fin. 本当の世界
それは、松葉杖をついて立っているメロくんだった。彼の左右には、フォートの警備隊員らしき人が控えている。何かを待っている?
あっ、まさか。
もうフォートの中へ連れて行かれるんじゃ。本当ならメロくんはフォートの外へ出てはいけない立場だし。
怪我も、後はフォートの中にある病院で治療することになったのかも。
そうだ、それ以外考えられない。
そうと分かると、こんなところで見下ろしている場合じゃない。話したいことだってあるし、近くで顔を見たい。
わたしは窓側へ向けていた身体を反転させ、走り出す。
私の突然の行動に、奈々実さんがあっけにとられている。
「ちょっ、どこ行くの!?」
「メロくんに会ってきます!」
「えっ!? ちょ、ちょっと待ちなさい!」
奈々実さんが引き留めても、止まれるわけがない。このままメロくんがフォートに戻ってしまったら、長い間会うことができなくなってしまう。
こんな形でさよならなんて、絶対いや!
足音を建物内に響かせながら、病院内を駆ける。走らないでください、と何度も注意を受けた気がするけど、わたしの脳にその言葉を受け入れる余裕は無かった。
とにかく、急がなくちゃ。
呼吸がどんどん荒くなる。でも、スピードを緩める気は全く無い。
階段を見つけ、ひたすら下りる。
足がもつれて転びそうになるけど、絶対に倒れない。少しでも遅れてしまったら、彼はもういなくなっている気がしたから。
一階まで下りて、外への出入口を見つける。
目的地へ一直線、ひたすら脚を動かし外へ飛び出す。
そこには、こちらへ背を向けて立っているメロくんの姿。
「メロくん!」
思わずわたしは声をかけた。警備隊員の人達がこちらへ振り返る。
メロくんは少しだけ頭をこちらへ向けたけど、脚の怪我もあってわたしの方を見ることは無かった。
メロくんの前には、車が停まっている。おそらく、彼をフォートまで乗せるための車だ。車のドアは開いていて、彼を受け入れる態勢ができている。
わたしは呼吸を整え、言葉を紡ぐ。
「メロくん、本当にありがとう。メロくんがいなかったら、わたし、何もできなかったよ」
彼に、ありったけの感謝を。
「わたしが恭くんに振られて落ち込んだ時も、側にいてくれて……嬉しかった」
彼に、ありのままの思いを。
「メロくんはこのままフォートに帰っちゃうけど、メロくんには紗友さんがいるけど、でも……それでも」
彼に、今伝えたい全てを。
「わたし、メロくんのことが――」
その時。
「あー、ちょっといいかな」
急にわたしの言葉がさえぎられた。
声の主は、今まで黙っていたメロくんだった。
大事なところだったのにっ!
「うーん、何ていうか」
彼は身体を少し動かして、顔と視線をこちらへ向けると。
「わるい、君には興味ないんだ」
……えっ?
ぽかんとしてしまった。
何を言われているのか、一瞬分からなくなった。
「俺には大事なパートナーがいるからね。それに前から思ってたけど、メロくんって呼び方はやめてくれ。俺の名前は永峯奏だから。なんかなれなれしいし、イラっとするんだよな」
メロくんの口から流れてくる言葉の一つひとつが、わたしの頭の中でうねり出す。
言葉の意味を理解する度、目の前が暗くなる。
何で、そんなこと言うの……?
「とにかく、俺はフォートに戻らないといけないから、これ以上関わらないでくれ。それじゃ」
そ、んな……
目元に涙があふれてきて、一滴が頬を伝い落ちる。
彼は、再び身体を前へ向け、骨折した脚に気を配りながらゆっくり車の中に乗り込む。
待ってよ……
言葉を発しようとしたけど、何も出てこない。
わたしの思いが通じることは無く、後部座席のドアが閉じられた。
警備隊の人も乗り込むと、車はエンジン音と共に、わたしの元から離れていく。
やがて、車の影は小さくなり、完全に見えなくなった。
こんな、こんなことって……
目元にあふれていた涙が、抑えを失って一気に流れ出る。鼻水まで垂れてきて、顔はもうぐちゃぐちゃ。
メロくん、メロくん……!
胸が痛い。
走って呼吸が浅くなったせいだけじゃない。こんなに苦しいことがあるなんて。
世界がゆがんでいる。いや、ゆがんでいるのはわたしの方だ。
心が崩れ落ちて、崩れ落ちて、原形をとどめていない。
取り残された世界で、ただひたすら泣き続ける。
すると、不意に後ろから肩を叩かれた。
振り返ると、奈々実さんが悲しそうな顔をして立っていた。
「ごめんなさい。私がさっきしっかりと引き留められていれば、こんなことには……」
わたしは泣きじゃくって、何も言えなかった。
「よく聞いて。彼はさっきとても的確な対応をしたの。私達FLAとフォート側の間で行われた、取引に関する大事なこと」
どういうこと? 言っている意味がよく分からない。
「永峯くんがフォートの外へ落下して怪我をした事実を隠す代わりに、あなたをこちらへ引き渡してもらうことにした。それは先程話したとおり。ただ、条件はそれだけじゃなかったの」
えっ、他にも条件が?
「取引後、あなたと永峯くんの間には特別な感情なんて無かった。当然、恋愛感情なんて存在しなかったことにする。それが条件」
「……それじゃあ」
「もし、警備隊の前であなたが彼に告白して条件を破ってしまったら、フォート側は後々それをとがめる何かをしてくるはずよ。だから、永峯くんは、条件を……あなたを守るために、あえてあんなことを言ったんだと思う」
衝撃だった。メロくんがわたしに言ったことは、わたしのためだったなんて。
でも、そうなると一つ疑問が湧いてくる。
「奈々実さん、何でその条件のことをさっき教えてくれなかったんですか?」
「それは……彼が病院を出発する前に教えたら、あなたがつらくなると思って。だって、あなた、永峯くんにすごく会いたそうにしてたもの」
ええっ、顔に出てた? それとも態度? そんなに分かりやすいのかな、わたし。
「仮にあなたがここで彼に会っても、親しく話せないなんてかわいそうだな、って思った。だから、彼が密かにこの病院を離れた後、条件のことを打ち明けるつもりだったの。でも、それがかえってあなたに気の毒な思いをさせてしまったけど……」
それは、奈々実さんの配慮だった。確かに、せっかくメロくんと顔を合わせても、初対面のように接しないといけないなんて、耐えられない。
「あなたが眠っている間、永峯くんに接触して、FLAのことを説明したわ。それから、彼がこの病院を出発した後に、これを渡すよう彼に頼まれたの」
そう言って奈々実さんが差し出したのは、一通の封筒だった。色は白く、模様も一切無い、シンプルな封筒。
わたしはそれを受け取り、表や裏を確認したけれど、特に何も書かれていなかった。
封筒を開け、入っている紙を取り出す。
折られた紙を広げると、それは二枚の便せんだった。
『千花音へ この手紙を読んでる頃には、俺はもうフォートへ出発してると思う。表面上、俺達は仲良くないふりをしないといけないらしいから、何もあいさつできなかった。ごめん』
メロくんがボールペンで書いた文字。その直筆は特徴がよく出ていて、それがとても暖かくて。
『千花音の藤川さん探しを手伝うことになった時は、面倒なことに巻き込まれたと、正直思った。最初は嫌々付き合ってた。でも、そんな生活がいつしか楽しいと感じるようになっていったんだ。フォートに入って、初めての感覚だった』
わたしと出会ってからのこと。彼が恭くん探しを楽しいと感じるようになっていたなんて。
『俺は紗友との関係でずっと悩んできた。けど、千花音はその悩みに一つの答えをくれた。本当に感謝してるよ。ありがとう』
ふふっ、メロくんが素直にありがとう、って何か不思議な感じ。
『俺はこれからフォートに戻って、紗友と今後について話し合う。だけど、俺の考えは固まってる。フォートを出ていこうと思う』
えっ、フォートを出るの!?
『フォートを途中で出ると、ペナルティで重い罰金が科せられるし、家族にも迷惑がかかる。だけど、好きじゃない相手と一緒になることの方が、もっとつらいことなんじゃないか、って思ったんだ』
メロくんはそこまで覚悟して……
『だけど、出ていくことをフォートがすんなり許すはずは無いし、どれくらい時間がかかるか分からない。だから、今の内に言わせてほしい』
そこで、一枚目の文章が終わり、二枚目を前に持ってくると。
『俺は、千花音が好きだ』
ずるいなぁ。さっきはわたしが言おうとしてたのに。
しかも、さんざんひどいことも言ってきて、いきなりこれ?
本当にメロくんらしいよ……
また涙があふれてきた。でも、今度は悲しいからじゃない。
『フォートから出たら会いにいくよ。それじゃあ、また。 永峯奏』
ここで手紙は終わっていた。
メロくんがフォートから出てきて、わたしに会いに来るまでなんて待てないよ。
わたしは顔を上げて、フォートの方を見ながらほほえむ。
「わたしも、メロくんが好きだよ」
***
あー、しんど。
思ってもいないことを、よくあれだけ言えたもんだ。
嘘をつくのがうまいと、前に千花音達から言われたことがあったけど、あの場面でそれを発揮してしまうとは。自分で自分が恐ろしい。
俺はフォートへ向かう途中、車に揺られながら先程のことを思い出す。必要なことだったとはいえ、千花音にあんなことを言ってしまったのが悔やまれる。
あの加納さんって人、ちゃんと手紙を渡してくれたんだろうな? あれを渡してくれないと、本当に俺がただのひどい奴になってしまう。色々と心配になってきたぞ。
無性に叫びたい気分だが、今叫ぶと警備隊の人に激怒されそうなので、こみ上げてきたものを必死にこらえた。骨折した左脚が妙に痛む。
勢いで頭をかきむしると、付き添いで隣に座っている林部先生がこちらを向く。
「永峯、ちょっと聞きたいんだが」
前に座っている警備隊員に聞かれないようにするためか、先生はやたら小声だった。
「何ですか?」
「お前、さっきの子のこと、好きなんだよな」
おいおい、いきなりですか。
「……ええ、まあ」
「やっぱりなぁ」
先生は難しい顔をしながら、腕組みをした。
「何で分かったんですか?」
「そりゃな、好きでもない女の子のために、管理局から外へ脱出しようとまでは思わないだろう」
なるほど、ごもっとも。
「まさかとは思うが、フォートを出ていこう、なんて思ってないよな」
「うーん、そのまさか、かもですね」
すると、先生は眉間にしわを寄せた。
「それはやめておけ。罰金はかなり重いし、ご両親に相当な迷惑がかかるぞ」
「それは、頑張って俺が返しますよ。それに罰金を払って自由が手に入るなら、最高じゃないですか」
迷いは無かった。
フォートの中にいる時は、将来が混沌としていた。だが、今なら先が見通せる。
窓の外に目を向けると、塀のない自由な世界が広がっていた。
「後悔、しないんだな?」
先生の問いに、俺は決意を持って力強く答える。
「もちろんです」
むしろ、楽しみしか無い。
なぜなら。
作られた世界ではなく、本当の世界で。
彼女とまた、出会うことができるのだから。
ここまでお読みいただいた方には感謝しかありません。
ありがとうございました!