8.叶わぬ願い
その日の晩餐は賑やかだった。
ウェンディは元々ジャックのことが好きではなかったようで、婚約を解消することには大賛成だった。朝には聞けなかったから、と夜会での様子を聞きたがり、オフィーリアが臨場感たっぷりに説明すると、歓声をあげる。
給仕をしているフーゴは執事として困った様に眉を顰めたが、はしゃぐウェンディが可愛らしくてアガタはにこにこと微笑んでいた。
オフィーリアが扇でジャックを殴った段になると、ライラはあの時の恐怖を思い出して青褪めたが、ウェンディは冒険活劇でも見たかのように更に歓声をあげる。
「素敵! やっぱり、リア姉様は憧れの騎士様だわ」
「光栄だね」
「私のピンチの時も、助けてくださる?」
「勿論だよ、可愛いウェンディ」
オフィーリアが流し目で微笑むとウェンディはきゃあっと頬を赤らめて興奮するものだから、落ち着くように窘めた。
「だってライラ姉様、リア姉様は本当に人気があるのよ。式典の時に騎馬で大通りを通った時なんて、屋根の上にも見物人がいたんだから!」
「分かったから。冷めない内に、料理の方も楽しんでちょうだい」
ウェンディの好きな卵を使った温かい前菜は、アガタの得意料理だ。
オーブンでかりっと焼いた野菜にからめて食べても美味しいし、ソースとしてパンを浸してもワインが進む。さっそく今日買ってきたスパイスも使われていて、昼間のお遣いが報いられる気持ちだった。
ワインは安いものだが、晩餐よりもかなり早い時間に開栓しておいたので苦みはいくらか軽減している。今日のメインソースは少し甘いので、最高の取り合わせとはいかずともまあまあ悪くない取り合わせだった。
「ライラ、明日レオンが来るんだったね?」
食事の前に、執務室にオフィーリアを呼びに行った時に話した内容を、ここで再度確認される。ライラはカトラリーを皿に伏せると頷いた。
「はい、お姉様」
「ご丁寧に手紙も来ていたよ。まったく……馬鹿真面目に段階を踏む男だ」
「私はレオン兄様に会うの、楽しみです。今のお話、ライラ姉様を颯爽と助けたくだりは王子様のようだったわ!」
ウェンディはにこにこと微笑んで、優雅な所作で食事を口に運ぶ。それからふと意味ありげにこちらを見つめてきた。
オフィーリアと同じ、青い色の瞳が煌めく。
「……お兄様は優しい方だけれど……本当は怖い方なのが、とても魅力的ね」
ウェンディの言葉に、ライラは驚いて目を丸くした。
「怖い? レオンほど優しい人なんて、他にいないでしょう」
「ライラ姉様にとっては、そうでしょうねぇ」
まるで大人のように小首を傾げてみせる仕草が可愛くて、ライラとオフィーリアは顔を見合わせて微笑む。
「……ウェンディったら、随分情報通なのね」
「私としては、奴の苦労が実っていないのはざまぁみろ、といったところだがね」
フフッと笑ってオフィーリアは、メイン料理の鶏肉のロティにナイフを入れる。一緒にオーブンで焼いた、付け合わせの野菜の色が鮮やかだ。
「何の話です? お姉様」
ライラが訊ねると、一口よりも大きく切った肉をオフィーリアは口に入れ、「喋れない」というジェスチャーをしてみせる。絶対にわざとだ。
唇を尖らせて、ライラも料理にナイフを入れる。
アガタの腕は確かで、表面の皮がぱりっとしていて中は十分に火が通っているのにしっとりとしていた。ソースをたっぷりとつけて口に運ぶと、香ばしくて美味しい。
食事を続けながら、レオンは明日の何時頃に来るのか、後できちんと確認しよう、とライラは心の中にメモをする。
ウェンディはレオンを実は怖い人、と言ったがライラにとって彼ほど親切で優しい人はいない。
いつだってライラの気持ちを汲んでくれたし、我儘を言っていいんだよ、と何度も伝えてくれた。しかし勿論、ライラが侯爵令息であるレオンに大きな我儘を言える筈もなく。
それでも大好きな幼馴染が優しくしてくれるのが嬉しくて、他愛のない我儘を言えたのは彼に対してだけだった。
そして過去にただ一度だけ、どうしても叶えて欲しくて言った我儘は、叶えてもらうことが出来なかった。
そこまで考えると、体から力が抜けてカトラリーがかちん、と皿に当たって音をたててしまう。普段ウェンディに音をたてないように、と教えているのは自分の方なのに。
その様子に不審に思った妹がこちらを覗き込んでくる。
「どうかなさったの? ライラ姉様」
「……何でもないわ。苦手な野菜だからといって、残しちゃダメよウェンディ」
妹に向けて微笑みながら、ライラは無駄な考えを追い払う。
今考えれば、叶えてもらえる筈もない無茶な我儘を言ったものだ。
魔術の制御を学ぶ為の留学することになったレオンに、どこにも行かないで、傍にいて、だなんて。
叶う筈もない、ライラの心底からの願い。