26. あと一息
「あっ。何か、聞こえる」
千花音が何かを聞きつけたようで、小声で扉の外へ注意を促す。
扉に耳を当てると、複数の足音が動いたり止まったりを繰り返している。
おそらく一部屋ずつ中を確認しているのだろう。
その足音は、徐々にこちらへ近づいてくる。
「こっちに来るよ……どうしよう」
声から伝わる動揺。
千花音の肩がわずかに震えているのが分かった。
そうだ、俺が迷っている場合じゃない。
俺が彼女を半ば強引にここまで連れてきた。
その責任はとらなければならない。
だから、自信は無くとも、冷静で、気丈に、堂々と。
「大丈夫だ。俺が絶対に外まで連れ出す」
「メロくん……」
「足音がこの部屋に近づいてきて、扉に手をかけそうなタイミングで、一気に外に飛び出すぞ。とにかく全力で走るんだ」
「うん、分かった」
そして、いよいよ数人の足音が、この部屋を目がけてやってくる。
見えない相手の位置を推し量るため、全感覚を研ぎ澄ます。
早すぎても、遅すぎても駄目。
その一瞬を、見計らって。
今だ!
俺は全力で扉を押し、扉を開けようとしていた警備隊員に勢いよくぶつけた。
「痛ぇ!」
金属製の扉に殴打された二人ほどが、痛みで声をあげる。
俺と千花音はその隙に部屋を抜け出し、残った力を振り絞って走る。
曲がり角、遠心力でよろけそうになるのを必死にこらえて。
進むべき方角がどちらかなど考える余裕も無く、ただひたすら、前へ。
正面に階段が見えてきた。
外への通路があるとすれば、やはり下か?
俺は階段を下りようとした、が。
「下から来る!」
階下から迫り来る足音。
とっさに方向転換し、階上を目指す。
千花音も意図をくみとり、二人で階段を駆け上がる。
三階。
しかし、通路に出た途端、そこには警備隊員。
ここも駄目なのか!
急いで階段へ引き返し、さらに上の階へ進む。
まずい、警備隊員が増えてきた。このままじゃ……
「あっ!」
千花音が、息もあがっているのに、いきなり声を出した。
見ると、彼女がかぶっていた帽子が、階段の下の方に落下していく。
「放っとくんだ!」
帽子を気にする千花音の意識を、なんとかこちらに向かせる。
とにかく今は、走るんだ。
さらに階段を上っていくと、一つの金属の扉にたどり着いた。
ここは、まさか。
扉を開け放つと、そこは外。
案の定、屋上だった。
空は日が落ちて、すっかり闇に包まれている。
まずい、自ら逃げ場の無い所へ来てしまった。
少しでも時間を稼ごうと、無我夢中で近くにあった数人掛けのベンチを渾身の力で動かし、金属の扉の前に置く。
さらに、L字レバー型のドアノブが固定されるようにベンチの位置を調整。
これで、簡単には開けられないはず。
しかし、この後どうする。
ここから脱出するには、どうしたらいい?
周りを見回すと、フォートの内と外を隔てる塀の上部が間近に見える。
この屋上は、塀の高さより少しだけ高い位置にあるようだ。
周囲の手すりに近づけば、全方位を望める造りとなっている。
そうしているうちに、激しく扉が叩かれる音。
ドアノブを無理矢理動かそうとする音が耳を打つ。
扉を壊さんばかりの強烈な衝撃が加えられる度、そのすさまじい音に身体がびくっとする。
あらゆる手段を使われれば、いずれ突破されるのは間違いない。
「もう、ここまでかな」
千花音がぽつりとつぶやく。
「何言ってんだ。まだ――」
「ううん、十分だよ。ここまで付き合ってくれて、ありがとね」
そう言って、千花音は力無く笑った。
違う。
俺が知ってる笑顔はそんなのじゃない。
俺が見たい笑顔はそんなのじゃ……
自分の至らなさが彼女にこんな顔をさせているのかと思うと、どうしようもなく胸が苦しくなる。
何か無いのか?
すぐそこに、外の世界が広がってるんだぞ。
藁にもすがる思いで、辺りを探る。
屋上を端から端まで。
一心不乱に、可能性を求めて。
何か、何かあれば。
ふと、一つの金属製の箱が目に入る。
その蓋を開けると。
「はしごだ!」
中には、金属製の避難用はしごが収納されていた。
火災時のために用意されていたもののようだ。
俺は急いでそのはしごを取り出し、それを持ってフォートの外側寄りの手すりへ駆け寄る。
俺の行動に驚き、千花音もこちらに近づいてくる。
手すり越しに下をのぞくと、フォートの外側は木が生い茂り、森のようになっていた。
木々の間に一本の道と駐車場が見え、あれが管理局への出入口に通じているであろうことが分かる。
俺は、道がある場所を避けて、真下が森になっている所へ移動。
手すりにはしごのフックを引っかけて、折りたたまれたはしごを建物の外壁へ垂らす。
金具をはずすと、収縮していたはしごがまっすぐ下へと伸びた。
「千花音! これで行けるぞ!」
「これを下りるの? 結構高いよ……」
確かに、木が多く地面は見えないのだが、それでもかなりの高さであることは容易に見て取れる。
「俺が先に下りるから、付いてきてくれ! とにかく時間が無い!」
屋上への扉は、轟音と共に今にも破られそうだった。
「メロくんは大丈夫なの?」
「俺は大丈夫だ。行こう!」
手すりに手をかけて乗り越えつつ、身体を反転させながら、はしごに足をかける。
体重がかかると、はしごがたわみ、独特の金属音を響かせた。
千花音は戸惑いを見せながらも決心がついたのか、手すりに手をかけ俺の後に続こうとする。
「よし、焦らずに、一つひとつだ」
千花音がはしごの上段に足を置いたのを確認して、俺も少しずつ下りていく。
その時、扉がひしゃげたような音が耳に届く。
ここからは見えないが、扉が突破されてしまったらしい。
大勢の足音がこちらに近づいてきて、はしごの上の手すりから警備隊員が顔をのぞかせる。
「君達、上がってきなさい!」
はしごの上段にいる千花音がためらいがちに、下にいる俺の方を見る。
「どうしよう……」
「千花音! 下りてくるんだ!」
早く下りないと!
先程のペースより早く、はしごを下りていく、が。
「!?」
ある瞬間、足が宙をさまよった。
はしごの段に足がかかっていなかった。
しかし、下るスピードを上げていたせいで、体重が浮いた足にかかり、一気に体勢を崩す。
その反動で、はしごをつかんでいた手が離れ、俺の身体は空中に放り出された。
急速に空が遠ざかっていく。
千花音が何かを叫んでいる気がした。




