7. 変装
次の日。
授業が終わり、通学路をたどって帰宅する途中、携帯端末にメッセージの着信があった。
世間ではスマートフォンや携帯電話が普及していることは知っているが、このフォート内には存在しない。
代わりにフォート用に作られた携帯端末が各個人に配られるのみだ。見た目はスマートフォンに似ているらしいこの携帯端末は、基本的にメッセージのやりとりしかできない。なのに、警備隊と救急隊にだけは通話ができるというかなり特殊な作り。もちろん、インターネットにはつながらない。
しかも、メッセージを送れる相手は、パートナーと、個人的にIDを教えた相手だけで、フォート外部の人間とは通信ができないようになっている。
つくづく、俺達は鳥かごに入れられた鳥みたいなものだなぁと思う。自由に羽ばたくことができない。
まあ、そんな鳥かごに自ら飛び込んできた鳥には驚いたが。
ティロリン。
携帯端末が着信音を鳴らした。どうやらメッセージを受信したらしい。
端末を確認すると、メッセージの送り主が紗友だと分かった。
中身を読むためにメッセージを開く。
『昨日は急に通話を終わらせちゃってごめんなさい。奏くんにはなるべく心配かけたくなかったから。お詫びに、今度のふれあいの日に持って行くお弁当は、いつもよりがんばるね』
紗友はいつもこうして気を遣う。
昨日の映像通話を紗友から切ったことを気にしているのだろうが、実際気にするほどのことじゃない。
その優しさは嬉しいのだが、その気遣いが彼女の負担になっているんじゃないかと、やはり気になる。
とりあえず、『ありがとう。楽しみにしとく』とだけ書いて、メッセージを送信した。
***
自室の玄関扉に手をかけ、狭い隙間にすばやく身をねじ込ませる。後ろ手に扉を閉め、一安心したところ――
「じゃーん!」
「うおっ!?」
目の前で手を広げて立っている千花音の姿に、俺は思わず驚いた。しかも、俺の予備の制服を着ている。
「おい、何でもう俺の制服を着てるんだよ」
「だって、恭くんを捜しに行く時にこれに着替えるって言ってたから、自分で探しちゃった」
「俺が帰ってから用意するって言っただろ」
「でも待ってる間、暇だったし。メロくんが帰って来てからだと着替え覗かれるかもしれないし」
「だから覗かんわ!」
相変わらず、着替えの時に警戒されてしまっている。あの時の行動を激しく後悔。
「ねぇねぇ、これどう?」
「どうって、何が?」
「わたしの制服姿! 結構気に入ってるんだ♪」
改めて千花音のブレザー姿を確認する。シャツやズボンの袖、肩幅などが余りぎみではあるが、確かによく似合っている。
それと同時に、俺の制服を女子が着ていることに、なんとも言えぬ高揚感があることは内緒だ。
「うん、とても似合ってるな」
「でしょ!」
「もう少年にしか見えない」
「やったぁ……って、それは嬉しくないよ!」
「あと、さらしが必要じゃなくて助かったよ」
「?」
「胸の辺りを隠さなくても大丈夫そうで、本当によかっ――いたたた!」
「バカバカ!」
言うが早いか、顔を紅潮させた千花音にめちゃくちゃ叩かれた。
小さいのも需要あるよ、とか余計なことを言わない方が良さそうだ……
玄関扉を開けて、外に誰もいないか確認する。あまり周囲を見回しすぎると、かえって怪しまれるのは分かっているが、それでも気になってしまう。
俺が扉から出た後、おそるおそる千花音が周囲をうかがい、ゆっくりと全身を外界にさらした。俺と千花音はお互い顔を見合わせてうなずくと、扉に鍵をかけて、何も言葉を交わすことなく足早に寮から出た。
寮から少し離れたところで、急に千花音が大きく息を吐き出し、晴れやかな表情で空を見上げる。
「気持ちいー!」
「あんまり大声出すと目立つだろ」
「だって久しぶりの外だよ? この帽子も取っちゃいたいくらいだよ」
「それやると一発アウトだから……」
千花音は俺が貸したキャップを被っている。
髪をシュシュで束ねてキャップの中に隠し、短髪であるように見せている。
いくら制服を着ていても、顔や髪型をはっきりと見られたら、女だとバレるのは必至だ。
よって帽子を被るのは仕方のないことだが、制服とキャップのなんと相性の悪いことか。ぱっと見でもかなり目についてしまう。
加えて気になる点がもう一つ。
「あとさ、しゃべる時は気をつけてくれよ」
「あ、声だね」
「そう、声の高さで明らかに女だって分かるから、なるべく低く。まあ、なるべくしゃべらない方がいいと思うけど」
「分かった……んっ! あー、あー……わがっだよ」
「低くなったのと同時に濁ったな」
風邪をひいている設定にでもした方がいいのかもしれない。
「ねぇ、あれって」
「さっそく声の高さが戻ってるぞ」
「誰か近くにいたら低くするから! ねぇ、あれがフォートの塀だよね?」
千花音がある方向を指さす。そちらには、このカルティベーション・フォートを囲む高い塀の上部が少し見えた。
「ああ、そうだな。ここからだと見えるのか」
「あの向こう側は外なんだね」
「たぶんな。見たことはないから知らないけど」
フォートの外にいたのは、小学校に上がる前。その頃の記憶なんて曖昧で、結局思い出すのはこのフォートで過ごした日々ばかりだ。
「あと、あっちの塀の向こう側は、女性居住区域になってる。男女の居住区域の境にアフェクション・スペースっていう面会できる場所があって――」
「へ~そうなんだ~」
千花音が微妙なタイミングで相づちを打つ。こら、そちらが聞いてきたんだからちゃんと聞きなさい。
塀の方から目を離した千花音が、今度はこちらをじっと見てきた。
「何?」
「ううん、なんていうか、メロくんはここから出たくないのかなぁと思って」
「塀の外に?」
「うん、わたしだったら、ここにずっといたら外に出たくなっちゃうと思う」
「まあ、物心ついた頃にはここにいたからな。もちろん出たいけど、慣れてるから何が何でもってわけでもないな。それに、早ければあと一年半くらいたてば外に出られるし」
などと言ったものの、俺が高校卒業時にフォートともおさらばできるかはかなりきわどい。
大多数の生徒は高校卒業と共にフォートの外に出られる。だが、それはパートナーとの関係がうまくいっている者達だ。一方で、卒業の時点でパートナーと不仲の者達は、大学の一般教養課程までここで学ぶことになる。
フォート管理局からすれば、後者の者達は厄介な存在であり、できるだけ早く追い出したいだろう。
そのため、高校在学中にパートナーとの仲が上手くいっていない者は、先生やカウンセラーから度重なる指導を受けなければならない。正直、しんどい。
先のことを考えて気が重くなっていると、ふいに千花音が尋ねてきた。
「メロくんは紗友さんのこと、好きなんだよね?」
ストレートすぎませんかね。
「あ、ああ、そうだよ。嫌いじゃない、な」
「なにそれ! 嫌いじゃない、なんて紗友さんに失礼だよ。好きなら好きって、ちゃんと伝えてあげないと」
「さすが、好きって言うためだけに不法侵入してきた人は言うことが違うな」
「ふふん、愛は国境を越えるんだよ」
まあ、ここは日本国内なんだけど。