5. 黒こげ危機一髪
「二人とも、見ても絶対大声出すなよ」
俺は、寮にある自室の玄関扉の前で、西島と真里に念を押す。
「なんだよ、さっきからもったいぶって。分かってるよ」
「えー、すごい気になるー」
気持ちがはやる二人を制止し、まず自分一人で扉を開けて玄関に入る。
すると、いきなり鼻につく臭気を感じた。
「ん? なんだこの臭い?」
何かが焦げた様な臭い。それは、部屋の奥から漂ってきているらしい。
「まさか、火事!?」
俺はあわてて靴を脱ぎ、急いで部屋の奥へ向かう。
そこには、キッチンのコンロの前であたふたしている千花音と、異常に煙を発しているフライパンが見えた。
「おい! 火、止めろ! あと換気扇!」
「あっ、メロくん!」
千花音が動作に入るのを待つことなく、自分で素早くコンロの火を消し、換気扇のスイッチを入れた。
鎮火を見届け、ようやく一息つく。
もう少しで火災報知器が作動し、危うく人を呼ばれるところだった。
「はあ、間にあった……何してんだよ……」
「ご、ごめん! ちょっと、お腹すいちゃって……」
申し訳なさそうに気を落とす千花音。
フライパンを見てみると、黒焦げの物体があるのみ。何を作ろうとしていたか分からなかったが、その横に置いてある材料を見て判明した。
「ホットケーキか……」
以前買っておいたホットケーキミックスの粉だった。
そんなに作るのが難しいものじゃないのに、何でこんな状態に。
「ホットケーキとパンケーキって何が違うんだろとか考えてたら、いつの間にか煙が充満してて、あわてちゃって……」
はい、それだ! 作ってる途中に考えることか?
まあ、昼ご飯をカップラーメンだけで済ませてくれと、適当に頼んだ俺にも原因があるし、これ以上は責めないことにした。
「まあ、間にあったから良かったけどさ」
「うん、本当にごめん」
事態が落ち着いて一息ついていると、通路の方から足音が聞こえてきた。
「おーい、もういいだろ。誰かいるわけでもないし――」
西島がキッチンの前に姿を現したが、その直後に硬直した。
「そーたん、おそーい! 待ちくたびれ……ええっ!?」
後から顔を出した真里も、見知らぬ人物の存在に思わず声を上げた。しかも、それが本来ここには存在しない性別の人間だと分かった時、さらに驚愕の表情に変わる。
「お、女……?」
「きみ達は……?」
千花音は顔をこわばらせて後ずさりした。目の前に現れたのが敵か否か判断が付かず、戸惑っているようだ。
「大丈夫だ。この二人は俺の友達だから」
動揺する千花音に対し、俺は落ち着いて語りかけた。
まだ状況が飲み込めていない様子の西島が、惚けた顔で言葉を発する。
「いや、ちょっ、どういうこと? 何で女の子? どうやってここに?」
何かを思いついたように、真里も口を開く。
「あっ、まさかアンタもアタシと同じ? かわいいからぱっと見、分かんなかったけど」
「えっ? えっ?」
「いやいや、違うから……」
真里の言葉の意味が分からず、頭に疑問符を浮かべる千花音。俺は呆れたように否定する。
「正真正銘、女だよ。昨日、海岸沿いで倒れてるのを見つけたんだ」
「ホントか!?」
「やだぁ、何それ!?」
驚きの色を隠せない二人。好奇の目を向けられて、千花音がおそるおそる前に出てくる。
「あの、澄名千花音って言います。ちょっと事情があってここに来ました……よろしくね」
「あっ、ああどうも、西島直弥です」
「アタシは、沢野真里よ。マリちゃんって呼んでね~」
「本当は真里だけど」
「もう! そーたんってば!」
真里が笑顔で、俺の腕に絡んでくる。暑苦しいからやめてほしい。
千花音が俺達を見ながら、ポカンと口を開けている。それから、彼女は俺の方へ寄ってきて、耳打ちしてきた。
「ねぇ、メロくんとマリちゃんって、そういう関係?」
「そういうって何だ!? 違うからな!」
***
「それで、その藤川恭介さんを探すためにここに来た、と」
「やだぁ、ロマンチックー」
千花音の事情を聞いた西島と真里は、それぞれ困惑や驚嘆の表情を見せた。
西島は俺と同じように、告白するためにわざわざフォートに侵入したことが信じられない、といった顔をしている。
真里は驚きつつも、彼女の行動に胸を打たれているようだ。
そんなにロマンに浸っていられるような状況でもないのだが。
「そういうわけで、悪いけど二人には藤川さんを捜す手伝いを――」
「待て待て! 言うと思った! それはさすがに厳しいんじゃないか?」
俺の提案を即座に否定する西島。それを受けて、千花音はすぐさますがるように懇願する。
「お願い! そこをなんとかできないかな?」
「う……といってもなぁ……」
「ニッシー、いいじゃないの! 手伝ってあげましょうよぉ」
真里は、承諾を渋る西島へ快活に言い放った。
「お前、このフォートにどれだけ人がいると思って……しかも、彼女をかくまったことがばれたら、俺達も罰を受けるんだぞ?」
西島の言うことも、もっともだ。
千花音をフォート管理局へ連れて行って、偶然このフォートに流れ着いた少女を保護した、とでも説明すれば、罪に問われることはないかもしれない。
しかし、管理局に内緒のまま、藤川恭介を捜す過程で千花音の存在が周りに知られた場合はどうか。彼女が捕まるのはもちろん、彼女の存在を知っていて隠していた我々も罰せられる可能性が高い。
ためらう西島を、千花音はなおも説得しようとする。
「もしわたしが見つかっても、わたし一人でやったことだって言うから大丈夫! みんなに迷惑がかからないようにするから」
「見つかり方にもよると思うけどなぁ。言い逃れできない状況で他の人に見つかったら――いてっ!」
逡巡する西島を、思わず真里が叩いた。
「アンタ、それでも男なわけ!?」
「うっさいな、お前に言われたくない!」
西島と真里は急にいがみ合いを始めた。感情をぶつけ合う二人を、千花音が慌てて止めに入る。
「ちょっと待ってよ! ……ごめんね、巻き込もうとしちゃって。迷惑だよね……」
千花音がシュンとして肩を落とす。
それを見て、真里は元気づけるように力強く言った。
「アタシは手伝うわよ! こんなロマンチックなこと、叶えて上げたいじゃない。それに、そーたんが手伝うんだったら、当然アタシも協力するわよ♪」
ちょっ、こっちにウインクしなくていい。
「ほんと!? ありがとう、マリちゃん!」
「いいわよ。もうアタシ達は友達なんだから。そうだ、アンタのことは、”ちー”って呼ぶわね」
「うん! よろしくね!」
すっかり打ち解けた感じの千花音と真里の様子を、ばつが悪そうに眺める西島。
頭をかきむしってうなり声を上げながら、ついに何かを決心したようだ。迷いを振り払うように声を上げる。
「あぁ、もう、分かったよ! 俺も手伝うから! ……バレないように気をつけてくれよ?」
「いいの? ありがとう! 西島君!」
屈託のない笑顔を向けられ、西島は照れ隠しのように視線を逸らした。
こうして、新たに協力者として加わることとなった西島と真里の二人。
しかし、四人になったからといって、現状が劇的に改善されたわけじゃない。結局、計画としては、翌日から俺達が通う清崎高校で聞き込み調査を行うというオーソドックスな方法をとることとなった。
「明日から頑張ろうね!」
「やるわよぉ!」
「お、おう……」
やる気に満ちあふれた千花音と真里を横目に、俺は気のない返事をする。
なにしろ、全く先の見えない作業だ。
うちの学校だけでも、総生徒数は三千人ほどいる。そこで目立たないように調査するだけでも、骨が折れるだろう。
ましてや、他の学校となれば、その苦労は察するに余りある。他校の生徒が校内をうろうろしていて注目されないはずはないからだ。
そこで、俺は安全を期する策を提案した。
「なぁ、千花音はこの部屋で待機してた方がいいんじゃないか?」
「えっ、なんで?」
「千花音が外を歩き回れば、それだけ誰かに正体がバレる危険性が出てくる。俺達三人で藤川さんを捜して、見つかったら二人を引き合わせればいいんじゃないか?」
西島も俺の意見に、その通り、といった様子で何度もうなずく。
千花音は少し迷ったようだったが、決意が固まったようでこちらを見据えた。
「ううん、やっぱりわたしも捜すよ」
「なんでだよ、それが一番安全なのに」
「だって、せっかくここまで来たんだよ? もうすぐ恭くんに会えるかもしれないのに、ここでじっとしてられない!」
その瞳には揺るぎない意志が宿っている。
考えてみれば、彼女は身の危険を冒してまでフォートに侵入してきたチャレンジャーだ。そんな彼女がここで辛抱強く待てるはずもなかった。
俺は、彼女の様子を見て、あきらめのため息をつく。
「はぁ……分かったよ。ただ、本当に気をつけてほしい」
「うん、ごめんね、無理言っちゃって」
全くだ。俺達のリスクにも少しは目を向けて欲しい。
西島、お前そんな生気のない顔するんだな。まあ、お互い強く生きよう。
モチベーションの差こそあれど、こうして人捜しという前途の見えない旅の船出となった。船が難破しないことを祈るばかりだ。