37.わたしは、家を出ます。
「……ああ……シシャが勝ち誇って笑う姿が、目に浮かぶ」
オフィーリアが盛大に嘆きながら鞄を馬車から下ろすので、ネイトが苦笑しながらその鞄をまた馬車に積む。
下ろす、積む、下ろす、と何度も繰り返しているのでライラとしてはそろそろ止めてあげたいのだが、おおらかなネイトは笑顔でオフィーリアの往生際の悪い抵抗に付き合ってくれていた。
「……リア、いい加減無駄な抵抗をやめろ」
「お前は大勝利で大満足だろうさ。私の気持ちなど分かるまいよ、自棄酒に付き合ってやった恩も忘れてひどい男だ。私と決闘しろ。私より強い男じゃないと認めん」
注意をするレオンに対してダラダラと文句を言いながら、オフィーリアはまだ鞄を下ろすのを繰り返している。
ウェンディは次姉にべったりと抱きつきながら、そんな長姉の珍しい姿にくすくすと笑った。
「リア姉様がぐずってる」
「ああ、ウェンディ、お前はずっとずっと姉様の側にいておくれよ。もう一回こんな思いをするなんてコリゴリだよ、私より強い男にしなさい、だが負けるつもりはない。全員、叩き斬る」
「絶対に許可するおつもりないじゃないですか」
アガタが困ったように笑って、嗜める。
初夏を迎えるギードリアの王都。ヴィルリア伯爵邸の前に停まっているのは、立派な四頭立ての馬車だった。シシャの寄越した、ライラの迎えである。
レオンが赴任先に戻るのに合わせて、ライラもガルジェラの魔術学校に留学することを決めたのだ。
誘拐事件の際に魔力の制御を知らないまま暴走させてしまったことを、ライラは本当に悔いている。それに魔術は怖いものではない、ちゃんと学べば力強い味方になる、とシシャに教わったこともライラにはよく響いた。
ガルジェラには様々な国から様々な立場の者が魔術を学ぶ為に留学してくるし、ガルジェラの王女であるライラもさほど目立たないだろう、とも思えた。これは、楽観的な予想だが。
そしてライラは成人しているが、留学する以上学生なので保護者が必要だ。
ライラは名目上はヴィルリア伯爵令嬢として留学するので、オフィーリアが保護者として認めたのは消去法でレオンだった。シシャかレオンか。本当に、不本意な二択だったらしい。
晴れて婚約者となったレオンが、ガルジェラでのライラの保護者となる。これにはシシャからもう一度話し合おう、という脅しのような手紙がレオンに届いているが彼は無視している。
「ウェンディ、お前は平気なのかい? 私達の可愛いライラが出て行ってしまうんだよ? 姉様には耐えられそうもないよ……」
以前、自分達は姉妹なので離れても平気だ、などと大きな口を叩いていたものの、実際そうなると妹大好きなオフィーリアには耐え難いことらしい。
本当に彼女にしては珍しく、往生際悪くグズグズと抵抗している。そんな姉を見上げて、ウェンディは澄ました顔をした。
「ライラ姉様が留学するのは寂しいけど、さようならじゃないもの。行ってきます、よね? ライラ姉様」
ウェンディはぎゅっとライラの腰に抱きついて、そう言う。勿論、とライラは頷いた。
「ええ、行ってきます、よ。ウェンディ、お姉様。そして、ただいま、と帰ってきます」
ライラがにっこりと微笑んで言うと、オフィーリアは唇を噛み締めた。
「分かっている! 分かっているけれど……ああ、可愛いライラ。虐められたらすぐに帰っておいで、不逞な輩は姉様が必ずやっつけてあげるからね」
「はい」
幼子に言うかのような物言いに、ライラはくすくすと笑う。もう自分は成人しているのに、オフィーリアにとっては庇護すべき幼子同然なのだ。
「何もなくても、いつでもすぐ帰っておいで。ここはお前の家で、何があっても私達は家族なんだから」
「……はい、お姉様」
その言葉が嬉しくて、嬉しくて。ライラは満面の笑みを浮かべた。
そしてその笑顔が可愛かったらしく、オフィーリアの決意はまた崩れる。ウェンディごとライラを抱きしめて、グズグズに愚図った。
「ああ、駄目だ。私の妹は可愛すぎる。やっぱり最初だけでも姉様も付いて行こうか。いや、やっぱり留学なんてやめてずっと姉様の側にいておくれ」
「キリがないな」
レオンがキッパリと言うとオフィーリアとウェンディをライラから引き離し、自分が抱きしめてきた。
「……レオン、決闘していくか」
「シシャ様と猛獣大決戦をしておいてくれ」
無駄な争いはしない主義のレオンはそう言うと、ライラを馬車へと導く。オフィーリアが愚図った所為で出発がかなり遅れているのだ。
ガルジェラに着いたら着いたで、何故こんなに遅れたんだとシシャに文句を言われるのはレオンに違いない。
「ああ、ライラ……」
「お姉様、長期休暇には戻ってきます。お手紙もたくさん書きますね」
「毎日くれ」
「勉強する為に留学するライラに、無茶を言うな」
ペチン、とレオンがオフィーリアの額を小突いて、その隙にライラは馬車に乗せられた。
ウェンディとアガタ達使用人はニコニコと笑っていて、オフィーリアだけが今生の別れのように嘆いている。
本当に、くすぐったいぐらいに愛されていて、ライラは幸せだ。
「じゃあ、出発しようか。リアが車輪を壊しにかからない内に」
隣に乗り込んできたレオンにきゅっと手を握られて、ライラは笑顔で頷く。
この屋敷を出て行く時に、こんなにも幸福な気持ちでいられるとは考えもしなかった。しかも、大好きな人と一緒に。
ライラは窓を開けて、愛する家族に笑顔を向ける。そして、明るい声で挨拶をする。
「お姉様、ウェンディ、皆。行ってきます!」
こうしてライラは、愛されていることを実感しながら、家を出た。
本編はこれにて終了です。
お付き合いいただいて、ありがとうございました!読んでいただけて、とても嬉しいです!!




