2. 良かれと思って
俺は上着に覆われた少女を背負って、できるだけ急いで学生寮へ向かった。
帰り際、知らない男子から度々向けられる奇異の視線。そこは、「こいつ、遊び疲れて寝るなんてな~」などとやたら大声で言って、友達を背負ってる感を出す。
ほんと、我ながら何やってんのかね。
改めて自分の行動に疑問を抱きながら、ようやく学生寮の自室まで戻ってきた。
部屋に入って玄関の鍵をかけたところで、ふーっと一息つく。そして、背負っていた彼女の身体をゆっくり床に下ろし、額の汗を拭う。
「はぁ、疲れた……」
女子とはいえ、蒸し暑いこの時期に人を背負って歩き続けるのは、結構しんどい。
改めて少女を見ると、先程の暗い場所では分からなかったことが色々と見えてくる。
まず、彼女は結構整った顔立ちをしていること。俺はこの十年間、紗友と母親しか女性を見ていないので、母親を除けば比較対象は紗友しか思い浮かばない。
紗友を初めて見た時は、かわいい子だと思った。その紗友に引けを取らないのだから、ここにいる少女もかわいいということになる。あくまで自分の意見だけれども。
あと、目に留まるのが栗色の艶やかな髪。長さは肩くらいまでで、水に濡れて光を乱反射させている。
手首に付けているのは、ハート型のアクセサリーが付いた……シュシュ? 紗友から聞いたことがあるが、確か髪を束ねたりするのにも使うという。
服装はTシャツにショートパンツを着用していて、まさに夏向けのラフな格好という感じだ。ショートパンツから伸びる血色の良い脚が、活動的な印象を強める。
おそらく、海にでも遊びに来ていて、何かのはずみでここに流されてしまったのだろう。なんて運の悪い。
「……っくしゅん!」
突然、少女がくしゃみをした。
夏とはいえ、身体が濡れたままで冷えてしまったようだ。
くしゃみをしてもなお寝続ける少女に軽く衝撃を受けながら、仕方なくバスタオルで彼女の身体を拭く。
その瞬間、あることが脳裏をよぎる。
服の下は拭かなくていいのか?
肌が露出している部分は拭けても、大部分は水分を含んだ衣服に密着している。そこを拭かなければ、身体は冷えてしまう。
いやいや、ちょっと待て。
いくら理由があるとはいえ、女の子が寝ている間に服をめくるって、かなり危ない行為だ。しかし、見て見ぬふりをして風邪をひかせてしまうのも気が引ける。これはセクハラなのか、応急処置なのか。
俺の中で善と悪が壮絶なせめぎ合いを繰り広げる。
悩む。悩む。悩む。
そして、一つの結論にたどり着く。
やはり、ここは身体を拭いてあげるのが親切心じゃないだろうか。ええ。
もちろん、それ以外に理由なんてありませんよ? ホントに。
俺は自分自身にそう言い聞かせて、思考を停止する。
そして、バスタオルを片手に、もう片方の手でおそるおそる彼女の上着の裾を掴み、上に引き上げようとしたその時――
「……ふぁ?」
「あ……」
目が合った。
彼女の寝ぼけ眼と、俺の驚愕する眼は、視線が固定されたかのように動かない。なぜか身体まで。
やがて、半開きだった彼女の目が、徐々に驚いた様に見開かれた。
そして、俺の手が上着をめくり上げようとしている所に、彼女の目が行く。
あ、それはまずいです。
ただならぬ事態に、彼女が叫び声を上げようとした刹那、俺はとっさに彼女の口を塞いだ。
「んー! んー!」
「しーっ! しーっ! 大声を出さないでくれ!」
人差し指を自分の口の前にたてて、静かにするように促すが、少女は口を塞いでいる手を振りほどこうと頭や身体を揺らす。
「見つかったらヤバいんだって! 静かにしてくれたら手を離すから!」
少女はしばらく抵抗を続けるが、やがて観念したのか、身体を動かすのをやめた。
「……よし、手を離すぞ」
「なんなの!? これどういうこと!?」
「わっ、静かに! 声のトーン下げろって!」
「ちょっ、今わたしの服をめくり上げようと――」
「見つかったら捕まるぞ!」
俺の言葉を聞いて、彼女の大声がぴたっと止まる。
「え? じゃあ、ここってもしかして」
「ここは、第七カルティベーション・フォートの男性居住区域だよ。ここで君みたいな女が見つかったら大変なことに……」
「やったぁ!」
「え?」
少女は声を抑えながらも、急に満面の笑顔を見せて喜び始めた。
ちょっ、いきなり嬉しそうになったよ。どういうことだよ、これ。
「ここって、第七フォートの中なんだよね? 途中でボートがひっくり返った時はどうなるかと思ったけど、着いて良かった~」
「んん? まさかとは思うけど、君はここを目指してきたわけじゃないよな?」
「え? わたしはここに来たかったんだよ?」
は?
俺は呆気にとられた。
運悪く流れ着いたんじゃないんかい。
自分からこんな所に来ようとするなんて……この子、大丈夫か? 色々と心配になってきたんだけど。
「あー、でもやっちゃったなぁ」
少女はいきなり自分の両腕で、自分自身を抱きしめるようにした。そして、冷たく険しい目つきで俺の方を見やる。
「まさか、ヘンタイに拾われるなんて」
「いやいや、違うから! 勘弁して!」
「だって、さっきわたしの服を……」
「それは、身体が濡れてたから拭いてただけだよ!」
「そんなこと言って、本当は――」
「ない! 絶対ない!」
ここは断じて引くことはできない。認めたら終わりだ。
「というか、君があのまま浜辺に寝そべってたら、大騒ぎになってたはずだ。自分で言うのもなんだけど、俺は命の恩人みたいなもんだよ」
「命の変人でしょ?」
「勝手に一文字変えるな!」
俺への変態疑惑を解こうとしない彼女。他の理由が無ければ納得しそうにない。
「俺には将来、結婚する相手がいるんだよ。だから、他の女性に手を出すわけないだろ」
もっともらしい言葉を並べて虚勢を張る。
いぶかしげな目つきの少女だったが、その言葉を聞いて少しこちらに興味を見せる。
「ふーん、それってパートナーだよね?」
「まあな。だから君を見てもなんとも思わないんだよ。うん、ホントどうでもいい!」
「む、そこまで言われると、ちょっと傷つくかも」
え、これは言い過ぎ? どうすりゃいいんだ。
「でもなぁ、紗友の方が……」
そう言いつつ、何となく少女の胸の辺りに目が行く。
それに気づいたのか、少女は途端に顔を赤くして、胸を隠すように横を向いた。
しまった、先程の背中の感触を思い出してつい視線が……
「や、やっぱり!」
「ち、ちがっ! この目が俺の意思とは無関係に! 文句ならこの目に言ってくれ!」
「ううぅ……この、エロ目!」
「本当に直接来た!」
責任転嫁して悪かった、我が目よ。
それにしても、彼女の目的は何なのだろうか。苦労してまでここに来た理由が全く推測できない。話をそらそうと別の話題を振る。
「と、ところで、君は何で男しかいないここに来ようと思ったのさ?」
「……何で、きみにそれを話さないといけないの?」
「まあ、いいじゃないか。わざわざ警備の目をかいくぐってフォートに入ってくるなんて、相当な理由があるんだろ?」
「……」
その俺の問いかけに、理由を話すか迷っていたが、やがて口を開いた。
「会いに来たの」
「ん? 誰に?」
「幼なじみの藤川恭介くんに会いに来たの」
「…………はぁ?」
まさか、それだけ?
昔の知人に会いたくなる気持ちは分かる。自分もフォートに入ってから親戚にも友達にもおよそ十年会っていないのだから。この少女も幼なじみとそれくらいの間、会っていないのだろう。
とはいえ、それだけでこんな大それたことをするのは腑に落ちない。
「まあ、その藤川恭介さんって人に十年くらい会ってないんだろうけどさ、再会して、それでどうするんだよ?」
「それは……」
そこまで言うと、彼女は歯切れが悪くなり、うつむき加減になった。
俺は不思議に思って少女の顔をのぞき込もうとすると、彼女は意を決したように顔を上げ、言い放った。
「恭くんに……こっ、告白するためにっ!」