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27.わたしの絶望が、あなたの幸いであるのならば

 

 レオンが異変に気付き動きだした頃、ライラはガタガタを揺れる馬車の中にいた。

 貴族の使う箱馬車ではなく粗末な荷馬車の床に身を横たえられているらしく、固い木の感触がする。

「ッ!?」

 ガタン、と何かを車輪が通過した時の揺れがダイレクトに伝わってきて、ライラはその衝撃で目覚めたが、すぐにクラクラと眩暈が増す。


「……目が醒めたのか」

 ぎゅっと目を瞑って耐えていると低く無感動な声が聞こえて、ギクリと震える。

 口元には喋れないように布が結わえられているし、手足もそれぞれ布で縛られていて身動きが取れなかった。仕方なく視線だけ巡らせると荷台に座っている男のシルエットが見えるが、周囲が暗い所為で顔が判別出来ない。

 先程の令嬢と同じく声には聞き覚えがある気がするが、眩暈のする今では冷静に考えることも難しい。ライラはズキズキと痛む頭とぐるぐる回る視界に耐えかねて、また目を閉じた。

 すると引き込まれるように、また意識が薄れていく。


 罰が当たったのだ、と霞む意識の中で考えた。

 あれほど大切にされて愛されているのに世間の厳しい声に耐えられなくて誰にも告げずに逃げようとしたから、罰が与えられたのだ。

 ライラはヴィルリア伯爵家から逃げて、一人で生きて行こうとしていた。

 だというのに予想外に引き離された途端、不安で恐ろしくてたまらなくなって、すぐにオフィーリアやレオンに助けを求めたくなっている自分がいる。

 なんて、弱い。

「……ごめんなさい」

 情けなくて目じりを涙が伝ったのを最後に、ライラは完全に意識を失った。


 *


 ヴィルリア伯爵家は深夜だというのに静かに、しかし大騒ぎだった。

 王城主催の夜会に出席していた次女・ライラが友人と共に帰宅した、という話だったというのに、屋敷には帰っておらず行方知れずとなってしまったのだ。


 おおやけの場で騒ぎにすればライラは勿論、伯爵の評判も落とすことになるのでおおっぴらには出来ないものの、トゥーラン侯爵子息のレオンの要請を発端に「王城主催の夜会から行方不明になった」ということで秘密裡に警備隊が捜査を開始していた。

 ドカドカと屋敷にやってきた彼らに、もう寝床に入っていたウェンディは飛び起きた。大好きな姉が行方知れずなのだ、眠ってなどいられない。


 しかもライラは過ぎるほどに真面目で、自己犠牲の精神が強い優しい人なのだ。

 ウェンディのような子供ですら大騒ぎになると分かる、王城主催の夜会から黙って失踪など本人の意思である筈がない。

 アガタに抱きしめられながら、ウェンディは捜査官達がライラの部屋を調べるのを屈辱的な気持ちで睨んでいた。

 ライラが丁寧に育てている鉢植えや大切に保管している領地の子供達からもらったペーパークラフトが、調査の為という口実でどんどん暴かれていく様は醜悪だ。

 そこに「ライラが自主的に失踪した理由」なんて隠されているわけがない。そこから見えるものは、ライラがどれほど皆を愛しているか、皆に愛されているか、の痕跡でしかない。

「ライラ姉様は、自分の意思ではなく連れ去られたに決まっています! ここを調べるよりも、早くお姉様の行方を探してください!!」

 ウェンディが必死に言い募るが、無情にも「ライラが自主的に失踪した理由」がどんどん見つかっていく。


「クロゼットの中に荷造りがされていました!」

「机の引き出しの中に、手紙があります!!」

 無遠慮な捜査官達が見つけたのは、必要最低限の荷物と金属を換金して得たとみられる路銀。それから、オフィーリアとウェンディへの別れの手紙。

「うそ……ライラ姉様……?」

 にわかに信じられなくて、ウェンディは目の前が真っ暗になる。

 捜査官に示された手紙は、中身は恐ろしくて読めなかったが封筒に記された署名の字は確かにライラの筆致だった。

 オフィーリアよりも熱心に教師役を務めてくれていたライラ。次姉の筆跡は見比べるまでもなく、ウェンディの記憶にある。


 大好きなお姉様。

 でもライラ自身がこの屋敷を出て行きたいと、ウェンディやオフィーリアから離れたいと考えていたのは、事実だということだ。


「……ライラねえさま?」

 ウェンディの青い瞳から、ぽろぽろと涙が止めどなく溢れる。

 優しくて強くて、真面目な次姉。そんなライラが手紙を記して荷物を纏めていたのだとしたら、夜会から失踪することも、あり得るのかもしれない。

 そこまで追い詰められている姉にちっとも気づかなかった自分が、ウェンディには呪わしく情けない。大好きな人が苦しんでいる時に、自分はのうのうと生きていたのだと思うと悔しかった。

 打ち明けて欲しかった。

 現状を打破する為ならば、大好きな姉の為ならば、何だって出来たのに。


「ライラ姉様……!」

 熱い涙がウェンディの頬を伝い、絶望に喉が喘ぐ。

 大好きな姉がそこまでして出て行きたかったのならば、ウェンディに止める手段なんて思いつかない。

 遠くに行きたいのならば、行くといいと思う。

 それがウェンディにとってどれほど寂しく辛いことであろうとも、ライラが幸せになる為ならば我慢出来る。してみせる。


 顔を覆ってその場に膝をついて泣き出してしまったウェンディに、アガタがオロオロといているのが分かる。それでも、涙を止めることは出来なかった。

「ウェンディお嬢様……!」

 ウェンディの寂しさがライラの幸せに繋がるのならば、我慢でも罰にでも耐えてみせるつもりだった。


 が。


 ドカンッ!! と盛大な音をたてて、伯爵家の玄関扉がぶち破られる。

 年代物の樫の木で出来た頑丈な分厚い扉だったが、外からの力が強すぎて蝶番が吹っ飛んで斜めに傾いた。

 玄関ホールで捜査員たちの話を聞いていたウェンディと使用人一家三人、そしてその場に集った捜査員達が全員ひとしく驚いて玄関を見つめる。

 ガツッ、とブーツの踵を鳴らして中に入ってきたのは、騎士服姿のこの屋敷の現主、オフィーリアだった。

 長姉の後ろにはレオンと、見知らぬ銀髪の男性が立っている。


 オフィーリアがパンッ! と大きく一度、手を打つ。

 その音にその場にいた全員がハッと夢から醒めたかのような気持ちで顔を上げた。


「さて私の可愛い妹を、助けにいこうか」


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