18. 緊張
あれから二日後。
澄名千花音が、憧れの人である藤川恭介に再会する日。
藤川さんとは、近場の公園で待ち合わせをしている。一旦、学校から自宅へ戻り、準備を整える。そして、指定した時刻に迎えに行き、寮の自室へ連れて行く計画だ。
真里もこの再会を見届けたいとのことで、後で合流することになっている。西島も、真里に引っ張られて来るらしい。
帰宅中、今後の流れを頭で整理する間に寮に到着。
自室の玄関扉を開けると、顔をガチガチにこわばらせている千花音の姿が目に飛び込んできた。彼女が身に着けているのは、フォートに乗り込んできた時に着ていた私服だ。
「お、おかえり……」
「おいおい、絵に描いたような緊張っぷりだな」
「だって、恭くんと十年ぶりに再会するんだよ? ねぇ、前髪変じゃないかな?」
「全然大丈夫だと思うけど」
「あぁ、心配になってきた!」
返事もそこそこに、千花音はすぐ洗面台の鏡の前に陣取る。
はいはい、俺の評価は信用度低いですよ。
それにしても、気合いの入っている彼女を見ていると、対面後のことが余計に案じられてくる。
千花音は、藤川さんに気持ちを伝えられさえすれば、結果はどうなってもいいと言っていたが、それは建前だ。彼から拒絶されれば、当然ショックを受けるはず。
実らない告白を見届けるというのも、なかなかしんどい仕事だ。
「千花音」
「ん?」
「……いや、何でもない」
「どうしたの? ……ま、いいけど」
こちらを振り返っていた千花音が、再び鏡を見つめる。
あやうく、藤川さんの気持ちを言ってしまいそうになった。しかし、そんなことをしたところで結果は変わらない。
この件に決着をつけるのは、彼女自身であるべきだ。
ティロリン。
その時、俺の携帯端末がメッセージを着信した。
内容を確認すると、紗友が『今日はマフィンを作ったよ』などと、日常のことを書き連ねている。
あまり気分はのらないが、一応返事を作り送信した。
時計を見ると、待ち合わせ場所へ行くのにちょうどいい時間になっていたので、そろそろ出ることにする。
「んじゃ、そろそろ迎えに行ってくる」
「えっ、もうそんな時間!?」
「帰ってくるまでそんなに時間かからないと思うから、心の準備しておいた方がいいぞ」
「わっ、わっ、どうしよ……」
俺の言葉を聞いて、さらにあわて始める千花音。
何か言葉をかけようと思ったが、実際何と言ったらいいか分からない。後のことを考えると、励ましの言葉は残酷な気がした。
結局、何も言わないまま玄関を出て、扉を閉めた。
***
建物を出ると、こちらへ向かってくる西島と真里にばったり出くわした。
「そーたん! 今から迎えに行くの?」
「ああ、あそこの公園で待ち合わせだから、すぐ帰ってくる」
すると、西島が安堵したようなため息をつく。
「これで俺も解放されるのか、良かった」
「ニッシー、アタシ達たいして手伝いもしてないじゃないの」
「そうじゃなくて、ようやく危険から解放されるってこと。澄名さんが誰かに見つかったら、俺も罰せられるんじゃないかとずっとヒヤヒヤしてたから」
「うわぁ……アンタ、とことんヘタレよね」
「ヘタレで結構。俺はのんびり生きたいんだよ」
真里の冷たい視線を浴びながらも、西島は意に介さない様子でよそを向く。
西島の気持ちは分からないわけではない。千花音の正体が他人に知られるリスクはずっと気にかかっていたし、そのリスクからもうすぐ解放されれば、また平穏な日常が戻ってくる。
「二人は俺の寮に行っててくれ。あ、千花音はかなりそわそわしてるから、扱い注意」
「分かった。じゃあ後でな」
「おっけー、待ってるねん」
西島と真里が寮の方へ歩き出すのとは反対に、俺は藤川さんが待っている公園を目指す。
しばらく歩いて、公園のところまでやってくる。公園内を一望すると、見覚えのある青年がベンチに座っているのを発見した。
ベンチに近づいていくと、向こうもこちらに気づいたようで、立ち上がって歩み寄ってくる。
「こんにちは。この辺はあまり来ないから、新鮮だよ」
「そうですか。まあ、後でゆっくり見てってください。じゃあ、行きましょう」
俺はそれだけ言って、藤川さんを寮の方へと導くように歩き出す。
俺の横を歩く藤川さんは、周りの様子を物珍しそうに眺めている。
そんな中、彼は何気なく疑問を口にした。
「僕に会いたい人って誰なんだろ。僕と面識ある人?」
「あー、あるかもしれないですね。よくは知らないですけど」
「じらすねぇ。まあ、もうすぐ会えるからね」
藤川さんは待ちかまえている人物に思いを巡らせているのかもしれないが、それが正解する可能性は限り無くゼロに近い。
だからこそ、正解を知った時の驚き様は想像を絶する。警備隊や管理局に通報されるのを防ぐのはもちろん、他の誰にも絶対にばらされないようにしなければならない。
程なくして寮の入口に到着し、エレベーターで五階まで上がる。通路を歩いていくと、西島と真里が俺の部屋の玄関前で待機している。
俺達が距離を詰めていくと、二人もこちらの気配に気づき、軽く手を挙げて合図してくる。
「彼らは?」
藤川さんが西島達について問いかけてくる。
「あの二人は俺の友達です。今回のことで色々手伝ってもらってて」
部屋の前まで来ると、真里が藤川さんに軽く挨拶し、俺に耳打ちしてきた。
「そーたん、ちーの緊張っぷりがすごいわよ」
「ああ、やっぱり。まあ、もうなるようにしかならないけどな」
千花音が少しでも落ち着くようにと、色々アドバイスしてくれたみたいだが、なかなかリラックスできないみたいだ。
俺は玄関扉をわずかに開け、自分一人の身をすばやく室内に潜り込ませて扉を閉じた。
しかし、中に入っても千花音の姿が見当たらず、小声で呼んでみる。
「千花音、藤川さんを連れてきたぞ」
こちらの呼びかけに対し、千花音がのそのそと姿を現した。相変わらず、血の気が引いたような顔色で、冴えない。
「メロくん、わたしやっぱり言えないよ」
「いや、落ち着けって。せっかくここまで来てもらったのに」
「だって……」
彼女はそれっきりうつむいて押し黙ってしまった。
いつもの元気はどこに行ったのか、と思うほどの変貌ぶりだ。やはり、それだけ告白というのは勇気のいる行為なのだと認識させられる。
とはいえ、このまま何もせずに終わるわけにはいかない。何か、彼女を動かす方法は……
「あのさ」
俺は千花音を落ち着かせるよう静かに語りかける。
彼女の反応は無い。
「この前、ベランダで千花音が言ってくれたこと、本当に助かったんだ。おかげで、紗友とのことに向き合う気になった」
一言ひとこと、照れくささを感じつつも、丁寧に述べていく。
「だから、今度は千花音に向き合って欲しい。この先、後悔しないためにも」
俺が話し終わると、場が静まり返る。
少しの静寂の後、彼女がゆっくり顔を上げた。
「……大丈夫、かな」
「ああ」
「……うん、分かった」
千花音がついに、目の前の現実に向き合う決心がついたようだった。