1. 流れ着いた少女
「1ねん8くみ『ながみね そう』くん。おめでとうございます。あなたのパートナーは、『みやまち さゆ』さん にきまりました」
十年前、初めてここに来た日。
そんな言葉が目の前のディスプレイに表示された。
それ以来、俺は宮町紗友以外の女の子を見たことがない。
***
「……そういうことで、永峯奏は男が好き、と」
「先生、やめてくださいよ。違います」
ディスプレイに映し出された林部先生が予期せぬことをつぶやいたので、俺はすかさず反論した。
「でもなぁ、高二にもなってパートナーが好きになれないっていうのは、同性が好きと思われても仕方ないぞ」
「いやいや、そうじゃないです。それに、紗友のことは嫌いじゃないですよ」
「嫌いじゃない、って微妙な言い方だな……」
先生は呆れたように首を傾げた。俺の心の内が全く理解できない、といった顔だ。
そして、他には誰もいないのに、声をひそめてこちらに語りかける。
「……もしかして、永峯は貧乳好きなのか?」
「違うわ! っていうか、何でそんな話になるんですか!」
「いや、宮町は割とこう、ある方だろ?」
そう言って、先生は手を使って胸の辺りに膨らみを作るような仕草をする。
いやまあ、興味ないって言ったら嘘になるけどさ。この人、教師としてどうなのよ。
「紗友のことをそれだけで判断してないんで。エロしか頭にない先生には分からんでしょうが」
「む、青春真っ盛りの高校生にそんな説教をされるとは思わなかったなぁ」
こりゃ一本取られた、とでも言わんばかりに、先生はげらげらと笑い出した。
なんていうか、人生楽しそうだな。
「宮町のどこが気に入らないのか全く分からんな。まあ、自分じゃなくAIに決められた相手だから思うところがあるのかもしれんが……ん、もうこんな時間か。宮町と今日は連絡とったのか?」
「さっきメッセージ送っといたんで、大丈夫です。」
「そうか。時間をとらせて悪かったな。明日以降、しっかり仲良くやるんだぞ」
「はいはい。お疲れしたー」
そこでディスプレイは暗転し、映っていた先生の顔が消えた。
俺は軽く息を吐き、椅子に座ったまま大きな伸びをする。
ふと時計を見ると、時刻は間もなく午後八時。門限になる前に少し外の空気でも吸おうと、俺は靴を履いて学生寮を出た。
向かう場所は決まっている。海岸沿いだ。
なにせ、それ以外の方角には高さ十メートル超のコンクリート塀がそびえ立っており、この街を囲んでいる。だから、塀が存在しない海岸沿いは開放感を味わえる唯一のスポットだ。
まあ、自分が住んでいるのが、この“カルティベーション・フォート”じゃなければ、海岸くらいしか行くあてがない、なんてことはなかったんだろうな……
住み慣れたこの街も、ふとそんなことを考えると恨めしく思えてくる。
国が婚姻率低下による少子化を食い止めるために、作ったというフォート。だが、親にここへ入れられた身としては、そんな事情知ったことでは無い。
初夏を迎えて蒸し暑さを感じながらも、ようやく潮の香りがする辺りまでやってきた。
海岸を見ると、門限まで一時間を切っているというのに、少年達の姿がそれなりに見える。
俺は一人でこの海を満喫するため、ひたすら海岸沿いを歩いていく。
目指すは誰もいない場所。しばらく歩くと、広大な海を独り占めできる地点に到着した。打ち寄せる波の音に耳を傾けながら、思いっきり深呼吸する。
やっぱり、海はいいな。
そうやってあてもなく浜辺を歩いていたら、何か見慣れない物が目に留まった。
その方向を注視すると、波打ち際に塊が見える。一体何かと思って近づいてみたら――
「人!?」
それは浜辺に打ち上げられた人だった。しかも、よく見ると。
「ん? まさか……女!?」
ありえない光景だった。
このカルティベーション・フォートの男性居住区域に女子が存在していることが。
ここの住人の大半は六歳から二十歳までの男子のみ。そう、全て男子だ。
教師や警備隊などの大人も存在するが、そちらも例外なく男。
ここに住む男子生徒は全員、それぞれパートナーと呼ばれる特定の一人の女子とだけ、コミュニケーションをとることができる。
逆に、フォートを出るまでパートナー以外の女子は、見ることさえ一度たりともない。
それは、男性居住区域と、面会施設を隔てて隣接する女性居住区域も同じである。
女性居住区域に住む女子達も、交流できる異性はパートナーの男子だけだ。
このフォートというのは、そんな極めて特殊な環境を作り上げている。
だからこそ、俺はこの状況が信じられなかった。
宮町紗友と、面会に来る母親以外の女性を見たのは、約十年ぶりだ。実は見間違いなんじゃないかと思って目をこすってみるが、やはりそれは紛れもなく女の子だった。
よく見ると、この少女はライフジャケットを着ている。どうやら、どこかから流されてきたようだ。
彼女は先程から砂浜に横になったまま動かない。
「ちょっ、大丈夫か!?」
ようやく今ある状況を飲み込み、倒れている少女の安否を確かめるべく声をかける。
しかし、返事はなかった。
あわてて彼女の近くにしゃがみ、肩を揺さぶるが、やはり反応はない。
幸い息はしているようなので、気絶かも?
警備隊に通報? いや、まずは医者に診てもらった方がいいのでは。
俺はポケットから携帯端末を取り出し、急いで救急隊に通報しようとした、が。
「ん……いいよねぇ……食べ放題……」
その彼女のつぶやきを聞いた後、俺は耳に当てようとしていた携帯端末を腕ごとだらんと垂れ下げた。
いや待て。寝言!? 寝てるだけなの!?
これでは通報しようにもしづらい。
救急隊の人に、「急病人の様子は?」と聞かれて、「食べ放題とかつぶやいてました」なんて言ったら、俺の方が心配されるわ。
なにより、ずぶ濡れになりながらも、よくよく見ると夢の中でおいしい思いをしていそうなこの笑顔が、俺の焦りを失わせた。
仕方ない、警備隊に通報するか。
もし彼女が目覚めて、この辺りをうろついたら大騒ぎになるだろうし。
ふと、異性がフォートに紛れ込んでしまった時にどうなるか、という話を授業で聞いたのを思い出した。
カルティベーション・フォートは、特定個人婚姻支援法、通称セレクトカップリング制度の要。
そのフォートに紛れ込み、純然たるパートナー同士の交際を妨害した者には、厳罰が下される、と。
それにしても、フォートは陸地を高い塀で囲まれ、海上は無人巡視艇が常に警備をしている。
だから、普通は紛れ込みなど起こらない……はずなのだが。
なんでこの子は紛れ込んじゃったかなぁ。
いい夢を見てたのに、起きたら逮捕されてました、なんてシャレにもならない。
ただ、通報の仕方によっては処罰を軽くする、もしかしたら免れることが可能かもしれない。
少女が運悪くここに流れ着いたところを発見した、と俺が説明する。
彼女が偶然ここに紛れ込んだと訴えれば、警備隊もさすがに理解してくれるだろう。
俺が携帯端末を使って警備隊に連絡をしようとしたところ、突然、足元を引っ張られた。
何事かと思ったら、虚ろな目をした少女が、俺のズボンの裾に手を伸ばしている。
「お腹……すいた」
「そ、そうなの?」
俺の問いにコクリとうなずく。
そうしたら、彼女は再び頭を垂れて、裾を握ったまま動かなくなった。
えっ、また寝ちゃったの?
ズボンの裾を握る彼女の手を引きはがそうと脚を動かすが、一向に離れない。なんて執念だ。
少し悩んだ後、一つの考えに思い至る。
何か少し食べさせてあげるか?
まあ、このまま警備隊に引き渡してもいいのだが、食に貪欲な彼女を空腹のまま連れて行かせるのは、なんとなく不憫な気がした。我ながら人がいい。
とりあえず、この少女を俺の部屋に連れて行き、何か食べさせてあげる。
それから、警備隊に通報しても問題は無いはずだ。
門限の午後十時に警備隊が街中の巡回を始めるから、すんなり引き渡すこともできるだろう。
俺は少女の肩を揺らし、起きるよう促す。しかし、彼女は全く目を覚ます気配が無い。
さっきは一度目覚めたのに、なぜ起きないんだ。
そして、相変わらず俺のズボンの裾を離さない。仕方なく語りかけてみる。
「手を離したら、何か食べさせるから」
すると、ズボンを握っていた彼女の手が緩んだ。
まさか、本当は起きてるんじゃないだろうな。
しかし、その後も目を開く様子もなく、寝息を立てている。
時間に余裕が無いので、しぶしぶ彼女を担いでいくことにする。
既に面倒くさくなってきた。
担ぎにくいので、少女が着ているライフジャケットを外す。
一応、ジャケットも持っていくしかない。
それから、彼女に自分が羽織っていた上着を頭からかぶせ、隠蔽完了。
その身体を砂浜からゆっくりと持ち上げ、背負った。
「うわ、冷た……」
びしょ濡れの身体から、俺の背中に海水の冷たさが伝わってきた。
それと同時に、二つの柔らかい膨らみが背中に当たっていることに気づき、内心ドキドキする。
さっき先生が言っていた、青春真っ盛り高校生の状態じゃないか。
先生がげらげら笑う姿が目に浮かぶ。なんだか負けた気がする。
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