26.ぐるりと暗転
「……もう一曲、踊る?」
気を取り直すようにレオンに聞かれて、ライラは顔を上げて笑顔を向けようとする。
が、シシャの魔力を受けた所為か、何故か急激に体力を消耗していた。ふらつくと、レオンが抱き留めてくれる。
「大丈夫?」
「うん……何か急に……くらっときて……」
「魔力干渉の影響だな……どこかで休む? それとも今日はもう帰る?」
気遣う言葉は嬉しいが、せっかく来たのでもう少し夜会の雰囲気を味わいたい気持ちもあった。最後の夜会、だから。
「えっと……お化粧直しに行ってきても、いいかしら……」
これはただの時間稼ぎだ。ライラが迷いを察して、レオンは穏やかに笑ってメイドを呼び寄せた。
「疲れてしまったようなので、付き添ってあげて欲しい」
「かしこまりました」
メイドが頷き、ライラに手を差し伸べてくれる。ほっとして手を預けて歩み出すと、抱き留めてくれていたレオンの腕が解ける前に、耳元で彼が囁いた。
「ここで待っているから、早く戻ってきてね」
「……うん。ありがとう」
微笑むレオンに手を振って、ライラはメイドの先導によって化粧室へと向かった。
扉の前で待ってくれているメイドに礼を言って、中のベンチに座って息をつく。先程の眩暈はマシになっていたが、やはり疲労が強く我儘を言ってここに残るよりも大人しく帰った方がいいのかもしれない。
「……レオンに迷惑をかけちゃ駄目よね」
呟いてもう一度溜息をつくと、口実の化粧直しをする。
鏡に映る自分は、頬は紅潮しているのに緊張の所為か表情は少しぎこちない。化粧と髪は屋敷で完璧に整えてもらったのであまり手を加えず、白粉で頬の赤みだけを隠した。
「本当に夢みたい……」
言葉にすると、ほんの少しだけ胸のつかえが減るような気がする。
せっかく来たのだから、最後まで令嬢らしく振る舞って終わろう。そして、終わったら魔法が解けたと思って予定通り家を出よう。
迷いを振り切ってライラが立ち上がり振り向くと、そこには見知らぬ令嬢が扉の前に立っていて驚いた。
「あ……」
挨拶をしようかと迷うと、その令嬢はずい、と近づいてくる。
ライラ自身は社交界で嫌われているが、オフィーリアの付き添いとして夜会に立つこともあったので同じぐらいの年頃の令嬢の特徴や顔を大体覚えていた。しかしその令嬢はどうにも髪の色や顔が一致しない。
顔立ちには覚えがあるが何かがしっくりとこなくて、どこの令嬢なのかが特定出来なかった。
まだ魔力干渉の影響があるのか、思考が鈍い。
がっ、と令嬢に腕を掴まれて、さすがにおかしい、とライラは危機感を抱く。
「……どなたですか?」
だが令嬢は黙って憎々しげにライラを睨みつけてくるだけ。誰なのか思い出せないが、彼女には随分と憎まれているらしい。振り払おうと腕に力を入れるが、ぎりぎりと掴まれて痛い。
やがて、彼女は低い声で呻いた。
「何で私がこんな目に遭ってるのに、あんたはのうのうとドレス着て王子様みたいな人にエスコートされてんのよ……!」
怖くなってライラは後ずさったが、がたん、と化粧台にぶつかるだけで逃げ場はない。だが思わぬその動きのおかげで、令嬢の手が外れた。
「誰かっ!」
ライラが慌てて助けを呼びながら化粧室を出ようとすると、先回りした令嬢に布を口に当てられる。
変な香りがする、と思った時にはもう思考が霞み、体から力が抜けてライラはくたりと意識を失ってしまった。
一方ライラを化粧室まで誘導したメイドは、化粧室から出てきた令嬢に言付けを頼まれてレオンを探していた。
先ほどライラと別れた場所でレオンが待っているのを見つけて、メイドはほっとする。ライラのパートナーの顔を知らないので、あなたが伝言を伝えて、と言われたのだ。
「失礼いたします閣下、お嬢様は具合が悪くなったので先にお屋敷にお帰りになりました。私は、閣下と面識がありましたので言付けを頼まれました」
「ライラが? 俺の馬車でここまで来たんだが、どうやって帰ったんだ?」
レオンが至極当然の疑問を口にすると、メイドは戸惑う。
そんなことまでは、知らない。化粧室から出てきた令嬢は、自分が馬車まで送ると言っていたのだ。メイドの立場で、貴族令嬢に質問することは出来ない。
「あの……お嬢様のご友人だという令嬢が、お送りすると仰っていて……」
青褪めたメイドが震えているのを見ながら、レオンはすぐに思考を巡らせる。
ライラが具合が悪くなった可能性は、高い。だが彼女がレオンにそれを告げずに帰ることは考えにくい。
そして、『ライラの友人のご令嬢』とやらがいかにも怪しい。
「……申し訳ないが、別の伝言を引き受けてくれないか? 騎士団の、オフィーリア・クラインに」
何もなかったとしたら、咎は全て自分が請け負う、と決めてレオンはメイドの指示を出した。




