6. パートナー
話を終え、西島と真里はそれぞれ寮を後にした。
時間帯も夕方に差し掛かり、俺は食料の買い出しに行くことにする。千花音が住み込んでから食べ物のストックが極端に減ってしまったためだ。
出かける支度を始めると、千花音が興味ありげに声をかけてくる。
「なになに、どこ行くの?」
「食料の買い出しだよ」
「じゃあ、わたしも行くよ!」
「いや、ダメだって。明日から出歩くんだから、極力目立つ行為は避けないと」
「わたし、こう見えて気配を消すの得意なんだよー」
「何なの、そのアピール」
「誰にも見つからずにフォートに入れたんだよ?」
「運良く流れ着いただけだろ。しかも俺以外の人間が見つけてたらアウトだったかもしれないし」
「……ダメなの?」
「うん、ダメ」
そこまで言うと、千花音はあからさまに不機嫌になった。
外に出たい気持ちは分かるが、明日までは我慢して欲しい。
すると、千花音は手近にあったメモ用紙に書き殴って、こちらに突きつけてきた。
「じゃあ、これ買ってきてよ!」
メモ用紙を受け取ると、彼女の所望しているものがずらっと羅列されていた。
「ちょっ、多いな! こんなに買って来れるわけ……」
そこで、今までに見たことのない形相で睨まれていることに気づく。
スイーツのヤケ食いなんて太るぞ、などとつぶやこうものなら大荒れの予感。
とりあえず要求を飲み、波風の立たないようにそそくさと部屋を抜け出した。
***
食料がたくさん詰まった買い物袋を両手に持った帰り際、今日は紗友と連絡をとる日だったことを思い出した。
フォートのルールに、少なくとも週に四日はパートナーと連絡を取り合わなければならない、というものがある。そして、そのうち二回は映像通話の利用が義務づけられている。
今週はメッセージのやりとりばかりで、映像通話のノルマは一回しか達成していない。
交流というのも、強制的にやるのでは負担に感じてしまう。
足取りが重いのは、両手の荷物が重いためだけではないようだ。
自室の前まで帰り着き、周囲に人がいないことを確認しつつ、玄関扉を開ける。人間が入れる最低限の隙間を確保し、身体と買い物袋をその間に滑り込ませる。
「おおー、すばやいね」
俺が部屋に入って玄関扉を閉めると、千花音がその様子を感心しながら見ていた。
「どれどれー、ちゃんとわたしが言ったもの買ってきたよね?」
先程の機嫌の悪さはすっかり収まったようで、今は目の前の食料に興味津々なようだ。
「ああ、あるだけ買ってきたよ」
買い物袋から商品を取り出し、彼女の前に一つずつ並べていく。
「あ、これ! 食べていいよね? いただきまーす!」
こちらの返事を聞くこともなく、千花音は手にした袋を開封し、果物の載ったデニッシュに口を付けた。
そのパンをほおばる様は、幸福に満ち溢れていて、こちらの食欲までそそられる。
どこまでも食を愛する子である。
そうこうしているうちに、紗友と連絡をとる時間が近づいてきたので、俺はリビングの一角にある小部屋へ向かった。
その動きに気づき、千花音がこちらに声をかけてくる。
「ねぇ、前から気になってたんだけど、その部屋は何?」
「ああ、ここはコミュニケーション・ルームって言って、パートナーとやり取りするための部屋だよ」
リビングの隅に位置する小さな部屋。部屋の居住者が入って個人認証をパスすると、扉のロックがかかる仕組み。窓が無いため、外から使用中の様子は全く確認できない。
俺がコミュニケーション・ルームの扉を開けると、いつの間にか千花音が側に来ていて、中をのぞき込んでいる。
「へ~、こうなってるんだ」
「おいおい、食べてる途中じゃなかったのか?」
小部屋の中にはディスプレイと椅子と机があるのみで、至って無機質な空間となっている。
「あの画面にパートナーが映るんだね。ちょっと見てみたいなぁ」
また無茶なことをおっしゃる。
「この部屋は、居住者本人が一人で入って、虹彩認証をパスして初めて機能するようになってるんだ。本人以外がパートナーを見ることが無いように」
眼球の一部を構成する薄い膜である虹彩は、その模様が個々人によって千差万別。その性質を利用して個人を見分けるために、虹彩認証というセキュリティ技術が開発された。
「こうさいにんしょう?」
「知らない? 目の虹彩。それで本人確認を――」
「目の交際……見つめ合う二人……わぁ、ドキドキしちゃうね~」
「……あのー、千花音さん?」
何か盛大に勘違いしているようだが、面倒くさいし時間も無いので、もうそのままにすることにした。
「じゃ、もう連絡の時間だから」
そう言って、コミュニケーション・ルームの入り口に張り付いている千花音を引きはがし、さっさと小部屋に入る。
千花音の声も、部屋に入って扉を閉めてしまうと全く聞こえない。
静寂に包まれた空間で気持ちをリセットし、椅子に座ってディスプレイと向き合う。センサーで眼球の虹彩を読みとらせると、ディスプレイが起動した。
そして、相手へ発信を行うとすぐにつながり、パートナーの顔が映し出される。
「こんばんは、奏くん」
そこには、ほほえみながら静かにたたずむ少女の姿があった。
永峯奏のパートナー、宮町紗友。
気品があり、清廉な印象を受ける彼女。同時に儚さも合わせ持っており、世の男性であれば守ってあげたくなること請け合いだ。
加えて、この笑顔。俺がどんなに機嫌が悪くても、くだらないことを言っても、笑顔を向けてくれる。笑顔じゃなかったのは、俺達が初めて対面した小学生の頃くらいかもしれない。
その笑顔に俺はずっと助けられ、癒されてきた。何の不満もなかった。
長年付き合っていく中で、ある時ちょっとした疑問を抱くようになるまでは。
「よっ、元気してたか? まあ、メッセージのやりとりは結構してるけどさ」
「うん、大丈夫だよ。奏くんも元気そうで良かった」
「まあな。学校の方は?」
「うん、ちゃんとやってるよ。奏くんはどう?」
「まあ、勉強はぼちぼちかな」
お決まりのやり取りを繰り広げる。感情を動かすことなく、淡々と。
一通りの近況報告が終わって会話が途切れ始めると、紗友は気をつかってしゃべりだす。
「そういえば、今週の日曜日はふれあいの日だよね。わたし、奏くんの好きな唐揚げ作って、持っていくね」
「おお、それは嬉しい。紗友の唐揚げは旨いからな」
「他にも何か食べたいものある?」
「んー、まあそれだけでいいよ」
おいしい料理を作ってくれるだけでもありがたい。西島はパートナーが作るものがまずいと、よく嘆いているし。
そこでまた、いつもの疑問が頭に浮かんできた。普段は胸に秘めたままで終わることも多いが、今日は口にしてみる。
「紗友、無理してないか?」
「え? そんなことないよ」
「何か悩み事とかは?」
「ううん、大丈夫。ありがとう、心配してくれて」
そう言って、紗友はまた笑みをたたえる。
「本当か? 何かあれば――」
「本当に大丈夫だよ。それじゃあ、次の日曜日にね。おやすみなさい」
そこで、紗友は通信を終わらせ、ディスプレイが暗転した。
いつも通りだ。至っていつも通り。
紗友に悩みがあるか聞いても、必ず無いと答える。
不満をぶつけられたことも無い。当然、けんかをしたことも無い。
西島や真里がパートナーとけんかをしたという話を聞く度に、疑問が生まれた。何で、俺と紗友はけんかをしたことが無いんだろう、と。
単純に仲が良いだけ?
本当にそうなのか?
実は、俺は宮町紗友という人間をほんの一部分しか知らないんじゃないか?
そんな違和感が生まれてから、何も解決しないまま、月日だけが過ぎてしまった。状況を打開する糸口さえ見つけられずに。
結局、今日も疑念が晴れることは無かった。