19. 十年ぶり
俺は玄関扉を少し開け、外に顔を出す。
「お待たせです。藤川さん、中に入ってください」
「ようやくだね。了解」
藤川さんを部屋の中へ招き入れ、扉を閉める。玄関で立ち止まる彼を部屋の中まで進むよう促し、奥まで行くと――
「……えっ!?」
藤川さんが目の前の光景に目を丸くしている。目前で何が起こっているのか、やはりすぐには理解できないらしく、身体を硬直させて動かない。
藤川さんの前に立つ千花音は、少し恥ずかしそうに顔を逸らしながら、視線をちらちらと彼へ向けて、様子をうかがっている。
「こ、これは……どういうことなんだ……」
藤川さんはただただ驚きの声を漏らすだけで、千花音も全然言葉を発しない。
このままでは話が全く進まない。仕方ない、俺が説明するか。
「彼女は澄名千花音って言います。覚えてますか?」
「すみな、ちかね……どこかで聞いたことが……んっ、もしかして、ちーちゃん!? 幼稚園の時の!?」
「そうです。彼女は藤川さんがフォートに入る前によく遊んでた子です」
「いや、それよりも! 何でここに彼女がいるんだ!?」
藤川さんは、男性居住区域にいるはずの無い女子の存在に、動揺を隠せない。
「実は彼女、海を渡ってフォートに入ってきたみたいです」
「!? 海からって言っても、侵入防止のための海上警備をやってるはずじゃないか!?」
「まあ、それを運良くすり抜けてきた、って感じですかね」
「運良くって……嘘だろ……」
藤川さんはまだ信じられないといった表情で、困惑している。
確かに、それに関しては俺も驚きだけど。
「そもそも、海を渡ってまで、このフォートにやってきて何の意味が……?」
「彼女がこのフォートに来た理由……それは彼女自身が説明してくれるかと」
そう言って俺が千花音の方に目をやると、彼女は身体をビクッとさせて、こちらにすがるような視線を送ってくる。
さすがに覚悟を決めてくれ。俺が全部言うわけにいかないだろ。
「本当にちーちゃん、なのか? 全然分からなかった……」
藤川さんがおそるおそる千花音に尋ねる。成長期に十年も会わなければ、本人と分からなくても無理は無い。
「そうだよ、恭くん。恭くんもおっきくなったよね」
「ああ、あの頃からしたら、かなりね」
およそ十年ぶりに言葉を交わす二人。
二人の視界から俺が外れた。これでようやく俺は退散できる。
千花音達の意識がこちらに向かないように静かに玄関へ向かい、ゆっくり扉を開ける。
音が出ないよう細心の注意を払って扉を閉めると、外で待機していた西島と真里が近寄ってきた。
「ずいぶん時間かかったじゃない。今、二人で話してるの?」
「ああ、千花音が全然しゃべらないから、俺が説明してた。あとはどうなるか」
「ああ~、ドキドキするわね」
気持ちを高ぶらせる真里を尻目に、西島が抑揚の無い声を出す。
「俺は別な意味でドキドキしてきたよ。藤川さんが部屋の中で、警備隊に通報でもしてたら……」
各生徒が持つ携帯端末は、基本的にメッセージをやりとりすることしかできない。ただし、警備隊と救急隊への通報、管理局への連絡に限り、音声で会話できる機能を搭載している。
なので、藤川さんがやろうと思えば、今すぐ警備隊に通報することは可能なのだ。藤川さんが万が一の行動に出た時、俺達は室内の行動を把握できないため、千花音が彼を制止してくれることを期待するしかない。
それさえ防げれば、後はなんとかなる。二人の話が終わったら、藤川さんに千花音のことを黙っておくよう説得。後は俺が管理局へ『浜辺で倒れている女の子を保護した』と連絡すれば完了だ。
「女の子にとって大切な時だっていうのに、アンタはそんなことばっか心配して……ほんと小さい男よねぇ、やだやだ」
「うるさいな、俺はあらゆるリスクを想定して備えてるだけだ」
いがみ合う西島と真里を横目に、俺は外壁にもたれる。
ティロリン。
そして、こんな時にまた携帯端末の着信音が鳴った。相手は見なくとも分かる。
一応端末を確認すると、やはり紗友から、とりとめの無い日常会話が長々とつづられていた。
全く気分が乗らないので、悪いとは思いつつも、ごく簡単な返事だけ書いて送信した。
その時――
ものすごい勢いで玄関扉が開かれ、人が飛び出してきた。
「うおっ!?」
「なっ、なになに!?」
部屋から出てきたのは千花音だった。彼女は俺達に目もくれず、階段の方へ向かって外廊下を疾走していく。
しかも、帽子などの性別を隠すものを身につけること無く。
「千花音! どこ行くんだ!」
俺の声にも全く反応せず、あっという間に姿が見えなくなってしまった。
ちょっ嘘だろ!
「ねぇこれまずいんじゃないの!? 早く追いかけないと!」
真里が、おろおろする西島をけしかけながら、駆け出す。俺も真里達の後に続こうとした時、また玄関扉が開かれた。
「ちょっと、永峯君!」
今度は藤川さんが険しい顔つきで、家の中から姿を現した。
「いや、急いで追いかけないといけないんで!」
「警備隊に通報しようと思うんだ」
マジか。予測していたこととはいえ、このタイミングでこられるのはきつい。
「いや、ちょっと待ってください! 千花音は俺達が見つけて、必ず管理局に送り届けますから!」
「それは信用できないね。君達は彼女をずっとかくまってきたんだろうし。それに、この男性居住区域内に女性が紛れ込んだことは大問題だよ。異性の紛れ込みの重大さは授業で習っただろ?」
そんなことは言われなくても分かっている。異性がフォートに侵入した際の処罰のことも。
「彼女をかくまったのは、彼女の願いを叶えるために決まってるじゃないですか! それさえ終われば、すぐにでも管理局に申し出るつもりで――」
「彼女の願い、ね。パートナーが存在する男への告白の手伝いをして、うまくいくと思ったのかい?」
「それは……」
きっかけは、弱みを握られたから、藤川恭介探しを手伝っていただけだった。
だから、うまくいく、いかないなんて考えていなかったのは確かだ。
「千花音は、告白を受け入れてもらえなくても、気持ちを伝えられればいいって言ってたから……」
「いや、それでも君は彼女を説得して、すぐに管理局に連れて行くべきだった。告白が失敗しても構わないなんて、彼女の本音とは思えない」
藤川さんがぶつけてくる正論に、何も返すことができない。自分の考えが甘かったことを今さらながら痛感する。
「現に、彼女の告白を丁重にお断りしたら、彼女は部屋を飛び出してしまった。彼女が他の誰かに見つかるのも時間の問題だろう。だったら、僕が警備隊に連絡して保護してもらった方がいい」
藤川さんがポケットから携帯端末を取り出す。俺はとっさに彼の腕をつかみ、その動作をやめさせた。
「お願いします。千花音は俺が必ず管理局へ連れていきますから。だから、通報するのだけは待ってください」
俺は藤川さんの腕をつかんで離さなかった。そして、彼の目をひたすら凝視し続ける。
藤川さんは難しい顔で黙考していたが、両目の切実な訴えに観念したのか、携帯端末を持つ腕の力を抜いた。
「分かった。だけど、明日になっても状況に進展がないようだったら、すぐに通報するよ」
「それはもちろんです。それまでに終わらせますよ」
俺は玄関近くの棚に置いてあった帽子をとり、ポケットにねじ込んで、藤川さんに背を向けて寮の外廊下を走り抜けた。
***
寮を出たはいいが、完全に出遅れてしまった。千花音の姿はおろか、追跡した西島と真里も見当たらない。
千花音は勢いよく寮を飛び出したが、何の変装もしていないから、かなり目立つ。どこかに隠れるはずだ。
とはいえ、それが一体どこなのか。隠れられそうな場所といっても無数にある。
ティロリン。
行き先を苦慮していると、携帯端末が着信した。もしかしたら、西島達からの連絡かも。
急いで端末を確認すると、そこには”宮町紗友”の名前。またかよ。
一応、内容を流し読みすると、先程と同じように日々の出来事が書き連ねられていた。
今は丁寧に返信している余裕が無いので、「ごめん、今は時間無い。後で連絡する」とだけ書いて返した。
ティロリン。
返信したと思ったら、すぐに紗友からメッセージが返ってきた。おいおい。
仕方なく端末の画面に目をやる。
『奏くん、大丈夫? 何かあったの?』
何かあったから時間無いんだよ。
もうこれに返事を書くのも面倒なので、携帯端末の着信音が鳴らない設定にして、ポケットにつっこんだ。
これで着信しても全く気がつかないので、いちいち気が散らなくてすむ。真里達からメッセージが来るかもしれないが、たまに端末を確認すればいい。
***
寮の近くで隠れられそうな場所を手当たり次第に当たってみたが、千花音を発見することはできなかった。
もしかして、意外と遠くに行ったのだろうか。
彼女は変装もせずに外へ出て行ったので、通行人の男子に見つかる危険性を考慮して、この近くに隠れているのだと考えていた。しかし、服装が女の子っぽすぎないおかげか、うつむき加減に顔を隠しながら走れば、案外女だとばれないのかもしれない。
なにせ、ここの住人はこの男性居住区域に女の子が紛れ込んでいるなんて、全く思っていないのだから。
そうなると、千花音はこの近くにいない可能性がある。
じゃあ、彼女が行きそうな場所はどこか?
脳内で様々な推測を試みる。普段外での行動を制限されている彼女が行きそうな所というと、それなりに限られる。隠れるのであれば、全く馴染みのない場所へ行くよりは、知っている場所を選ぶ気がするからだ。加えて、人が少なそうな場所と言えば――
その時、一つの景色が頭をよぎった。
「……海岸か!」
想起されたのは、千花音と最初に出会った場所。
まだ夏休みに入っていないし、期末テストも終わっていないので、海岸を訪れる人は思ったほど多くない。しかも、岩場が結構あるため、死角になる部分も多く、隠れるのには適している。
現状、予測される有力な場所がそこしかないと分かると、足が勝手に動き出した。
既に誰かに見つかっているかもしれないという焦燥感を抱きながら。