生は、こちらの顔を訝しげに見つめた。
「お前、そういうタイプだっけ?」
「心外ですね。こう見えて俺は善良な心の持ち主ですよ」
「ほほう……じゃあ、もしこっちで藤川君を見つけたらハンカチを届けるから、そのハンカチを一時的に預かろう」
それはまずい。ハンカチに名前を書いておくなんて仕込みはしていない。
「あ、いえ、大丈夫です。自分で捜しますから」
「なんだ、届けたいんじゃないのか?」
「それじゃ、先生の手柄になるじゃないですか。藤川さんに俺が拾ったことをアピールしたいんで」
「……善良な心の持ち主が言うセリフじゃないな」
「それじゃあ、これで」
それだけ言って、先生に背を向けて歩き出す。
先生のため息をつく声が聞こえた気がしたが、歩を緩めることなく職員室を出た。
すると、部屋の外で待機していた三人が近寄ってくる。
「どうだった?」
「ダメだった。やっぱり地道に探すしかないな」
「マジかぁ。これは時間かかりそうだ……」
芳しくない結果にうなだれる西島。
一方で、千花音と真里はむしろやる気に火が付いたようだ。
「きっとだいじょぶだよ。がんばろっ!」
「そうよ、やる前から何言ってんのよ。さっさと探すわよ!」
千花音と真里が先陣を切って歩きだし、俺と西島は渋々付いて行く。
先頭の二人が藤川さんの話をし始める。
「ちー、藤川さんは何年生なの?」
「恭くんは三年生だよ。わたしはその一つ下」
「やだぁ、アンタ、アタシ達と学年一緒じゃない!」
「そうなんだ! すごいね!」
学年が一緒だと分かり、盛り上がる千花音と真里。この現状を楽しめる二人がある意味うらやましい。
藤川さんは三年生らしいので、三年生のフロアへ上がり、最初に目についた教室をのぞき込む。放課後のため、その教室にはほとんど生徒の姿が無かった。会話している二人組がいるだけだ。
俺達が教室をのぞき込んでいることに、二人組の一人が気づき、こちらに近寄ってきた。
ちょうどいいので、藤川さんについて尋ねてみることにする。
「すみません、ちょっと聞きたいことが――」
「君達、下級生じゃないか? ちょうど良かった。……君、こっち来て」
「へ?」
その人は、急に俺を指名し、教室の中へ招き入れようとする。俺達が下級生だと分かったのは、つけているネクタイの色で判別したからだろう。
俺がためらっていると、その人は『早くしてくれ』と言わんばかりに何度も手招く。
うわぁ、面倒くさそうな予感。
「メロくん、わたし達は他の教室を捜すね」
「そーたん、終わったらすぐに合流するのよ」
そして、千花音達は他の教室へと向かった。
残された俺は仕方なく教室の中に入り、室内で待っていたもう一人の上級生の所まで連れて来られた。
そこにいた巨体の男は、俺が何者か理解しあぐねているといった様子で、たたずんでいる。この上級生、背丈も高いが横幅も広く、相撲取りを彷彿とさせる出で立ちだ。
俺を招いた一人が巨体の男に話し始めた。
「彼、君の噂を聞きつけて来たらしいんだ。俺は用事で帰るから、彼に君の話を聞かせてあげてよ」
「おお、そうだったのか! ぜひ聞かせてあげよう!」
体格の大きい男が歓喜する一方、俺を招き入れたもう一人の上級生はバッグを持って、すばやく教室を出ていってしまった。
俺の呼び止める声も虚しく、教室に残されたのは俺と、巨体の男。
とりあえず、率直な疑問を投げかけてみる。
「あの、俺は何でここに――」
「いやぁ、君が僕の話を聞きたいと思ってくれて嬉しいね」
「いえ、そうじゃなくて――」
「さっき出て行った彼には小一時間ほど話したんだけど、まだまだ話が尽きなくてね」
「ちょっと、聞きたいことが――」
「僕のパートナーのミカちゃんはね、本当に素敵な女の子なんだよ」
聞いちゃいねえ。
しかも、話し始めた内容がパートナーのこととは……
このフォートにおいて、パートナーの自慢話を聞かされるのは日常茶飯事だ。
大抵の男子はしっかり教育されていて、パートナーとの関係は良好な者達ばかり。そこで、友達同士で定番の話題がパートナーの話。彼女がどれほどかわいいとか、すばらしいとか、延々と話し続けるのだ。
お互い相手のパートナーに会ったことが無いので、自分と相手のパートナーを比較することも無い。劣等感を感じること無く、思う存分自分のパートナーを自慢できる。
先程出て行った上級生も、終わらない自慢話から逃げるために、たまたま顔を出した俺をここに引っ張り込んだに違いない。
なんて迷惑な。
「ミカちゃんは、僕がテストでクラス最下位の点数をとった時も、励ましてくれたんだよ」
「それは優しいですね」
「ミカちゃんは言ってくれたんだ、『あなたがとった点数はどうしようもなく酷いわ。救いようがない。でも、それができたのは、紛れもなくあなたの才能で、個性よ。あなたは世間的に底辺のクズかもしれない。でも、それでもいいじゃない。最下位バンザイ! そんなあなたでも一生付いていってあげるわ』って」
励ましの切れ味が鋭すぎる! ミカちゃん、ただ者じゃないな。
「それを聞いて、僕は嬉しくて嬉しくて、号泣してしまったよ」
ポジティブ! ミカちゃんじゃなくて、この人が優しいんじゃないか?
「他にも、ミカちゃんは僕の身体に配慮した料理を作ってくれるんだよ」
「へぇ、そうなんですか」
「ミカちゃんの作るものはとても前衛的でね、ちょっとお腹の調子が悪くなることもあるんだけど、そのおかげで僕の体重が十キロ以上やせたんだよ。僕の体重のことまで気にしてくれてるなんて、ミカちゃんがいい子過ぎて泣けてくるよ」
俺はあなたが前向き過ぎて泣けてくるよ。
「僕はミカちゃんのまず……ダイナミックな料理が大好きなんだ」
今、“まずい”って言おうとしましたよね!?
その時、教室の外から言い争うような声が耳に入ってきた。
ん? 今のは真里と誰かの声?
やばいな、誰かと揉めてるんじゃ……
教室の外を確かめるべく、話の途中でここを立ち去ろうとした。
「えっ、君、どこ行く気?」
「すみません、急いで友達の所に行かなくちゃならなくなったんで、ここらで」
それだけ言い残して、俺は巨体の先輩の引き留めに応じず、教室の外へ躍り出た。