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47.さっと視線を逸らしていた

 最寄りの黒柱の根元に移動するに際し、俺たちは飛んでいくことにしたのだがここで問題が起きた。浅菜が高所恐怖症だと騒ぎ始めたのだ。


「西王母のところで修行して、夢の中とか現実の裏側で空を飛ぶことは習わなかったのか?」


「ムリだよ店長! 僕、高いとこ苦手なんだってば。訓練はしたけど、建物の中ならともかく、身長を超えるほど高く飛ぶのはどうしても怖いの! 無理無理無理!」


 仕方がない、こうしている時間も惜しい。転移で近くまで瞬間移動するにも現地の座標を細かくイメージできないし、走っていくのも時間が惜しい。


「ちょっと我慢しててくれ」


「な、ちょっと店長? 従治さん?!」


 俺は有無を言わさず浅菜を身体の前で抱きかかえ、そのまま飛ぶことにした。お姫様抱っこだが、浅菜にはこの際我慢して貰おう。


「みんな、飛ぶぞ」


「ええで」


「分かりました」


「待ってぇぇぇぇぇ! ぎゃあああああ!」


 女の子がぎゃあって叫ぶのを聞いたのはいつぶりだろう。確か学生の頃にジェットコースターに乗ったときに聞いた記憶があるな。ああ、浅菜にはあとでどつかれるんだろうな、などと考えながら俺たちは移動した。




 空から黒柱の配置を確認すると、南北に伸びる国際会議場のエリアをほぼ等間隔に八本で囲んでいるようだ。俺たちは北西の端にある黒柱の根元にたどり着いた。黒柱の根元は歩道にあるようだ。ふと気になって空から観察すると、透過表示にしてある現実では黒ずくめの者たちが固まっており、その中の一人の男から濃密な気配を感じた。


「あれだな」


 俺は呟いて仲間と共に歩道が接する交差点の中央付近に空から舞い降りた。腕の中の浅菜を解放すると、その場にうずくまってしまった。


「……従治さん、……あとでお話があります」


「お、おう」


「すまんけどお二人さん、痴話げんかはあとにしたほうがええみたいやで」


 痴話げんかって何だよと思いつつ黒柱の方に意識を向けると、その周囲に居た幽体のマハーカーラたちは足を止め、俺たちの方に向き直っていた。数にすれば百体弱は揃っているだろうか。やがてそいつらは殺気を漂わせはじめ、こちらに向かってきた。


「敵と認識されたようです、応戦を!」


「「了解」や」


 俺と照汰は意識を集中させ、それぞれ召喚しておいた大天使ミカエルとクトゥグアの赤竜を現出させて解き放った。


 ミカエルは灼熱の気配を秘めた赤い杖を振り回し、会敵したマハーカーラを叩きのめし始めた。クトゥグアの赤竜の方は自身の周囲に、羽根の付いた赤色に光る毛糸の玉のようなものを幾つも展開し、そこから無数の糸を伸ばしてマハーカーラにぶつけ始めた。赤竜の攻撃では毛糸がぶつかった辺りからはぶぶぶぶぶぶんという、戦闘ヘリに載っているようなマシンガンのような低い音が聞こえている。


 やがてマハーカーラの中には俺たちの攻撃をかいくぐって近くまで迫ってくるものが現れた。俺が素手で構えを取り、火の退出の五芒星をイメージしながら応戦しようとしていると、俺の傍らから浅菜が飛び出した。


「店長のばかあああ!」


 そんなことを叫びながら橙色の旋風のように身体を躍らせて、剣と鞘を手にしてマハーカーラを問答無用に切り捨て始めた。おっかねぇよ。


 その間に巻倉は召喚を進めていたようだ。


「紅海の王たるものよ、疾く来たれ。オン・キリキリバザラ・ウン・ハッタ、オンアビラウンケン。その威力を以て火曜を成し、朱雀の働きにより火気を成せ。急々如律令」


 巻倉は忍者が術を繰り出す時のように両手で剣印を結びつつ唱えると、さらに言葉を紡ぐ。


赤鬼(せきき)よ、疾く来たりて我が敵を討て。急急如律令」


 直後に何処ともなく『応!』と応える二つの声と共に、巻倉の両手の甲から一体ずつ赤鬼が這い出るように現れた。二体の赤い肌をした鬼は祭りのときの男衆の装束を着て、手には身の丈に届くほどの凶悪なデザインの灼熱に燃え盛る金棒を持っていた。そして鬼たちはマハーカーラたちに襲い掛かった。


 やがて体感時間で何分もかからずに、俺たちに向かってきていた幽体のマハーカーラたちは周囲から一掃された。




 周囲を警戒しながら俺たちは黒柱の根元に近づいた。改めて観察すると、その柱は直径にして約十メートルほどはあるようだ。そしてその中心には、人の丈で胸の位置辺りに黒色の塊のような何かが異様な気配を漂わせている。


 ふと気になって透過表示してある現実の状況を観察すると、さきほどまでの応戦が影響したのか、付近に集まっている黒ずくめの者たちはよろめいたり頭を押さえたりしていた。だがその中に、所在無げに立ち尽くしている男が居る。


「なあ、この柱の中央付近の現実の方に、立ち尽くしている男が居るんだが」


「確かにいますね。ちょっと待ってくださいね……。臨・兵・闘・者・皆・陣・列・前・行」


 巻倉は男の体に対して上の方から斜めに線を引いてバツ字を剣印で描いていき、最後にバツの中央を結ぶように上から下に線を描いた。いわゆる九字切りであるが、その瞬間ガラスが割れるような、ぱきん、という音がした。


「見てください、黒い彫像のようなものを首から下げています」


「ペンダントやん」


 だが、黒柱そのものには影響はなく、直ぐにまた黒柱中央にある黒色の塊が異様な気配を放ち始める。


「どうやら呪物だね。その黒い塊を僕が切ってみようか?」


「頼む」


 浅菜はうん、と応えると、鞘に納刀された剣を胸の前に掲げて祭句を唱えた。


太易(たいえき)より二義あり。陰陽天地四神五行に通ずる尊き西王母よ、万象(ばんしょう)()(みち)を示せ。火の比和(ひわ)よ直ちに来たりて我が剣に宿り、困難を排せ」


 しゃらん、と音を立てながら浅菜が鞘から剣を抜くと、その剣は赤熱して火気を帯びていた。次の瞬間、柱の外側から斬撃を飛ばし、浅菜は黒い塊を斬った。


 だが、切断の赤い線はすぐに消え、再び塊に戻ってしまう。


「まずいな、呪物があるのは確かだが、単純な破壊は効果が無さそうだ」


「根本的に性質を変えるような手立てが必要でしょうか。そうなると現実の方にもどって手を打つにしても時間が足りません」


 俺と巻倉が表情を曇らせていると、照汰と浅菜が俺たちの背後を見やりつつ、口を開いた。


「なあ、妙な気配がえらい勢いで近づいとる気がするんやけど」


「――邪悪な気配ではなさそうだね」


 俺と巻倉が振り返り、気配のする方へと意識を向けると、確かに何かが北の空から飛んでくるのが感じられる。


 やがて小さな人影のようなものが飛んで来たかと思うと、『店長~』と叫んでいるように認識できた。どうやら巫女装束を着込んだ少女のようだ。そしてあっというまに俺たちの近くの空中にたどり着いたその姿は、巫女装束の山崎だった。


「山崎! わざわざ来たのか?」


「そうやよ。巫女のバイトあがったら稲荷さんに呼ばれてな、助けに行こういう話になったんよ」


 ふわりと俺たちの前に降り立った山崎は、俺の店で働いているときよりも神々しい気配を纏っている。さらにその瞳は金色に輝き、タテにスリットが入った獣の目をしていた。


「もしかしてお前……」


「我も来た。こ奴が望むゆえ、貴様たちを助けるなり」


 山崎の口から、これまで度々聞いた白狐の声がした。山崎は稲荷神を憑依させて飛んで来たのか、と思い至った。


「助かります、稲荷様。――この黒い柱を消したいのですが、根元に呪物があるようです。破壊を試みましたが直ぐ再生します」


「ちょっと見てみるわ。あと、いまは私が表に出てるから、山崎呼んでくれたらええから」


「分かった、頼む」


 山崎は頷いてからすたすたと黒柱に近づくと、少し観察したあと右手を伸ばして黒柱に触れた。そして鈴の音が鳴るような良く通る声で告げる。


「鎮まれ」


 次の瞬間、黒柱内の黒い塊は水に包まれ水の玉になり、水の玉は黄色い燐光を放ちながら宝珠の形に変形したあと虚空に消えた。そしてそれがきっかけになったように黒柱は虚空に消えていった。


「よぉーし!」


「やったで」


「消えたね!」


「助かった。――ありがとうございます、稲荷様」


 俺が山崎に語り掛けると、当惑したような微妙な表情を浮かべている。


「……どうしたんだ?」


「ええと、白日の姫に乞わなかったのかって稲荷さんが言っとるんやけど」


「あ、マアトさま……」


「はい、来たわよ。仕方がない子ね、いつでも私を呼びなさいって言ってるのに」


「す、済みません」


 俺は傍らにすっと現れたマアトに必死に頭を下げた。その様子に苦言を呈するでもなく、マアトは穏やかに微笑んでいた。


「まあいいわ、次に行きましょう。それにしても狐ちゃんはやっぱりずるいわよねー」


 マアトが山崎の方に視線を向けると、山崎(白狐)はさっと視線を逸らしていた。



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