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31.自分の足で立つ

 

 王都の東門。

 普段ならば日が落ちればとっくに閉まっている筈のそこだが、幸いなことに社交シーズン終盤とあって主に先駆けて領地に帰る使用人達の為に、小さい方の門が遅い時間まで開いていた。

 ライラを攫った誘拐犯も、それを見越して東の森を潜伏場所に考えたのだろう。


 オフィーリアとレオンも、それぞれ騎馬で東門を通過する。しばらく駆けると、広大な森に辿り着いた。

 この時点では知らないことだが、誘拐犯たるジェラール達は意識のないライラを荷馬車で運んでいた。森とはいえ馬車が通れるほどの開けた道も多くあり、馬ならばさらに早く駆けられるのだ。

 オフィーリア達の後ろからは同じく馬を駆る、騎士が三人。

 部下の騎士達で、非番だというので声を掛けたら快く付いてきてくれたのだ。夜会の警備も別の部下が交代してくれたし、彼らには後できちんと礼をしなくてはならない。

「悪いな、お前達」

「いえ、ライラ様の一大事ですからそりゃ駆けつけますよ!」

「ライラ様にはいつもお世話になってますから!」

「今夜非番の奴には全員声を掛けてもよかったぐらいです!」

 目立たない服装だが外套の下には皆、剣を佩いている。

 普段からオフィーリアの世話を焼くライラは騎士達に大人気で、彼女が攫われたとあって三人とも殺気だっていた。

 ライラの為に大騒ぎにしたくなくて三人だけ連れて来たが、声を掛ければ本当に全員来ただろう。


「すごい人気だな……」

 並走するレオンが少し険しい表情で言うと、オフィーリアは強気に微笑んだ。

「そうさ。彼らにとって、私のご機嫌を一瞬で取ってくれるライラは女神のような存在だ」

「……気性が荒い自覚があるなら、改めたらどうだ?」

「一隊の隊長なんて、暴れ馬みたいな奴しか務まらんさ! それよりしっかり道案内してくれよ、魔術師殿!」

 オフィーリアがそう言うと、魔術師のローブを羽織ったレオンはしっかりと頷いた。


 *


 最悪の二択を突きつけられたライラは、真っ青になって震えていた。

 ジェラールがようやく体を離して立ち上がる。ライラもさっと起き上がったが、立ち上がることは出来ずにその場に座り込んだまま、呆然とジェラールを見上げた。

 それを見て、ジャックが機嫌よく大声で笑う。

「それはいい! どっちにしても、あの高慢なオフィーリアの悔しがる顔が拝めるな」

 下品に笑うジャックの声が、ライラの耳には騒音に聞こえる。

 ちらりと視線を移すと、ファニーは嫌悪感のある表情でジェラールを睨んでいた。何故彼らがジェラールに従っているのだろう?

 ライラの疑問を察したらしく、ジェラールな皮肉っぽく笑った。


「あの婚約破棄騒動の所為で、ジャックはゴドル子爵家から追い出されたんだ。ファニーの妊娠も嘘だったし二人が金に困っていたところを、俺が拾ってやったんだよ」

 街の噂でジャックとファニーがそれぞれ家を追い出されたことは知っていたが、妊娠が嘘だったことは知らなかった。二人がこの短期間の間に、随分変わってしまった理由に驚く。

「そう誘拐なんてリスクがあることをやってるのも、アイツから伯爵位を奪えるって聞いたからだ」

 そんなことを言うジャックを、ライラは睨んだ。

「お姉様を一方的に罵って勝手に婚約破棄したのに、完全な逆恨みね」

「うるさい! 俺がこんな目に遭ってるのは、オフィーリアの所為なんだよ!!」

 カッとなったジャックがライラを殴ろうとしたが、またジェラールに止められる。

「落ち着けよジャック。俺の花嫁に乱暴するな」

「チッ……」

 ジャックは舌打ちをして、また陰鬱な様子で木箱に座った。ファニーはここにいるのは不本意なのか、ずっと険しい表情を浮かべている。


「すぐにこの場所が知られるとは思っていないが、オフィーリアは信じられないぐらい鼻がいいからな。可愛いお前を探し出してしまうかもしれん」

「……」

 そうだ、オフィーリアが助けに来てくれるかもしれない。だとしたら、あの最悪な二択を選ぶ必要はなくなる。

 ライラがそう考えたのを見越したのか、ジェラールは薄く笑って乱暴にライラを組み敷いた。がつ、と床に肩を押し付けられて、痛い。

「ッ!」

「姉が助けに来る頃、お前は俺の女になっているだろうよ。それなら、自分の意思で俺と結婚することにした、と姉に告げる方がマシだと思わないか?」

 至近距離で目を覗き込まれて、ライラは恐怖に震える。


 確かに今この瞬間に助けは来ない。ライラがどちらかを選ばなければ、ジェラールは彼の好きに行動するだろう。その結果ライラが貶められ、オフィーリアが激昂してジェラールを斬る。

 ジェラールのことはどうでもいいが、オフィーリアを罪人にはしたくないし、そうなればヴィルリア伯爵家も取り潰しになってしまう。

 一方ライラが自分の意思でジェラールと結婚する、といえば少なくともオフィーリアは罪人にはならずに済む。

 ジェラールは伯爵家の血筋の自分と、「伯爵令嬢」のライラが結婚すれば、婚約者のいないオフィーリアよりも伯爵位に近づける、と考えている。だが、そんな甘いわけがない。

 正統な血筋と確かな経歴を持つオフィーリアから、簡単に奪える筈がないのだ。


 選択肢、といっているが、ライラに選択権なんてない。

 自分の意思で、ジェラールと結婚する。

 オフィーリアを、伯爵家を守る為には、それしか道はない。


「……分かったわ」

 ライラがそう言うと、ジェラールの瞳に喜色が浮かぶ。

「…………」

 結婚を承諾する、と言わなくてはいけない。だがライラの唇は震え、声が出なかった。


 こんな最悪な提案ではなく、ほんのつい最近、とても素晴らしい求婚をされたばかりなのに。

 しかも相手は幼い頃から憧れていた、素敵な人。

 レオンからの求婚を受けたかったのに断って、ジェラールからの求婚を断りたいのに受けなくてはならない。

 悲しくて辛くて、声は出ないのに涙だけがほろほろと零れる。


「どうした? もう一つの選択肢でも、俺はいいんだぞ?」

 ニヤニヤと笑うジェラール。

 こんな事態になって、ライラはやはりまた自分に嫌気がさした。

 自分にもっと決断力があれば、勇気があれば、行動力があれば。こんなことにはならなかったのに。


 もっと、自分に力があればよかったのに。


 そう考えた時、ライラの体からバチバチッと火花が散ってジェラールは慌てて手を離した。

「なんだ!?」

「…………」

 呆然としつつ、ライラは何かに突き動かされるように立ち上がる。


 ライラが強く力を欲した所為なのか、魔力が突然体を巡っていた。

 今までは無理矢理抑え込んでいたものが、まるで綺麗に整えられたかのように体の隅々まで行き渡っていくのが分かる。本能的に、強い力なのだと分かった。

 強すぎる、力なのだと。

 上手く制御出来るかは分からない。だが、今ここでジェラールの提案に頷くよりも、オフィーリアに助けられるのを泣きながら待っているよりも、出来ることがあるかもしれない。

 別の選択肢を、自分で作りたい。


「調子に乗るなよ。お前みたいないやしい女が……」

 ジェラールが形だけの優しい顔を捨てて、ライラを蔑んだ目で睨む。

 彼にこんな目で見られることも、ひどい言葉を投げつけられることも仕方のないことだと考え、怯えていた。心は萎み、下ばかり見ていた。

 だが魔力が巡る今、不思議とライラの思考は晴れていくかのようだった。

 無理矢理魔力を抑え込んでいた所為でライラの本来の前向きな気持ちも一緒に抑え込まれ、暗い考えばかりが占めるようになっていっていたのだ。


 シシャが危惧していたのはそれで、魔力と人の体と心は強く結びついている。無理矢理抑え込むことは、心を殺すことも同じだったのだ。


 事態は何も変わっていないが、ライラの心が変わった。

 それまでオフィーリアやウェンディ、アガタ達家族がどれほどライラを愛してくれても、ライラ自身が自分を愛していなかった。

 そしてレオン。

 彼はずっと言ってくれていた。自分を大切にして欲しい、と。レオンにとって、ライラは何よりも素晴しい人だから、と。

 ジェラールのひどい言葉よりも、ライラが耳を傾け信じるべき言葉は、ずっと傍にあったのに。


「……あなたの言いなりにはならない。私は、私の愛するひとの言葉を信じるわ」

 ライラの瞳からまた涙が溢れた。


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