11. ふれあいの日
その夜、紗友から少し話したいと連絡があり、映像通話をすることにした。
いつものように、自室の一角にあるコミュニケーション・ルームに入り、画面を見つめて虹彩認証が作動。瞬時にセキュリティが解除される。
相手側の準備を待つばかりになると、程なくしてディスプレイに紗友の姿が映し出された。
「ごめんなさい、待たせちゃった?」
「いやいや、大丈夫。今、入ったところだから」
そう告げると、少し不安げだった彼女の表情が緩む。
こういうやり取りをこの十年ほど、幾度となく繰り返してきた。彼女の気遣いの細やかさは最初の頃から全く変わらない。
そのことにずっと安心感があって、救われてきたのは確かだ。
でも、いつからだろう。それに違和感を覚え始めたのは。
「今日は、明日のお弁当の材料を買ってきたよ。奏くんに気に入ってもらえるようにがんばるね」
透明感のある笑顔を見せる紗友。十年の間に、その混じりけのない美しさにはより磨きがかかっている。
「それは楽しみだな。まあ、気合い入れすぎて無理しないように」
「うん、大丈夫だよ。ありがとう」
紗友は低血圧で朝が弱く、貧血になることが度々ある。以前も弁当を作るために、朝早く起きて貧血を起こすことがあった。
「そうだ、明日は俺の方からもプレゼントがあるんだ」
「本当に? 嬉しい!」
心の高揚を表すように、彼女が声を弾ませる。
「何をプレゼントするかは、明日のお楽しみ。まあ、大したものじゃないけど」
「ううん、私、もらった時に絶対喜ぶ自身あるよ」
「でも、紗友が欲しくないものかもしれないぞ」
「関係ないよ。奏くんがプレゼントを買うために色々考えてくれたことが嬉しくて」
「はは、そんなもんかね」
本当に、紗友の受け答えには減点要素が見あたらない。
もし、紗友とやり取りをして不快に思う者がいるとしたら、それは相当な変わり者ということだ。
じゃあ、俺は……
「それじゃあ、明日早いだろうから、もう休んだ方がいいぞ」
「うん。……やっぱり、奏くんは優しいね」
紗友の方がどれだけ優しいことか。俺は彼女からもらった優しさを十分の一も返せていない。
少しずつ、優しさが俺に重くのしかかっていく。
「じゃあ、おやすみ」
「おやすみなさい」
そこで通信を切り、目の前のディスプレイが暗転した。
真っ黒いディスプレイに、自分の顔がぼんやりと反射して映っている。
画面の向こうの俺も、何かを心に秘めているようだった。
***
ふれあいの日。
天井が視界に入ってきて、目が覚めたことに気づく。朦朧とした意識で頭を横に向けると、目覚まし時計が午前七時頃を示している。
日曜日ながら、平日と同じ様な時間に目が覚めてしまった。
約二週間ぶりに紗友と対面するため、無意識に緊張しているのかもしれない。
フォートでは、アフェクション・スペースを利用したパートナーと対面する日を、ふれあいの日と呼ぶ。そして、ふれあいの日は約二週間に一回、管理局の方で自動的に日程を割り振られる。今回は日曜日に割り当てられたが、平日の放課後や夜になることもある。それでようやく、居住区域に住む男女を全員引き合わすに至る。
俺はゆっくりと布団から身体を起こす。
「あ、おはよ!」
覚めきっていない脳に快活な声が響いた。
声のする方を向くと、千花音が目をぱっちりとさせて床に座っている。
「起きるの早いな」
「そう? 今日は紗友さんと会うんでしょ? なんか気になっちゃって」
「別に俺が会うだけなのに、気になるか?」
「うん! 普段会えないパートナーの男女が久しぶりにデートってステキだよね♪ 遠距離恋愛みたいな感じで」
そんなもんかね。
ただまあ、遠距離恋愛というのは分かる気がする。フォートのシステム上、どんなに会いたくても、ふれあいの日が来るまでは会うことができない。ふれあいの日以外は、コミュニケーション・ルームでの映像通話や音声通話と、携帯端末のメッセージしかやりとりする方法がない。だから、遠くに住んでいてたまに会うのと、ある意味同じとも言える。
実際は、この居住区域の隣にある女性居住区域にパートナーがいるわけだから、大して遠距離じゃないわけだが。
「紗友さん、ちょっと、っていうかすごく見てみたいなぁ」
「言わなくても分かると思うけど、俺に付いて来ても絶対に会えないからな」
アフェクション・スペースはそれぞれの居住区域に住む男女が対面できる唯一の場所。パートナー以外の者が絶対に顔を合わせることがないように、当然ながらセキュリティは厳重になっている。
「分かってるよー。……じゃあ、カメラ持っていったらどうなるの?」
「メインゲートの先に金属探知機があって、そこで止められるから持ち込めない。プレゼントが金属の場合は厳しくチェックされて、許可が出たら持ち込める」
「うわぁ、じゃあ、写真を撮るのも無理なんだね」
コミュニケーション・ルームですら、撮影器具を持ち込むとシステムが作動しないようになっている。このフォートにいる限り、パートナー以外の女性を見ることはどうやっても不可能なのだ。
この環境を作るために、国はどれだけの金を使っているんだか。
「まあ、そういうことだから」
布団を出て立ち上がろうとすると、千花音がソワソワした様子になる。
「ねぇねぇ、ところでさ」
「ん?」
「朝ご飯食べたいな♪ もうお腹すき過ぎて」
お腹に手を当てながら、困ったように笑う千花音。
ああ、彼女が早く起きた本当の理由はこっちね。
***
「はい、どうぞ」
完成した簡単な料理をテーブルに並べていく。
「んー、いい匂い♪ いただきまーす!」
千花音が食事に手をつけようとしたが、俺の前に料理が置かれていないことに彼女は気が付いた。
「あれ? 食べないの?」
「ああ、紗友が弁当を作ってくれるらしいからな」
「そうなんだ! 紗友さん、デートにお弁当を作ってきてくれるんだね。最高の彼女だね!」
箸をグッと握りしめて、瞳を輝かせる千花音。
千花音の最高評価は料理スキルで決まるんだな。
「でも、メロくんが紗友さんとイチャイチャしてる時、わたしは何してようかな」
「イチャイチャ言うな。……紗友と会うって言っても、一時間だけだから」
「えっ、たった一時間だけなの!?」
「まあな。そうじゃないと、このフォートにいる全ての男女を二週間で対面させられないみたいだ」
フォートに居住する男女を余すところ無く対面させるには、それだけ過密なスケジュールが必要ということだ。
「パートナーも大変なんだね。あ、そうだ。お弁当の残り、待ってるね!」
「残すの前提!?」
その飽くなき食への探求心だけは敬服する。
「そんな食べてたら、ふと――」
ジロッ。
「――ん片づけてくるかなぁ」
こわっ! 今の目つき、めちゃくちゃ怖いんですけど。
***
「あ~、おいしかったよ! ごちそうさま!」
千花音が幸せを噛みしめるように、心地良さそうな笑顔を見せる。
いや、噛みしめるのはトーストだったか。
それにしても、毎回大したものは作っていないのに、これだけ満足できるのはうらやましい限りだ。
「んじゃ、俺はそろそろ行くから、後片づけよろしく」
「いってらっしゃーい!」
リラックスした格好で俺を見送る千花音。こうして彼女に見送られるのが、割と普通のことのように感じてしまう。慣れって恐ろしい。