36.薔薇色の人生
ひとしきり騒いだ後、シシャはガルジェラの迎えが来て渋々帰ることとなった。今更ながら一国の王を迎えていたことにライラは震える。
そんな震えをよそにシシャはライラを王女としてガルジェラに連れて帰りたがっていたが、どうするかはライラ自身が決めていい、と言ってくれた。
「ジェラールの罪を決める際に、ライラの出自は公開している。ギードリアでこれからも暮らしたいなら、護衛とかは着くけど他は今までとそんなに変わらないように過ごせるように手配するよ」
「そんなこと、出来るんですか……?」
王女という立場は、ライラ一人の希望で身の振り方が決められるとは思っていなかった。信じられない思いでシシャを見上げると、彼はあっけらかんと笑う。
「出来るよ。俺はその為に何年も可愛い妹と離れて暮らして来たんだ。離れていても、俺とライラも家族だよ。何も心配しなくても、君が幸せに暮らせるようにする責任が、俺にはある」
シシャの言葉に、ライラはすっかり弱くなった涙腺がまた緩んだ。
「ありがとうございます、シシャ様」
「そこは、お兄様って呼んでよ。あ、勿論、ガルジェラに来てくれたら俺個人としては嬉しいけどね?」
そう言ってパチン、とウインクしてみせたシシャは、とても魅力的だった。
社交シーズンの終盤ではあったが、ヴィルリア伯爵の出自不明の養女が実はガルジェラの王女だったことは、大きな驚きを持って社交界に響き渡った。
貴族達は、掌を返したようにライラにおべっかを使いこぞってお近づきになろうとしたが、それらは全てシシャの派遣した護衛達が動くまでもなくオフィーリアの一喝によって追い払われた。
しばらくすると貴族達はそれぞ領地に帰ってゆき王都は社交シーズンの賑やかさが消え、ようやくライラの周辺は落ち着いてきた。
来年の社交シーズンの頃には既にライラの誘拐事件も明かされた出自も過去のこと、皆新しいゴシップや事件に注目するのだろう。
ゴード家から取り戻した財産と事件後もバリバリとレオンが書類を捌いてくれたおかげで、ヴィルリア伯爵家はみるみる立ち直った。勿論継続して領地経営に励む必要はあるが、ライラがメイドの真似事をする必要はなくなった。
伯爵が生きていた頃ほどではないが使用人達もいく人かは呼び戻すことが出来たし、アガタ達使用人一家への負担は減った。
オフィーリアは伯爵代理としての仕事が落ち着いたおかげで騎士としてますます活躍しているようだし、ウェンディにもきちんと家庭教師をつけることが出来て、ライラはとても嬉しく、安堵していた。
これからも大変なことは度々起こるだろうけれど、たくさんの人々の好意と尽力のおかげで伯爵家を失うことなく守れて、本当によかった。
*
そして日々は過ぎ、レオンの外交官としての休暇もそろそろ終わろうとしていた。
メイドの仕事を手伝うことはとんでもない! と断られてしまったので、ライラはとても暇である。レオンはまたガルジェラに向かうので忙しい筈なのに、伯爵家にやってきてそんなライラを散歩に誘ってくれた。
二人で連れ立って、人の減った王立公園を散策する。気候はどんどん温かくなるし、木々の緑は濃くなった。
時折すれ違う人にはヒソヒソと噂されるが、吹っ切れたライラは表面上は気にしていないふりが上手くなった、と思う。
「またお別れだね」
ライラが言うと、レオンはぎゅっと眉を寄せる。
「お別れなんてしないよ、俺はずっと側にいるって言っただろう」
「それは……気持ちの話だって分かってるわ。レオンには仕事があるし、ちゃんと務めているあなたは素敵だと思う」
「……そう言われると、サボるわけにはいかなくなるな」
レオンはため息をついて言い、ひと気のない区画で立ち止まった。どうしたの? と見上げると、真剣な表情の彼がいた。
「レオン……?」
「……ライラ、ジェラールに怖い目に遭わされていたんだね。俺は……俺は、何も知らなくて……守れなくて、ごめん」
辛そうに端正な顔を歪めるのを見て、ライラは首を横に振る。どうやら、ライラが最初にジェラールに襲われかけたのを知らなかったことを、レオンはずっと気に病んでいたようだ。
「そんなこと……悪いのはあの人よ、それにレオンはいつも私を守ってくれたもの。……私の方こそ、こんなに大切にしてくれていたのに、気付けなくてごめんなさい」
そう謝ると、レオンの大きな手がライラの小さな手を握った。
レオンは、ライラのことを何でも背負おうとする。
彼は三年前、ヴィルリア伯爵にライラへ求婚することの許しを得る為に訪問した際に、たまたまライラの出自を聞いて知ってしまったのだ。
出自を知った以上ガルジェラの王女への擦り寄りではなく、何者でもないライラを愛しているからこそ求婚することを、証明する必要が生じてしまった。
レオンはそれを承諾した。ライラを、ただ、愛していたから。
それには相応の立場を得ることと、ライラの実の兄であるシシャに求婚の申し出の許可をもらうことを、ヴィルリア伯爵に約束していたのだ。あの日、薔薇の花束を差し出してくれながらレオンが言っていたのは、このことだった。
彼は驚くほどの努力をしてくれて、誰もが認めるライラの求婚者という立場を自分で獲得したのだ。
「これからは絶対に、何ものからも俺がライラを守るよ。ずっと側にいる。だからもう一度言わせて欲しい」
真剣な表情をしたレオンに手を握られて、ライラはどきりと鼓動を早める。そのまま、彼はその場に跪いた。
この光景は、二度目だ。ライラの瞳から涙が溢れる。
「ライラ、愛している。どうか、俺と結婚して欲しい」
最初に告げられた時に、受け入れたかった。
ジェラールに最悪な求婚をされた時に、どうしてレオンからの求婚を断るのにジェラールからのそれを受け入れなくてならないのかと、絶望的な気持ちだった。
あれから側にいるとは言ってくれたもののこういった話にはならなかったので、ライラは自分の立場を考えてまた恋を諦めようとしていた。
なのに、また告げてくれた。
ぎゅう、とライラからも手を握り返して、何度も頷く。
「うん……うん、私も……私も、レオンのこと愛してる……ひゃっ!」
言った瞬間、強い力で抱きしめられる。
息が止まりそうなぐらい強い抱擁で、くっついたところからレオンの早い鼓動が伝わった。
「嬉しい、ライラ。好きだよ、ずっと前から大好きだった」
「うん……私も。レオンのお嫁さんになれたらいいなって、ずっと憧れてた」
「ああ、なんて可愛いんだ」
ますます抱きしめられて、ちゅっと髪にキスをされる。どきどきしてそっと見上げると、レオンは耳を真っ赤にして輝かんばかりの笑顔を浮かべていた。
「ねぇ、キスしてもいい?」
「……いいよ」
そっと耳に囁かれてライラが許すと、レオンの大きな手の平が頬に触れる。
それからまるで花びらに触れるみたいにそっと、でも逃さないとばかりにしっかりと、唇が触れ合った。




