20. 行き先
海岸へこれほど急いで来たのは初めてだ。
膝に手をついて乱れた息を整えながら、ざっと海岸線を眺める。
やはり、人はほとんどいない。千花音の姿も見当たらなかった。
「やっぱ隠れるとしたら……」
千花音が海岸に打ち上げられていた地点の先にある岩場へ向かう。
夏休みであれば、中高生が遊び場として使うことも多い場所。教師からも岩場で遊んではいけないと、たびたび忠告される。
それだけこの岩場は、中高生の探求心を煽るくらい入り組んだ構造をしていた。
不安定な足場を渡り、時々すべる足下にひやっとしながら、岩の陰を念入りに調べていく。
少し奥の方まで来ると、見たことのないものが目に飛び込んできた。
洞窟だ。
そこには、海岸の方からでは全く視認することができない岩場の窪みがあった。
俺はその洞窟に近づき、内部に目を配りながら、中へと歩を進める。
日差しが差し込まず、若干ひんやりした気温と湿気を肌で感じ始めた時。
「誰!?」
聞き覚えのある声が空洞内に反響する。
その声を聞いて、俺はようやく肩の力が抜けた。
「俺だよ。永峯奏」
「メロくん?」
暗がりに目が慣れていなかったため気づかなかったが、千花音は洞窟の壁を背にし、膝を抱えて座っていた。
「ここにいたのか。ずいぶん捜したぞ」
「……ごめん」
暗くて分かりにくいが、彼女の目は少し充血していた。先程まで泣いていたのかもしれない。
俺は千花音の横に腰を下ろして、同じように背中を洞窟の壁に預ける。
それからしばらく沈黙の時間が空間を支配した。
あのことを言うべきかどうか……
俺は悩んだ末、意を決して声を発した。
「俺、お前に謝らないといけないことがあるんだ」
「……何?」
「実は、藤川さんと最初に話した時、藤川さんがパートナーをすごく大事にしてることが分かったんだ。それはもう、絶対揺るがないくらいに」
千花音は表情を変えず、声を発することもなく、じっと俺の声に耳を傾けている。
「だから、千花音が告白しても、良い結果が出ないかもしれないと思った……いや、ほとんど無理なんじゃないかと」
洞窟内は涼しいのに、首筋には脂汗がにじみ出てきて、体表面が熱を帯びてきているのを感じた。
「だから、千花音が告白する前に、藤川さんの気持ちを千花音に伝えるべきだったんじゃないかって、思った。そうすれば、告白しないで済んだかも――」
「わたしはこれで良かったと思ってるよ」
俺の言葉にかぶせるように、千花音が意思を表明する。
「メロくんから恭くんの気持ちを聞いたとしても、関係ないよ。自分の気持ちを恭くんに伝えるっていうこと自体が、わたしにとって大事なことだったんだ」
そこまで言うと、感情がこみ上げてきたのか、彼女の声が震え出す。
「でも、分かってたことだけど、やっぱりつらいね……」
千花音は膝頭に両腕を置き、その間に顔をうずめる。表情はうかがい知れないが、小刻みに揺れる肩や鼻をすする音から、涙を流していることは分かった。
俺は彼女に言葉をかけるのを躊躇した。どんな言葉をひねり出しても、空回りする気がしたから。
だから、俺は彼女の肩にそっと触れ、たった一言、独り言の声量でつぶやいた。
「お前、すごいよ」
ありきたりな言葉だった。
だが、自分の気持ちを率直に表す一言だった。
その後、俺達は言葉を交わすことなく、ひたすらその場に佇んだ。
そのうちに、千花音を探し回った疲労で意識が混濁していき、重くなったまぶたが完全に閉じられた。
***
休眠した意識が徐々に覚醒へと向かう中。
どれくらいの時間がたっただろう。
なんだか腹の辺りが暖かく感じる。というか、重い。
不思議に思って少しずつ目を開いていくと――
「うおっ!?」
千花音が、あぐらをかいた俺の太ももの上に頭を載せて、寝息をたてていた。いわゆる膝枕の状態だ。
おそらく洞窟内が涼しいため、寝ぼけながら温もりを求め、俺の太ももの上に落ち着いたということだろう。って、分析してる場合かっ。
「千花音、起きろ」
千花音の肩を軽く叩くが、全く反応がない。割と熟睡していらっしゃる。
今度は肩をゆさゆさと揺すってみる。すると、彼女は笑顔で、「やっぱり、おいしいよねぇ」と寝言を言い出した。
また食べ物の夢か、初めて会った時と同じかい。
すると、千花音が自分から頭を動かし、鼻先を俺の身体にすりつけ、臭いを嗅いだ。そして、「うっ……」と言って顔をしかめた。
ちょっ、俺の臭いってそんな感じ!?
寝言という悪意の無い本音が、余計心に突き刺さる。
これ以上、俺の体臭を嗅ぎ回られても困るので、さっさと起きてもらわねば。
「ちかねー、起きろー!」
さっきよりも勢いよく肩を揺らした。
身体の揺れに、さすがに違和感を覚えたのか、重そうなまぶたがわずかに開かれる。
「ん……」
まだ意識が朦朧としているのか、彼女はしばらく薄目を開けたまま静止していた。やがて、彼女が頭を真上に向けると、上から見下ろしている俺と目が合う。
「……?」
細めていた千花音の目が、徐々に見開かれていくのと同時に顔が紅潮していく。
「きゃああぁぁ!」
千花音は急に俺の太ももから飛び起き、瞬時に俺から距離をとった。
そこまで逃げなくてもいいだろ。いくら俺でもちょっと傷つくぞ。
「びっくりしたぁ! 何でメロくんの顔が上にあるのかと思った」
「まあ、千花音の方が乗っかって来たんだけどな」
「乗っかって……わたしがメロくんの上に!?」
「待て待て! その言い方はやめよう。乗っかってたのは頭だけだから」
その表現だと、知らない人が聞いたら勘違いする。日本語って怖い。
「あっ、まさか、またわたしが眠ってる間に……」
そう言って千花音は両腕を胸の前に寄せて、俺から後ずさる。
「いやいや、今回は何もやってない! っていうか、前回のも決してやましい気持ちでは――」
「犯罪者はみんなそう言うんだよ」
「犯罪者って言うな!」
最近薄れていたヘンタイ疑惑が、ここに来て復活してしまったじゃないか。
なんてこった。
やましいことはしていないと弁解を続け、ようやく話が一段落した。
千花音は光が射し込む洞窟の入口付近まで足を運ぶ。
「あんまりそっちに行くと、外から見られるぞ」
「だいじょぶだよ」
こちらの忠告を気にも留めず、千花音は大きく伸びをする。
彼女の奔放さにやれやれと思いながら、俺もその隣に行く。視界に大海原が広がり、空は日が傾いて赤みがかっていた。
「はぁ……まぁ、そうだよね」
いきなり、千花音が洞窟の外を見つめたまま、ぼそっとつぶやく。
「分かってはいたんだよ。告白しても無理だってことは。でも、もしかしたら、もしかするかも、っていう気持ちも捨てきれなかった」
そこで彼女はこちらを向いて言った。
「でも、これですっきりしたかも。色々付き合ってくれてありがとね、メロくん」
千花音の顔は、多少の愁いを残しながらも、さっぱりとしていた。
俺自身も、肩の荷が下りた気分だ。これで後は、千花音を漂着者として管理局へ引き渡せばいいだけ。
「よし、後は管理局へ行くだけだな」
「うん、行こー!」
「あ、千花音は行く前に服を着たまま海に入らないと」
「えっ、何で!?」
「そりゃ、海から流れ着いたっていう設定なんだから、身体が濡れてないとおかしいだろ」
「えー、服が張り付いて気持ち悪いよー」
そんなことを話しながら、洞窟を出て岩場を伝って行く。この岩場は海面から高さがあるため海に浸かるのは難しいが、浜辺まで行けば簡単に海に入れるだろう。
そう思って、海岸が見えるところまでやって来たら――
「!?」
目を疑った。
先程見た景色と明らかに状況が一変していたからだ。
「どうしたの?」
千花音が俺の後ろから前に出て海岸をのぞこうとしたので、腕を横に伸ばして制止した。
「ちょっと待った。何か様子がおかしい」
「どういうこと?」
「海岸に……男子生徒がたくさん集まってるんだ!」