35.かみさまの後始末
数日後。
ヴィルリア伯爵邸の、応接室。
「おい、俺の妹から手を離せ」
「待て、ライラは私の妹だ」
「それって不敬なんじゃないか? オフィーリア・クライン」
「ここにいるのはガルジェラからの『ただの客人・シシャ』なんだろう?」
わいわいと喧嘩する声が聞こえる。
シシャとオフィーリアは向かい合ってソファに座り、ライラが誰の妹か、という議題で揉めていた。
「どっちでもいいじゃないですか」
ライラの隣にぴったりとくっついて座るレオンが、呆れたように言う。そんなレオンを、シシャとオフィーリアは呆れた目で見やる。
「いや、だからまずお前が離れろレオン。兄の前だぞ」
「というかここは私の屋敷だ、出て行けレオン」
「ライラのお願いなので、俺は彼女の傍にいます」
にっこりと微笑んでレオンは宣言し、ライラは茹でタコのように顔を赤くした。
事件の後ライラが気絶したのは夜明けだったが、目を覚ましたのはすっかり夜になってからだった。
魔力の使いすぎと誘拐されたことへのストレス。それから、突然知らされた自分の出自に関するショックでヘロヘロになっており、アガタの作ってくれた軽食を食べた後にまた朝までぐっすり眠っていた。
大方、丸一日眠っていたようなものだ。
そして起きた頃には、それぞれ優秀な騎士であるオフィーリアと外交官であるレオン、そしてガルジェラの王であるシシャによって事件の後始末もほとんど済んでいた。
「非公式に訪れていた隣国の王族を誘拐した、という罪でジェラール達三人は裁かれることになった」
「誰を誘拐した罪です……?」
あっさりとオフィーリアが口にした言葉に、ライラは青褪める。宥めるようにレオンがライラの肩を撫でた。
「そりゃライラのことだよ。俺の妹なんだから、君は王女だし。まぁ非公式にギードリアを訪れていた、ていうのも事実だな。幼い頃からずっと滞在していたことになるが」
とんでもない単語に、ライラは目を白黒させる。
つまり。
十数年前に前国王が亡くなり、ガルジェラ国内は不安定な情勢になった。
まだ年若い王太子だったシシャが王位を継いだが、彼の命を狙う者もいて幼いライラを守りきれるかわからなかった。その為、当時ガルジェラを訪れていたギードリアの外交官であるヴィルリア伯爵を通じて、ライラをギードリアに亡命させたのだ。
情勢が落ち着き、シシャが王位を盤石なものにしてライラを迎えに行けるようになるまで、ライラは伯爵家の養女として扱われることとなる。
そして、シシャが王位を安定させることに失敗する可能性も考慮して、ライラ本人には成人するまで出自を伝えないことが決まった。
隣国の王族の亡命なので、当然ギードリア王と王に近い数名のみはこのことを知っていた。今回、ライラの謁見が時期外れに急に捩じ込まれても許可されたのは、そのおかげだったのだ。
だがライラが成人する前に伯爵は亡くなり、ヴィルリア伯爵家自体がかなり危機的状況に陥ってしまう。きちんと段取りを決めて出自を打ち明けシシャと対面する予定だったのに、その予定も上手く立ちいかなかった。
業を煮やしたシシャが花火魔術の為に来訪する魔術師団に紛れて「客人」としてギードリアに来たのは、ライラに会う為だったのだ。
「……突然出自を教えたら驚くだろうし段取りがあるって言っておいたのに、夜会で偶然を装ってライラに近づくなんて、無茶苦茶だぞ客人」
「オフィーリアは毎日ライラに会ってるから、俺の気持ちがわからないんだ。俺がどれほど妹に会うのを楽しみにしてたと思う?」
「それは確かに可哀想だな。ライラはとっても可愛いから、毎日会える私は幸せだ」
ふふん、とオフィーリアは自慢をするように言うと、シシャは盛大に顔を顰めた。
「ジェラールは然るべき刑に処す。彼の実家であるゴード家の者も責任を取って財産を没収の後、伯爵家とは縁を切られ、開拓中の西の地での肉体労働に従事させられる」
そう告げるレオンの声が聞いたこともないぐらい冷たくて、ライラはヒヤリとした。
叔父や叔母のことだ。勿論彼らにいい感情は抱いていないが、思わずライラは唇を噛んだ。
「ライラが気にする必要はないよ。私がライラやウェンディに責任があるように、家族はその家族の者がやったことに対して責任がある」
オフィーリアの家長としての言葉に、ライラは小さく頷いた。
ライラ自身が彼らの罪を軽減させて欲しい、と願うのはガルジェラ王家に対しての失礼でもあるのだろう。それでもやはり知っている人が罪に問われるのは悲しくて俯くと、レオンが優しくつむじにキスをしてくれた。
「さっきから目に余るぞ、レオン」
「何とでも。やっとライラが望んでくれたんだから、俺はライラから離れないよ」
真剣な話をしていた筈なのに、レオンだけは上機嫌でライラに寄り添っている。嬉しい気持ちと恥ずかしい気持ちでライラは真っ赤だが、やっと思いが通じ合ったので離れたくないのは同じだった。
「みっともなくベタベタして……すぐフラれろ、レオン。ライラ、ガルジェラにはもっといい男もいるし、兄みたいなかっこいい男を選びなさい」
「おい、すぐ兄面をするな。ライラ、お嫁になんて行かなくていいんだよ、我が家で姉妹仲良く暮らせばいいじゃないか」
すぐに兄と姉が喧嘩し出すので、思わずライラは笑ってしまう。その様子をレオンが優しい眼差しで見つめているのも、くすぐったい。
ちなみに、ジャックもジェラール同様に刑に処させることが決まっている。
彼は既にゴドル子爵家から縁を切られていたので子爵家自体は罪に問われることはなかったが、それでも子爵家も社交界での地位は失墜した。
ファニーも同様に実家からは縁を切られていて、罪人として西の地へ送られることとなる。
しかし何故ファニーだけが刑に処されないかというと、彼女はライラの身の潔白を証言したおかげで罪が軽減されたのだ。
ファニーは自分が社交界を追われたことでヴィルリア伯爵家を恨んではいたが、ジェラールのやり方は女性として嫌悪していた。その為、ジェラールにライラは穢されていない、ということをしっかりと証言してくれたのだ。
「ジェラールのことは私が叩き斬ってもよかったんだが……」
「俺が魔術で火だるまにしてもいいよ」
「まぁまぁ。私刑ではなくきちんと現行の法で裁いて罪を知らしめてこそ、ライラに失礼なことを言っていた奴らへの見せしめにもなると思うが」
オフィーリアとシシャの過激な言葉に、レオンのさらに過激な言葉が続く。全員笑顔なのが、怖い。
「……とはいえ、ジェラールも愚かなことだ。何があろうと、ライラを傷つけた者を私が許す筈もないのに」
脚を高く組んで、オフィーリアが溜息をつく。
「ライラへのゴード家の者の態度も失礼だったようだし、君が不在の時に伯爵家から財産を奪えたものだから、勘違いして増長したようだね。文字通り身を滅ぼす結果になったけど」
シシャはガルジェラの王として、存分にジェラールとゴード家に罰を与えていた。
勿論、ゴード家から没収した財産はヴィルリア伯爵家へと戻るように手配もさせた。この辺りは、ギードリアの王への相談と要望、ぐらいのもので内政干渉ですらない。
そして戻った財産で、伯爵家はかなり持ち直したのだ。
ライラが話に疲れてぐったりとすると、レオンにもたれるように抱き寄せられた。
「疲れた?」
「……平気」
そう言うと、ライラの顔を覗き込むようにしてレオンが見つめてくる。
どきどきしているとノックの音が高らかに響いて、お茶のおかわりのトレイを持ったアガタと共にクッキーの籠を持ったウェンディが元気いっぱいに入ってきた。
「お姉様! クッキーが焼けましたわ!」
「もうウェンディ、お客様もいらしてるのよ」
ライラがつい、いつもの癖で嗜めるとウェンディは駆け寄ってきて、籠をテーブルに置くなり姉に抱きつく。
「ライラ姉様! いつもみたいで、嬉しい。……もう出て行ったりしない? ずっと私のお姉様でいてくれる?」
「ウェンディ……」
そうだ。
誘拐されたライラの捜索の際に、準備していた荷物や置き手紙を見られてしまっていたのだ。
この数日ウェンディはずっと我慢していたのか、ライラが笑っているのを見ると思いが溢れてしまったように涙ぐんでいる。
「お姉様が、どこかに行きたいのなら、行ってくださってもいいの。でも行ってきますって言って、ただいまって、帰ってきて欲しい。私はお姉様には自由でいて欲しい、でもお姉様を失いたくないの」
拙い言葉が、ウェンディの真剣な気持ちを伝えてくれる。ライラを愛してくれていることが、痛いほどに伝わる。
そして、幼い妹をとても傷つけたことも、思い知った。
ライラも、ウェンディをしっかりと抱きしめ返す。
「びっくりさせてごめんなさい、ウェンディ。姉様は、ずっとウェンデイの姉様よ。私は……弱かったから、逃げることばかり考えてしまっていたの」
「……ライラ姉様は弱くなんてないわ。でも、もしまだ姉様をいじめる人がいるなら、私も一緒に戦うから教えてね。私は子供で戦力にならないかもしれないけど、一緒に立ち向かうことは出来るわ。姉様のことが大好きな気持ちは、レオン兄様にだって負けないんだから!」
泣き笑いの顔でウェンディはにっこりと笑う。妹の強さと、ヴィルリア伯爵家の娘らしい物言いにライラも微笑んだ。
「……うん。不甲斐ない姉だけど、私も頑張ってみせる。ウェンディに大好きって言ってもらえるだけで、勇気が湧くわ」
ライラも微笑む。
すると、妹二人ごとオフィーリアが上から抱きしめた。
「私の妹達は、相変わらず可愛いなぁ! ライラ、勿論姉様も一緒に戦うよ、お前を傷つけるものは誰であろうと私が許さんさ」
「……心強いです」
こうやって、素直に家族に辛い、助けてって言えばよかっただけなのだ。
後ろ向きなことばかり考えて内に篭って思い詰めるのではなく。家族を大切にしたいと思いながら、自分は養女だからと勝手に線引きして家族に頼る勇気がなかったのだ。
「よしよし、兄も混ぜろ」
「無粋ですよ、シシャ様」
ウズウズとしているシシャを、ため息をついたレオンが止めた。




